第19話 神功皇后の福岡 みやこ町犀川の生立八幡宮 

文字数 881文字

みやこ町犀川の生立八幡宮に着いた。由緒には700年ごろに創建とある。神功はこの八幡へ寄らなかったのだろうか、ネットを見ると皇后の伝説があるという。7月上旬は暑い、外を訪ねて歩くのは大変だ。神社前の大きな農家建物のうちに入って、「こんにちは」と尋ねた家の中から老婦人が「なんでしょうか」という。編戸越しに対話した。「皇后の伝説はきいたことがない、
最近は年寄りもなくなり、若い人が大半。昔のことはほとんど知らないと思う」という。「すみません」と引き下がり、べつの家を捜した。平日であり、車の無い所は、ほぼ留守である。
大分八幡宮を二か所回ったが、社だけで、近場の人も、歴史にくわしくないというので、当て外れだ、遠くから来たのに、八幡神社が多い割には、皇后よりずいぶん後に、出来たものが多い。子連れの皇后の足取りを訪ねれると意気込んできたのに、落胆きみである。生立八幡に最後の望みをかけた。 この家の奥様は、積極的に神主の家に電話してくれたが不在だった。「前の神主は亡くなったが、奥さんが居るので、神社の横に道を車で行くといい」と言う。熊谷さんという家だが、表札もなく、家から出て来た老年男性に訊くと、そこの家ですという。入口に注連縄が張ってあり、ベルを押すが応答がなかった。戻ろうと、バックしてると、玄関が明き老婦人が出て来た。熊谷さんだった。「由緒に書いてないが、若い頃皇后の伝承は何回も聞いたことがある」という。この地名は生立:おいたつと呼ぶ。皇后が幼児をつれ、神社池の側の石に腰をおろした、幼児が皇后の膝に手を掛け、初めて立ち上がったという。これが昔から語り継がれていると言う。ネットでも同じことを書いていた。神主の奥様から直接聞いたので、間違いない。北の方を木山といい、南の方を大村といい、昔は戸籍でここを木山七番といっていた、現在は犀川生立という名前が残っている。来るときは香春から201号線でみやこ町へ入ったが、以前は香春犀川線で山を越え車移動していた。山にトンネルを開け、名前を仲哀トンねるとしている。果たして仲哀天皇はここに来たのだろうか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み