第46話 神功皇后の御陵

文字数 838文字

奈良の都は、今なお栄華な面持ちを持ち続けている。東大寺の大仏様は、国分寺の元締めとして、全国の民の健やかなる生活を、慈悲の目で見守られているようだ。
中学の修学旅行で半世紀以上前に訪ねてきた記憶はある。消えてしまった記憶は復元できないままである。今回、徒然草の中に、仁和寺の老いたる僧が、未だ石清水八幡宮に参ったことがないので、一人で歩いて参詣した。極楽寺、高良などを拝みて、これだけだと心得て帰ってきた。さて仲間の人に話、これで何年かも思っていたことを成し遂げ、聞きしに勝る尊いものであった。参っている人がみんな山へ登って行ったのは、何事かあったのだろうか。心惹かれたが、神へ参ることが本意なので山まで見ずに帰った。という。
私も石清水八幡宮に行き、高良神社を拝み、極楽寺は今はないが、別の建物になっている。周囲を朱色の回廊がある。老僧はこれが八幡宮と思い尊いとおもい拝んだ。それから山道があり三十分登ったところに、石清水八幡宮があった。赤い回廊に囲まれた大きな建物である。現在はケーブルカーでここまで上がってこれる。老僧はこの八幡宮の本物を見ずに、遠い道のり歩いたら京都から何日もかかる道のりだ。兼好法師は、案内人が居ればよかったのにと書いている。老僧は自分が信じ満足したのだから、それはそれでいいのではと思った。
そこから奈良が近いので、神功皇后の御陵を見に行った。奈良駅から三つ目の西大寺駅で乗換、次の駅で下車。徒歩五分のところに御陵があった。宮内庁の管轄。前方後円墳四世紀ころの造られたようだ。墳墓は堀に溜まった水で囲まれている。大きな森のようなものだ。近くに応神天皇の八幡宮が祀られていた。何も説明板はなかった。
宮内庁は神功皇后の御陵だと主張するが、神話の世界の遺物にしては、大きな古墳である。
福岡の八幡宮巡りから、神功皇后の物語の真実性を確信したが、終焉の地まできたけれど、どうも感慨が薄いのは情けないきもする。まだ機会があれば、全国の神功皇后の遺跡をおいつづけたい。
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