第50話 轍

文字数 871文字

 ルームミラーに映る、早紀とすみれの乗ったフォレスターが左折のウインカーを点滅させてスピードを緩めた。鳴海もそれに合わせて速度を落とす。

 助手席のチャイルドシートに座るすみれが両手を大きく振る。笑っていなければ溺れてもがいているようにも見える。あの様子なら両足もジタバタさせているに違いない。



 ふっと笑った鳴海は片手を上げた。ゆっくりと左に折れた車はルームミラーから消えた。

『こん人を好いちょっ』
 必死の形相で隼を追いかけてきた佐智の姿が浮かぶ。 

 けっして耳クソには見えなかったけれど、すみれの耳の穴のそばにそれはあった。夢で見た佐智とまったく同じ、雪だるまを思わせる不思議な形をしたホクロが。

 病院で造影検査を受けてみたって、自分の体に精子などきっと存在しないのだ。そんな鳴海の近くに出現するには、これしか方法がなかったのだろうと思えるのだ。

 靖国詣での後、その足で早紀とすみれを知覧に連れて行ってやろう。八月のまばゆい日差しの差す鹿児島に。

 そして、杉浦という名前を探してみよう。色黒で小柄で愛くるしい顔をしていた中村佐智という少女の名前も。

 鳴海は左を見た。雪をまとった真っ白な世界のその先に、空から差す無数の天使の梯子が広がっていた。目に見えぬ何かの力に、鳴海の胸は感謝で震えた。



 憎しみを込めたようにグラマンと呟き、愛おしそうに隼の名を呼んだすみれ。

 お帰りなさい佐智。ようこそすみれ。

 ぼやける景色を手の甲でぬぐい、遠くにそびえる雪山に延びる(わだち)の跡を追うように、軽くアクセルを踏みこんだ。



 沖縄へ向けて隼を発進させた、あの日のように。

 ─fin─

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