第12話 散華

文字数 808文字

 九州の南、薩摩半島南部の中央にその町はある。武家屋敷が多く残り、薩摩の小京都と呼ばれる山間の小さな町だ。

 盆地になったその町外れの小高い丘に、陸軍知覧飛行場が完成したのは日本軍の真珠湾攻撃によって大東和戦争(太平洋戦争)が開戦した1941年(昭和16年)のことだった。今は畑になっているが、広さはおよそ200ヘクタール(1km×2km)という広大な敷地だった。

 知覧は戦争末期の1945年(昭和20年)、戦局の悪化に伴い沖縄戦における本土最南端の陸軍特攻基地となった。日本各地で飛行訓練を積んだ彼ら特攻兵は、知覧の地で4.5日間の訓練の後、特攻を掛けるべく沖縄を目指した。



 陸軍の沖縄戦で散華した特攻隊員は1.036名、そのうち知覧から出撃したのは436名だった。

 20歳前後の少年航空兵や学徒航空兵たちが、250キロ爆弾を抱えた陸軍一式戦闘機『隼』や三式戦闘機『飛燕』、四式戦闘機『疾風』の操縦桿を握りしめて飛び立っていった。

 特攻といえば『神風特別攻撃隊』として広く認識されている。しかしそれは海軍の特攻隊の名称であり、陸軍は振武隊(しんぶたい)と呼んだ。現在は双方を『神風』と呼ぶ。

 この地で特攻が始まったのは3月。米軍が沖縄本島に上陸したのが4月1日。
 6月11日5時20分、悪天候を突き3機の特攻機が飛び立ったのが、知覧における最後の特攻出撃となった。そして8月には戦争が終わった。



 満開の桜の花が一度に散るように潔く死ぬ。特に戦死することを『花と散る』という。しかし、負け戦が決定的になった時期の彼らの死を『散華(さんか)』と呼んでいいのだろうか。かつて平和会館を訪れた鳴海はそんなことを思った。
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