第42話 神功皇后の福岡 香椎宮(改訂版1)

文字数 3,382文字

 香椎宮で本陣を構える
大和朝廷から、福岡北部の統治強化を図るため、行軍して来た仲哀天皇と神功皇后は、玄界灘を船で渡航し、福岡市にある香椎宮(かしいぐう)に到着した。
嘉麻市及び朝倉市周辺に勢力を張る熊鷲は、地元では山賊と呼ばれ、食料や財産等を略奪する村人にとっては、迷惑な無法者であった。更に、大和朝廷に対して恭順の意を示さず、年貢米も横取りする不届きな賊党である。無法者であるが故に、人を脅し、叉は殺して、財物を奪い、贅沢な暮らしを続けている。
ロシアのプーチンがウクライナに対して、訳の分からない嘘の情報を平気で流し、人殺しをさせ、他国の領土を侵害し、自国の領土とするのと、同じである。
仲哀天皇は、「天下を治める朝廷に対して、反抗する盗賊を、のさばらしておくと、世が乱れる。また搾取される村民を救助するのは、朝廷の使命である」と軍隊を率いて、香椎の地まで行軍してきたのである。縄張りを、侵すものは、撃退するのが、全ての生きる者の宿命である。
熊鷲(くまわし)退治の本陣とし、軍隊を駐留させ、出撃に備える香椎宮を重要地点とした。急遽、行宮や兵舎を設営した。参謀の武内宿祢も、香椎宮の傍に家を建て居住した。「命の水」の井戸を堀上げ、天皇・皇后も飲まれた。
体制が整ったところで、神託の儀式を行う。仲哀天皇が行宮で琴を弾き、巫女の姿をした皇后が神懸かって仲介し、神の声を聴くことになる。「海の向こうの三韓には、多く財宝がある。そこを攻めて統治せよ」との御託宣があった。しかし、天皇は、「香椎浜から、広大な海を眺めましても、遠くに陸地は見えません」と申し上げた。
「気懸りな問題を解決するために、此処まで遠征したのであり、海外に戦争に行く前に、国内の治安問題を解決すべきである」というのが、天皇の内心であった。神の宣言に、不満を持たれ、自分の意志を通すことを決断された。
仲哀天皇は、勇猛な方だが、気が短い所がある。「神の御言葉に逆らっても、筑紫野の悪党共を成敗して見せる」と意気込んだ。本陣を守る神功皇后は、溌剌とした美人で「ご無事でお帰りなさいますように」と言い、天皇を送り出した。
天皇は軍隊を引き連れて、筑紫地方へと南下し、出陣して行った。数日後、小郡市の御施大霊石(みせだいれいせき)神社に到着、此処を前線基地とした。
地方の反逆者熊鷲軍も、「天皇が、軍隊を引き連れ、自分の勢力範囲に侵入して来たという情報を掴んでいた。「眼に物いわせ、思い知らせてやる」と、双方とも『一歩たりとも引くものか』といきり立ち、命を掛けるのである。
田舎の敵軍とはいえ、当地に盤石の勢力を堅治する集団である。天皇軍と賊軍は、宝満川を挟み、一進一退の戦闘が続けた。地理に明るく、土地勘のある敵軍は、闇夜に乗じて天皇軍の陣地に、四方から攻撃を仕掛けた。熊鷲は背中に白い羽根を持ち飛び回る。高く飛び上がり、弓につがえた矢を放つ名人である。
天皇は身辺を大勢の守護兵で固めていた。敵軍は、間隙を抜きながら攻撃をしかけて来るが、槍や刀では突き破ることが出来ず、跳ね返された。弓矢は空中に強い兵器である。毒を仕込んだ矢を、天皇陣営へ次々と打ち放っていった。闇夜であり天皇軍は、敵の居場所が分からず防戦一方となり、負傷者も出てきた。
屋根もない目隠し幕の中で待機していた天皇は、空中に山なりに放たれた毒矢が、運悪く、天皇の肩に突き刺さった。矢は抜いてもらうが、毒が回り始めた。露営の天幕では、傷の手当も充分に処置できない。天皇軍は一旦、香椎の本陣へ、天皇を駕篭に乗せ、退却していった。
香椎宮で天皇を迎えた皇后は、傷つき毒が回り、青ざめた最愛の夫に涙した。薬師に診せ、付き切りの看病をした。夫の回復を、神に祈り続けた。しかし、その甲斐もなく、仲哀天皇は、五十二歳でこの世を去ってしまわれた。
私は、情報集めのため、激戦の現場である御施大霊石神社を訪ねた。掃除をしていた老人に聞くと、「神主は久留米大学の教授で今は、此処にいない。この神社へは、二十五年に一度、宮内庁の勅使が来宮し、厳粛な祭祀を執り行っている」と語ってくれた。宮内庁は、「先祖天皇が死にものぐるいで戦闘した場所である」と認め、弔いをする取り決めがあるのだろう。
さて、皇軍は、戦地から退却し、香椎宮に戻った。仲哀天皇が崩御された。神功皇后は、深く嘆き悲しんだ。「愛する夫に付き従い、辺境の地までやって来た」心身ともに偉大な支えであったのに、主を失って、「この先はどうなっていくのだろうか」若い皇后は、心が折れてしまいそうになった。
「しかし、ここで、泣き崩れ、都へ帰るというわけにはいかない。天皇崩御を発表すると、人心が乱れて、天下に騒乱が、また朝廷内の権力争いが起こるかもしれない」。皇后は武内宿祢と協議し「天皇の崩御は、世間に隠し、密葬を行おう」と決められた。
皇后は、大切な人を殺されたことに、猛烈な憤りを感じた。「仲哀天皇殺害の犯人・熊鷲の悪党め。女ながら、この私が命に懸けて、お前に復讐してやる」と、稲光の如き怒りが、深く自分の心の中に燃え上がってくるのを感じた。
なにはさておき、皇后は、故人を供養埋葬したかった。密かに葬送の儀を行うにしても、香椎宮では、目立ち過ぎ、秘密が漏洩すると考えられた。天皇の遺骸を担がせ、兵と共に、ひと山越えた久山町の斎宮(いつきのみや)に赴かれた。そこで隠密に、皇后が神官となり、厳粛に終の別れの儀式を挙行された。その後暫くの間、聖母(しょうも)屋敷で喪に服された。聖母とはキリストの母のことではなく、神功皇后の事を尊称して地元民は言うようになったのである。
近くに審神者(さにわ)神社というのがあり、「祭神中臣烏賊津主(いかつみ)という人物が祈祷師として住んでいた。親愛なる臣・宿祢は皇后に「熊鷲と韓国との戦闘を占って貰っては如何でしょうか」と進言した。聖母屋敷で喪に服している皇后は、志半ばで、凶弾に倒れた夫・仲哀天皇は、神のお告げに逆らった結果、命を落としたとも思われ、「如何がすべきだろうか」、決意はあるものの、気弱にもなり、迷いがあった。神がどう思われているか神事を依頼された。
烏賊津主は、昼夜をかけ、祈祷した。厳かに神のご託宣を受け賜り『熊鷲を誅伐し、後に三韓征伐を実行すべし』というものであった。腹は決まった。皇后は、「神の申されるまま、全身全霊をもって行動に移します」と神にお誓い申された。
久山町は小さな山々に囲まれ、田園が広がり、落ち着いた里山である。北の方に三岳と遠見岳がある。その麓に猪野大御神の神社が地域を見守っている。
私は、天皇逝去後の、皇后の心中を推測したくて、遠見岳の登山道を登ってみることにした。この山は、きつい登り坂もあり大汗をかいたが、木々に囲まれており、晩夏ながら涼しかった。一時間後に頂上に辿り着いた。展望が開け、西日が落ちかけ、オレンジ色の博多市街や海の島々が眺望できる。皇后がこの位置で[韓国を確認し、戦闘の志を固められた]という石碑が建っている。
荘厳な趣ある舞台で、先々の厳しい試練を乗り越えていく、悲壮な決意を固められた場所なのである。私も、一介の兵卒で、皇后の御傍にお仕えしているかのように、身が引き締まる思いがした。
疾風の如く行軍
皇后は、齋宮から香椎に戻ると軍勢を整え、武内宿祢等と共に死も恐れぬ覚悟で、熊鷲退治の行軍を始められた。大軍と共に南下し、進んで行く。宿祢が皇后に内申した「天皇の逝去を、衆人に悟られぬようしなければなりません。不本意で有りましょうが、天皇の衣装を着用され、男装で軍を指揮され、天皇の健在を示されては如何でしょうか」と申し上げた。皇后も了解し、亡き夫の堂々たる装束を纏い、警護の者に二重三重に取り囲まれながら進軍していった。皇后にお目にかかるのは、並みたいていでは出来ない厳重な守りである。
行軍の途中に糟屋郡志免町で下月隈八幡宮があり、立ち寄った。皇后がここを通過する時、つむじ風が吹き、皇后の被っていた御笠(みかさ)が飛ばされた。麗しき皇后の顔が、お披露目された一瞬だった。「天皇ではないことを、悟られただろうか、気を引きし締めなければ」と思われた。この土地の名を「御笠」という。嵐の前の静けさのなか、激しい戦乱の幕開けを感じさせる風雲だった。











ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み