第37話 神功皇后の福岡 嘉麻市岩﨑八幡宮へ軍勢と

文字数 1,340文字

送別の儀式が終わった後、皇后は重臣と既存の軍を従え、嘉麻市岩﨑にある岩﨑八幡宮へと向かって行かれた。国道二一一号線沿いに、岩﨑八幡宮がある。現在は、パン工房の前に石鳥居がある。参道を歩くと、階段の下を潜って、人道があり、村里の方へ続いている。社は古そうで、室内の壁に、菩薩様を描いた絵馬が飾ってある。神仏混合の時代のものだろうか。境内には、由緒板はない。ここは皇后が通った道に、違いないと確信のようなものを感じた。付近の家を、突撃訪問した。
構えの良い家を訊ねた。六十歳台のご婦人が玄関の鍵を開けて顔をだした。「神功皇后の足取りを捜しているのですが」というと、表情が和らぎ、奥の方に声を掛けた。八十歳過ぎの、母親らしい人も廊下に来て、昔話に加わった。主人が生きている頃は、皇后の話をしていましたが。私達は、分かりません。八幡様を境に地区が違い、向こうは岩﨑地区と言います。こちらは山野地区で、後に戻った山野に若八幡神社があります。岩﨑八幡の事は、隣の岩﨑地区の自転車屋に尋ねると、何か分かるかもしれません」という。自転車屋は留守だった。
国道の脇道を右に入り住宅の方へ行くと、用水の向こうに立派な農家がある。呼び鈴を押すと七十歳過ぎの奥さんが出て来た。皇后の話しをすると、「主人の方が詳しいようです」と呼んで来た。こざっぱりした農作業服を着ておられ、私は、玄関の上がり框に座った。
ご主人は、地図を示し、「ここは岩﨑地区、向こうは山野地区、岩﨑八幡宮に大学の先生が調査に来られ、『この宮は神功皇后が寄られた所だ』と話をされていました」。「この下の地区にも神社があり、そこでは四方に竹を立てた中に、稲藁を置いて、神主がお祓いする祭事を再三見ている」「手前の山野地区にも若八幡神社があり、そちらの方は、宇佐神社の直轄の社で、位は高いらしい。私が軽トラで案内しましょう」と先導してくれた。国道を十分程戻り、くねくね道を行くと、赤い柱に囲まれた立派な神社がある。由緒もあり、赤鳥居の並ぶ稲荷神社や百羅漢もある。軽トラの主人は帰られた。国道二一一号線より奥に入った所であり、皇后軍の進路より外れている。「皇后が来られた由緒は、ありません」と女性神主が答えた。
もう一度、岩﨑に戻り、国道を南下し、嘉麻市漆生にある稲築八幡宮へと進んだ。国道の左側に大鳥居と、すぐに石段が小山の方に登っている。 由緒の看板は新しく、「ここで神功皇后が軍勢と共に寄られた。村では、立派なもてなしが出来ないので、藁積みを敷いて軍勢を饗応した。皇后は稲藁を小山の頂に七尺彫って埋めた。それから稲築という地名になった」と記述されている。町村合併の前は稲築町と言っていた。
最近、昔の氏子総代が、かなりの寄付をされ、神社を整備されたようである。道を掃除中の老年男性に話を聞くと、詳しくこの地の歴史を語ってくれた。「この地域は穀倉地帯で豪族が多く、前方後円墳が数ヵ所存在する。向いの小山にあった神社を、この国道沿いに移転した」と言われる。親父さんの子供の頃聞いた話では、「皇后は三韓征伐を終え、応神天皇を宇美町で産み、暫らく滞在したが、シオケ峠を越えてこの神社を通り、行橋の方へ行き、船で大和の都の方へ帰っていったと聞いた」という。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み