第11話 神功皇后の福岡 本陣の香椎宮

文字数 566文字

福岡の宿場を訪ねていると、近くの神社へ参ることが多い。その中に神宮皇后と仲哀天皇がこの地を訪れたという由緒書きが多いのには驚く。
山口の神社を出発し、芦屋宿の近くの湊神社に寄られ黒崎で一宮神社に寄られた、皿倉山に皇后が登られ、行橋にも仲哀トンネルがある。仲哀天皇は香椎まで行かれた。ここを本拠地として熊襲退治へ行くことになる。仲哀天応は香椎の地で亡くなられた。西暦200年のことである。そこに西暦300年に墓を作られ、現在も祭られている。香椎宮は初めて参拝だったが、天皇の勅使が10年毎、香椎の仲哀天皇の墓へ供物を届けられる儀式が行われる。令和7年にも実施の予定だそうだ。勅使街道があり、ご神幸の行列も毎年行われるそうだ神宮皇后も仲哀天皇と一緒の墓に入りたいと言われたそうだ。武内宿祢も香椎宮の傍に建物を建て住んだそうで、その跡地の掲示板もある。命の水の井戸もある。私も飲ませてもらった、長生き出来るらしい。ネットを見ると、神功皇后の父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は新羅の王子である天之日矛の子孫・葛城高顙媛。弟に息長日子王、妹に虚空津比売、豊姫がいる。仲哀天皇2年、1月に立后。天皇の九州熊襲征伐に随伴する。仲哀天皇9年2月の天皇崩御に際して遺志を継ぎ、3月に熊襲征伐を達成する。
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