第36話 神功皇后の福岡 飯塚曩祖八幡宮いつかまたと、軍士に暇

文字数 629文字

曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう)は、飯塚市宮町にある。この神社には以前、行ったことがある。宿場を訪ね歩いていた時で、関心に欠け、見過ごしていた。今回、改めて参拝すると、感動的な皇后の由緒があった。
社務所で買った曩祖八幡宮読本によると「神功皇后が三韓征伐より帰られた翌年、宇美町より大分八幡宮の行宮に移られ、筑紫の政務を行われた。皇后に従った軍士県主村長等も夫々に賜り物あり、暇を給わり、彼らの国郷に帰し給う。しかれども長年付き従い、御名残を惜しみ、曩租まで御踵を慕い奉る。『いつかまた逢うべきそ』と皇后はのたまわれた。これが飯塚の地名になった」という。
まさに福岡近在の豪族が家来を連れ、皇后に従い、熊鷲、三韓征伐と従軍し、大成果を上げた。皇后の光り輝く仁徳と、勇猛さと、慈愛あふれる人柄、思いやりに感激し、軍勢は付き従った。
ここで皇后は礼を述べ、恩賞を与え、軍隊の解散式をこの神社で行った。神社の絵馬に神功皇后の画像が数枚ある。画家が、皇后を想像し、描いたものだが、いずれも若く、きりっとした美人である。運動能力も優れ、武術にも秀でたようで、太刀を腰に差したのや、弓矢を背中に背負ったものもある。隣のショウケには赤子の応神天皇が収まる。武内宿祢がそのショウケを持ち、皇后が祭壇に向かい、お祓いをしている。まさに、そのとおりのお姿だったに違いない。皇后陛下バンザイと大声で賞賛しながら、近郷の武士団は去っていく。皇后は慈愛あふれる面持ちで、彼らを見送っている。
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