第4話 神功皇后の福岡 宇美神社で応神天皇を出産(宇美町)

文字数 1,073文字

神功皇后は三韓征伐を終え、福岡に戻られ宇美宮を行宮とされた。仲哀天皇の子を孕まれており、槐(エンジュ)の木に取り縋りながら応神天皇を立出産された。境内には応神天皇御降誕地の石碑が建っている。境内の奥に、滾々と湧き出る水があり、石の浴槽に溜め王子の産湯を使われた。その横に、聖母宮(ショウモグウ)があり、江戸時代黒田綱政公により創設された。境内は平日なのに赤ちゃんを抱いた若夫婦に付き添いの老夫婦が何名も訪れ、祈祷してもらっていた。「子安の石」に文字を書き安産を祈る習わしがある。10cm程の子安の石が小山のように積んである。皇后の出産を手助けした産婆の功を称え、湯方社(ユノカタシャ)も祭られ、助産師の祖神とし崇められている。巨大な樟は衣掛の森といい、皇后が衣類を掛けたのだろう。境内の外に続く奥宮は、主祭神応神天皇の御胞衣(エナ)を納めた所であるといわれている。胞衣は臍の緒のことで筥に入れ保管する。筥崎宮の名前はこれに由来する。応神天皇は幼くして、聡明思慮深く天賦の才を備えた聖天子であると古典に書かれている。大阪にある御陵は415mの前方後円墳であるという。身ごもった皇后が熊襲や三韓征伐をした後であり、戦いに強い神様、八幡(はちまん)宮として王子が命名され全国の八幡宮の本社となっている。大きな神社で神官や巫女も数名いる様だ。薄青袴に白い上衣を着た若い神官に質問すると、皇后の足取りの新たな情報を教えてもらった。「宇美宮で出産した後、ショウケ越えの峠を通り、飯塚に進んでいかれた。また大分(ダイブ)八幡宮へ寄り、その後、宇佐神宮へ向かった」と神主は説明した。ショウケ越えの峠は高さ500mもあり、まさに山登りである。急な坂道を皇后はショウケという竹で編んだ籠に応神天皇を入れて峠を越されたという。兵隊や皇后は、息を切らせ、山越えをしたに違いない。前述の宇美宮の神主は私が「北九州の近くから来ました」というと「北九州市八幡(ヤハタ)は、土地の名前は八幡様に由来する」と話した。八幡西区にある一宮神社の住所は王子町と名付けられている。これと関係するかもしれないと思った。
※令和4年5月、連れ合いの友人の娘さんが、結婚後はじめて出産されるというニュースを聞いた。娘さんは「安産の祈願をしたい」という話になったらしい。宇美神社の謂れをメールで送ると、まずは両親が下見して、安産のお守りを戴いてこようという話になったらしい。娘さんにとり、人生の大事業です。どうか安産で、元気なお子さんが授かるよう、私も、かげながらお祈りいたしております。
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