第49話 夢の続き

文字数 1,315文字

 鳴海は取り出した手帳のカレンダーを開いた。
「今年の8月15日は──土曜日か、じゃあその前後で休みをもらおうか。黙ってたら夏休みなんてくれない会社だからね」
「悪いわね」
「たまには二人で暮らした東京で、初心に戻るのもいいさ。すみれは東京を知らないし」閉じた手帳をジャケットの内ポケットにしまった。

「とうきょー?」
「うん。すみれ、今年の夏は東京に遊びに行こう。靖国神社も行こう」鳴海は両手を膝についてすみれに顔を近づけた。



「うん!」すみれが嬉しそうに頷く。
「すみれもパパも知らないおばあちゃんが一緒だけどね」
「あたしも良くは知らないけど……ところであなた、とっくに遅刻じゃないの⁉」
「ま、いいさ。ちょっと事故っちゃったし」鳴海はアウトバックを振り返り苦笑した。

 とうきょーにお遊び──ママとパパととうきょー──やすくにじんじゃ──やすくに、じんじゃ──おばあちゃん。

「すみれのおばあちゃん?」すみれが鳴海と早紀を交互に見上げる。
「違うわよ。うーん、説明するのはややこしいわね。お兄さんが特攻に行ったおばあちゃんよ」
「それは、余計ややこしいんじゃないの」

 ややこしい──よけいややこしい──とっこう──とっこう──とっこうにいったおにいさんのおばあちゃん。

「関係性が、ちょっと違うなぁ」早紀がクスッと笑った。

 ちょっとちがう──かんけいせい──とっこう──とっこう──とっこう

 ちらん

 知覧⁉
 今の会話の中で知覧など出てこなかったのではないか。出てくるはずはない。すみれはお下げを振りながら、舞い落ちてくる雪を掴もうとしていた。

 とうきょーにお出かけ。ママとパパとすみれがとうきょーにお出かけ。やすくにじんじゃ。しらないおばあちゃん。
 動きを止めたすみれは背中を見せて、まるで仁王立ちするように空を見上げた。

 とっこう──とっこう──
 ぐら、まん── 

 鳴海はすみれの後ろ姿を凝視した。会話の中で、知覧と同じく、グラマンという言葉など出てはいない。
「すみれ」鳴海は小さく声をかけた。その声は自分でも分かるぐらいに震えていた。

 はやぶさ──はやぶさ

 鳴海の声も聞こえぬかのようにつぶやき続けるすみれ。

 さよなら、はや、ぶさ──



「佐智!」
 ビクリと肩を震わせて、すみれは振り向いた。
 鳴海は膝をつき、肩を掴んですみれをこちらに向かせた。きょとんとした顔の、その小さな体を引き寄せた。
「パパが耳をひっぱるぅ」声を上げて身をよじるすみれ。

「今夜、夢の話をしてあげよう。すみれとママに」
「パパ、おひげが痛ぁい」
 鳴海はあごを触った。
「あ、そり忘れてる!」

 昨日シェーバーが壊れたから、間に合わせで安いひげそりを買ったんだった。スーパーに入っている家電量販店で、明日あらためてシェーバーを買おうと思っていたのだが、いつもと手順が違ったから、そり忘れてしまった。
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