第22話 外薗のあいさつ

文字数 1,015文字

「お(やっと)さぁごわす。おいは明後日の第2次総攻撃に決まりもんした。先に靖国神社に行っちょっで、杉浦さぁも、きばいやったもんせ」

 昭和20年4月6日、連合艦隊指令長官の発した『皇国の興廃はまさに此の一挙にあり』の訓示を受けて、15:20戦艦大和は水上特攻部隊の旗艦として徳山港を出港した。



 海軍の立てた計画は、4月6日と7日の第一次航空総攻撃で打撃を与え、戦艦大和が敵の上陸海岸に攻撃を仕掛けつつ、沖縄を守る第32軍が敵を海に追い落とすというものだった。

 制空権を失い、火力兵力の圧倒的な差から、明らかに無謀な作戦だった。陸軍は総攻撃と呼び、海軍は菊水作戦と命名した。

 重油の枯渇により、大和は片道の燃料しか積み込んではいなかったとされている。沖縄を往復するための4000トンに対して、軍令部は2000トン以内としたからだ。

 が、その命令を現場の軍需部は黙殺した。武士が抜刀(ばっとう)した時、すでに刀を収めるべき(さや)を捨てているという行為を、現場はさせたくなかったのだろう。

 空タンクに残っている重油を手押しポンプで必死で揚げて、大和に搭載したのだ。
 しかし軍需部の願い空しく、大和は出港の翌4月7日午後、米艦載機386機の波状攻撃を受けて沈没した。

 鳴海は粗末な布団から起き上がった。奇妙な浮遊感と共にめまいが遅う。

「短か間やったが」差し出された外薗の手を握った。

「階級の違うお方に失礼は承知でいいもんそ。おいどんたちは最後まで戦友じゃっでな。時は違えどお国のために見事に散りもんそ。こいまでの、数々のご無礼とあたたかい励まし、あいがとさげもした(ありがとうございました)先にいたっきもんで。(行ってきますので)靖国で会いもんそ」



 大きな体を窮屈(きゅうくつ)そうに曲げて、外薗は口元を引き結んだ。挨拶がすめばにこやかな顔に戻った。彼らは本気で、崖っぷちの日本を守ろうとしたのだとその表情から伺える。

「サチは」
「あぁ、もうあん()たちは帰ったじゃ。杉浦さぁ、熱は下がりきらんでも、明日は富屋食堂で焼酎(しょちゅ)でん飲みもんそ。最後ん晩酌(だいやめ)じゃ。トメさんにお別れもせんなならん」
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