第25話 神功皇后の福岡 飯塚市の曩租八幡宮

文字数 527文字

曩租八幡宮は以前にも来たことがあるが、宿場を訪ねていた時で、関心がなく見過ごしていた
今回、改めて参拝すると、歴史的な皇后の由緒がある。社務所で買った納祖八幡宮読本によると「神功皇后が三韓征伐より帰られた翌年、宇美町より大分八幡宮の行宮に移られた。皇后に従った軍士県主村長等も夫々賜り物ありて、暇給わり其の国郷に帰し給う。しかれども年月従い御名残を惜しみ曩租まで御踵を慕い奉る。「いつかまた逢うべきそ」とのたまう。これが飯塚の地名になった。まさに福岡近在の豪族が家来を連れ、皇后に従い、熊鷲、三韓征伐と従軍し、大成果を上げた。皇后の光り輝く仁徳と、勇猛さと、慈愛あふれる、人々への思いやりに感激し、軍士は付き従った。ここで皇后は礼を述べ、恩賞を与え、軍隊の解散式をこの神社で行った。神社の絵馬に神功皇后の画像がある。画家が、皇后を想像しながら書いたものだが、いずれも若くて、きりっとした美人である。運動能力も優れ、武術にも秀でたように、太刀を腰に差したっものや、弓矢を背中に背負ったものもある。そばのショウケには応神天皇の赤子が治まっている。武内宿祢がそのショウケを持ち、皇后が祭壇に向かい、お祓いをしている。まさに、そのとおりのお姿だったに違いない。
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