第45話 飯香岡八幡宮と筥崎八幡宮の関係

文字数 750文字

東京で食事会があり、そのついでに更級日記にでてくる上総国の状況をみてみたくて市原市へ行ってみた。内房線の八幡宿駅というのがあり、引き寄せられるように下車した。
近くに飯香岡八幡宮というのがあり、神主さんに訊くと、次のような創建伝承があるという。「上総国(市原市)五所地区に御三家というのがあり、白鳳二年(西暦六七三年)三月、中村・麻野・中嶋の三名は花見をしながら、都の古社へ参拝、更には筑紫へ足を伸ばそうという話になった。三人は地元にある阿須波神社に詣で、道中の安全を祈り旅に出発した。その旅で筑前の筥崎八幡宮に参拝し、三人は是非とも故郷市原に八幡大神を勧請したいと考えた。三人は参拝の夜に見た夢の中で八幡大神が出現し神前に捧げられていた神璽(シンジ)と楯を授けられた。これこそ神の教えだと感じた三人は、柳で作った楯を筏にして、夢の中で神に授けられた神璽と神宝を乗せ故郷に流れ着くようにと祈念し海に流した。
三人は帰路を急ぎ上総国に帰り、再び阿須波神社に御礼参りをして海へと急ぐ。蒼野が原の葦が繁茂する入り江に光輝く物が見えたので、近寄って確かめると筑前で海に流した神璽と神宝だった。この神璽と神宝を祀った神社が、飯香岡八幡宮であると伝承は結んでいる。この伝承では柳楯は筑前の国から迎えた神の乗り物(筏)であるとされている」上総国から筑前国の筥崎八幡宮まで旅をした御三家がいたのだという。
筥崎八幡宮は仲哀天皇が熊鷲の毒矢で刺され死亡し、その墓が存在する。天皇と神功皇后の間に生まれたのが応神天皇であり、八幡宮として崇められている。西暦二百年代のころであり、勝利の神様八幡宮として全国に広まったとされている。
六七三年に上総の国の住人が筥崎八幡宮に参拝し、勧請したという話しは、うなずける興味ある伝承である。
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