第25話 さよならの意味

文字数 817文字

 沖縄までの距離は650キロ、飛行時間は2時間あまり。向かう先に薩摩富士と呼ばれる開聞岳(かいもんだけ)が見える。鳴海は身を乗り出すように後ろを振り返った。



 兵舎の上によじ登り、多くの女学生がまだハンカチを振り続けている。彼女たちは何度も、死地に向かう若者たちをそうやって見送ってきたのだ。

 特攻兵たちが最後に接したであろう乙女たちの、懸命な姿に頭が下がる。その中に佐智を探したが見つけることはできなかった。鳴海はさよならの代わりに隼の翼を左右に振った。



 しかし、佐智はなにをダメだと叫んでいたのだろう。鳴海は思い返してみる。そして気がついた。さよなら、と言った瞬間に佐智は走り出したのだと。

 さよならはダメだと、佐智は叫んでいたのかもしれない。行ってくるよと言えばよかったのだろうか。それとも、ありがとうと言うべきだったのか。

 あんな小さな体で、隼に追いつこうとしていた佐智。ふさわしくない別れ方をしてしまったのだろうか。

「こん人を好いちょっ」こちらが気づいていないと思って発しただろう佐智の言葉を、愛おしく思い出す。

 左に遠ざかって行く開聞岳を、鳴海は何度も振り返った。大隅半島から先は海原が続く。点在する島々が時折見えるだけで、これが最後の九州の地になる。

 眼前には春の東シナ海が広がっている。もう地上へは戻れない。二度とこの足が大地を踏むことはない。飯を食うことも、布団で眠ることもない。いや、しかしこれは夢なのだ。

 隼の操縦桿を握りしめ、「と号空中勤務必携」を暗唱する。
「─衝突の瞬間─頑張れ神も英霊も照覧し給うぞ 目などつぶって目標に逃げられてはならぬ 目は開いたままだ」
「と号」とは特別攻撃隊を意味する。
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