第40話 神功皇后の福岡 京都郡犀川へ

文字数 827文字

生立八幡宮は京都郡みやこ町犀川生立にある。由緒には七百年ごろに創建とある。神功はこの八幡へ寄らなかったのだろうか、ネットを見ると皇后の伝説があるという。七月上旬は暑い、外を訪ねて歩くのは大変だ。神社前の大きな農家に入って、「こんにちは」と声を掛けた。家の中から老婦人が「なんでしょうか」と応える。編戸越しに対話した。  
「皇后の伝説は、聞いたことがない、最近は年寄りも亡くなり、若い人が大半。昔のことはほとんど知らないと思う」と云う。「すみません」と引き下がり、別の家を捜した。
平日であり、車の無い所は、ほぼ留守である。ここへ来る途中、みやこ町に大分八幡宮というのが二か所あるので、寄って見た。社だけで人家もなく、見当外れのようだった。八幡神社が多い割には、皇后存命の後から、創られたものがほとんどのようだった。子連れの皇后の足取りを割り出せると意気込んだが、意気消沈気味である。生立八幡に最後の望みをかけた。
神社から少し離れた家の奥様は、氏子だった。積極的に神主の家に電話してくれた。不在だったので「前神主は亡くなられたが、奥さんが居られるので、神社の横の道を車で行くといい」と教えてくれた。
熊谷さんという家だが、表札もなく、他の家から出て来た老年男性に訊くと、「そこの家です」と前の家を指さした。入口に注連縄が張ってあり、ベルを押すと、玄関が開き、老婦人が出て来た。熊谷さんだった。
「由緒には書いてないが若い頃、皇后の伝承は何回も聞いたことがある」という。「ここの地名は、生立(おいたつ)と呼ぶ。皇后が幼児をつれ、神社にある池の側の石に腰をおろした。幼児が皇后の膝に手を掛け、初めて立ち上がったという。これが昔から語り継がれている」と説明してくれた。神主の奥様から直接聞いたので、間違いない。
現在は犀川生立という名前が残っている。来るときは香春から、二百一号線で仲哀トンネルを通りみやこ町へ入ったが、以前は香春犀川線で山を越え、京都郡へ移動していた。
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