第9話 穴沢少尉

文字数 878文字

「風邪んときは、体を(ぬく)めて、水をたくさん()っとが良かって死んだじいちゃんが()ちょいもした。水は枕元にありもす。あとでまたお薬も飲みもんそ」サチと名乗った娘は五角形にたたまれた紙包みを頬の辺りで振った。

「こいは、苦かどん()っとですよ」(まなこ)をくりっと大きくして頷き、一呼吸置いたあと外を向いた。

「明日は

少尉さんたちが──」なぜか小声になった。
「出撃されもす」
「出撃?」
「はい。今度こそはと意気込んでおらるっ」ふぅと息を吐く音がする。

 穴沢少尉……。
 婚約者に遺書を残した、あの

少尉の事か。
 ならば鳴海はわずかながらも知っている。そして、三角兵舎も。



「あたしは」逆さまに見える少女の顔が、息がかかるほど近くにあった。瓜実顔の可憐な少女だった。

「杉浦中尉さんが出撃すっ日が来んごつ祈っちょいもす。こん戦争がはよ終わっごつと。あ、こんた内緒です」唇に人差し指を立てた。
「非国民ち言わるっで」お下げを揺らしながらコクコクと頷く。

「杉浦さんには、いろんなことを教わりもした」外を見るように顔が向こうを向き、少女の三つ編みが鳴海の耳に触れた。
「優しゅうしてもらいもした」ふたたびこちらを見た。
 少女の顔は憂いを浮かべながらも、どこか凛としていた。

洗濯(せんた)っの途中じゃっで」と、気分を変えるかのように大きな声ですっと立ち上がり、「お薬ん時はまた来もんで」と笑った。

 手ぬぐいを取った鳴海の額に手のひらを当てて小さく頷いた少女は、小走りに遠ざかった。その後ろ姿は、三つ編みにやはりもんぺ姿だった。年の頃は十代半ばか。

 妙な夢だ。鳴海は天井を眺め、目を閉じた。
 これは夢だと気がついている夢。白日夢? いや明晰夢だったろうか。

 今日は何曜日だったろう?
 スノーダンプを掛けなくちゃならないだろうな。

 スノーダンプ……

 吹雪……

 一酸化炭素中毒……⁉
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