第34話 神功皇后の福岡 産みの苦しみ宇美神社

文字数 961文字

皇后は、仲哀天皇の存命中既に、王子を身ごもっていた。身重な体に拘わらず、大戦争のため、行軍し、指揮を執っていたのである。その強靭な意志と身体は、能力があるとはいえ、恐ろしい苦行だったに違いない。ようやく、出産する態勢も整った。
宇美神社は、糟屋郡宇美町宇美にある。世継ぎである応神天皇を、この地で御出産された。このことは古事記にも記載されている。人生の大行事の一つが、事細かく、境内に記念として残されている。神功皇后は、槐(エンジュ)の木に取り縋りながら、応神天皇を、当時のやり方である立ち出産された。応神天皇御降誕地の石碑が建っている。境内奥に、滾々と湧き出る水があり、石の浴槽において、王子の産湯を使われた。横に、聖母宮(しょうもぐう)があり、江戸時代黒田綱政公により創設された社がある。
私が訪ねたのは平日だが、赤ちゃんを抱いた若夫婦と、付き添いの老夫婦が何組も来て、祈祷してもらっていた。妊娠した時「子安の石」に文字を書き安産を祈る習慣がある。楕円形の十センチの安産石が山のように積んである。出産を手助けした産婆の功を称え、湯方社(ゆのかたしゃ)として祭られている。妊婦にとり大切な助産師の祖神であり、専門家の信仰が厚い。
巨大なクスの木は、衣掛の森といい、皇后が衣類を掛けられたものだ。境内の外に続く奥宮は、主祭神応神天皇の胞衣(エナ)を納めた所である。胞衣は胎盤の事のことである。エナを筥に入れ保管する。福岡市にある筥崎宮の名前はこれに由来する。応神天皇は幼くして、聡明思慮深く、容貌も天賦の才を備えた聖天子の如し、と日本書記にはある。
大阪の応神天皇陵は四百十五メートルの前方後円墳が残る。身ごもった皇后が、熊鷲や三韓征伐をした後であり、戦いに強い神様、八幡(はちまん)宮として王子が命名され全国の八幡宮と関係付けられている。
宇佐神社には、神官や巫女も何名もいる。薄青袴に白い上衣を着た若い神官に質問すると、皇后の足取りの新たな情報を教えてくれた。「宇美宮で出産した後、ショウケ越えの峠を通り、飯塚に進んで行かれた。また大分(ダイブ)八幡宮へ寄り、その後、宇佐神宮へ向かったのでは」と神職は説明した。神主は、私が「北九州の近くから来ました」と言うと「北九州市八幡(ヤハタ)は、土地の名前は八幡様に由来する」と話した。
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