第36話 東京裁判

文字数 1,580文字

「杉浦さぁは、腰抜けなんかじゃあいもはん!」ぎゅっと握った手に思わず力が入った。
「ありがとう」杉浦さんは気恥ずかしそうに笑った。佐智はやさしいね。

「それを、生まれて初めてで最後の勲章にしよう」
「そげんこっを……」
「佐智もそんな声を出すことがあるんだね」
「興奮してしまいもした」
 ありがとう。杉浦さんは優しそうな笑みを見せた。

「佐智、時代には逆らえないものだ。君だって、きれいでいたいだろうに、そんなもんぺを穿いている」
「もんぺは確かに動きやすかっですが、おしゃれじゃなかです」

「しかし心配はいらない。立ち直った日本は凄い国になっている。今と比べ物にならないほどのビルヂングが建ち並び、家の中に小さいキネマがある」




「家ん中にキネマじゃっとな?!
「うん、テレビジョンという名前で天然色だ。それから手のひらに収まるような大きさの電話で話が出来る。それを持ち歩いている」杉浦さんは左手を耳元に当てた。

「そん電話ん線は、どがんすっとですか?」
「無線だ。メールという文章も送れる。それをみんな持っている。蛍光灯という灯りはまるで昼間のようだ。佐智の苦手な洗濯も機械がやってくれる」
「機械が手洗いすっとですか?!」
「いや、洗濯石けんを入れた水が回るんだよ」

「水が勝手に回っと? タライん中で?」
「ま、そんなところだ。飯も火を使わなくても炊ける。話せばきりがない。でも、失われた美徳も多い。日本人は品格を失った。それは誇りを捨てたに等しい。道徳観も失い、治安も悪くなっていた。
 人々は挨拶を交わすわけでもなく、俯き加減に行き交う。それも能面のような無表情さで。
 笑うのも微笑むのも限られた人たちの中だけだ。己大事さで人々は助け合うことを忘れた。親が子を殺し、子が親を殺す。あんな国のために、この時代の若者たちは命を捨てるのだろうかと、暗い気持ちになる」

「そげん国になっとですか……」
「もちろん、すべての人たちがというわけではないけどね。話を変えよう。これは覚えておいて欲しい。この戦争の後に『東京裁判』という無謀な裁きが行われる。正式には極東国際軍事裁判だ」
「東京、裁判?」




「そうだ。戦勝国が負けた国を裁く場に、中立国がいないというあり得ない裁判だ。
 彼らは『人道に反する罪』として軍人を裁いた。しかし、非人道的な殺戮(さつりく)を行ったのは米軍だ。
 その東京裁判が戦後日本の悲しい(いばら)の出発点になる。徳川幕府を倒し開国へと進んでいった明治以来の、日本が行ってきたすべてが悪であるいう決めつけと自己嫌悪だ。それこそが、日本人が負った最も深い傷だ」

「日本は裁かるっとですか……」
「あれは裁きではない。勝者が敗者に行った一方的な制裁以外の何ものでもない。日本人としての自信と誇りを失ってはならない。佐智、君が長く生きたら伝えて欲しい。韓国がやがて主張する慰安婦の強制連行や中国が主張する南京大虐殺も作り話だと。日本に浴びせられる批判の多くは、捏造(ねつぞう)なんだと」

「はい、わかりもした。日本人はやさしじゃ。卑怯(ひきょう)な民族じゃありもはん」
「そうだ、それこそが日本人の本質なんだよ」

「じゃっどん……死んだら終わっとですよね。真っ暗になっとですよね」
「佐智、昨日の話を聞いてなかったのか? 僕は未来を見てきたんだよ」
「夢、ですよね」
「そう、長い長い夢。でも、僕の想像だけであんなものは作り出せない。だからきっと未来だ。その未来で、僕は4歳の幼い娘を死なせてしまった。深く悔いた。己を呪いさえした」
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