第22話

文字数 3,475文字

 遠くで鷹の鳴く声が聞こえた。ピーヒョロロという鋭く甲高い鳴き声がユースケたちを取り囲む木々に木霊し、空気が澄んでいくような気がした。背後から「おっ」というタケノリの感心している様子や、「かっこいいなあ」と感想を漏らすユズハたちの賑やかな気配が伝わってきた。ユースケも鷹を探そうと地面に落としていた顔を上げるが、枝葉に遮られよく見えなかった。
 過去の大戦後、復興作業もままならないうちに生態系は瞬く間に脅かされ、多くの野生動物が極端に数を減らしていったという。また、汚染によって人類に根深い影響を与えたように、動物たちにもその影響は大きく、体が弱かったり小さい個体が目立つようになっていった。以前までは熊の生息地域だったとされるこの地域も、すっかりその姿を現さなくなっているという話を、ユースケは祖母から聞かされていた。草食動物の数が減ったが、それ以上に植物にも大戦による影響はあったために、草木が暴走して地球上を覆う、といった事態にはならなかったが、それでも元々解決できずに残っていた環境問題によって脅かされていた種はあっという間に絶滅し、全体的に生育も悪くなっていった。生態系が、ユースケたちの住む惑星アースと共に衰退している。それでも、今鳴いた鷹のように力強く生きている生き物たちはいる。その存在が、ユースケには心強かった。
 再び勾配の急な道が続きだして、ユースケは後ろを確認する。ユリは依然として顔色も悪くなく、元気そうにユズハの隣を歩いていたが、口を半開きにして息をしており、額から溢れ出る汗を頻繁に首に巻いたタオルで拭っていた。その少し後ろを歩くセイラも時折足を止めてふうっと大きく息を吐いていた。
「ちょっと休憩しようぜ。俺もう疲れたよ~」
 ユースケはわざとらしく宣言し、途端にその場にへたり込んだ。足場が悪く、勢いよく地面に伏したため、尻にとがった根の感触がしてユースケは顔を歪めた。ユズハとタケノリはすぐにふっと表情を和らげ、ユリたちやカズキたちにも休憩するように促していた。ユースケはユリとセイラの様子しか確認していなかったが、アカリも少し息を乱しており、何よりセイイチロウも顔に疲労を滲ませていた。
 皆がユースケに倣ってその場にしゃがんで足腰を休めていた。普段スカートを履いているためか、足元まですっぽりと収まるほど長いズボンを履いているにもかかわらず、アカリがどうしゃがもうかと悩ませており、遠慮なくだらしなく足を伸ばして座っているユズハを見て、最終的に体育座りに落ち着いた。欠片も羞恥心のないユズハにユースケが半ば本気で感心していると、ユズハがユースケの視線に気がつき、忌々しそうに睨みつけて来た。どんだけ敵視してくるんだと思いながらユースケは知らんぷりして、ユリやセイラの様子を確認してから、息をぜえぜえと切らしているセイイチロウに目を向けた。
「おいおい、だらしねえなあセイイチロウ。そのでけえ体は見掛け倒しかよ」
「うるせえなあ……ちょっと、マジで構う余裕、ないから、そいつ黙らせてくれ」
 セイイチロウが息を切らしながらカズキの肩をどつく。リレーのようにカズキはタケノリの肩を叩き、タケノリも軽くユースケの肩を叩いた。ユースケも適当に傍にあった樹を叩き、その感触を確かめるように手を着けたままにした。動物と違ってこの樹は冷たいんだなとユースケは面白がってその樹を撫でた。
「あともうちょいだな」
 タケノリがぼんやりと道の先を眺める。つられてユースケもそちらを振り返る。景色は相変わらず樹々が立ち並んでいて薄暗く、急な坂道が続いているようにしか見えないが、小さい頃から登り慣れていたユースケたちには、この坂道を抜けたらすぐに頂上に抜け出ることを感覚的に理解していた。
 時折鷹の鳴く声が何度か聞こえてきて、ユースケやカズキが真似してみるが、かすれた息の音だったり、「ピーヒョロロ」と喋っているだけになったりして、タケノリやセイイチロウから「似てねえ」とか「不細工な鷹」と一蹴される。ユースケはまだ手をつけていた樹の皮を何となくガシガシと擦っていると、やがて一部が剥がれて、それをまじまじと見つめた後カズキに投げつける。胡坐をかいていたカズキは落ちてきた樹皮の欠片に初めはびくっと身体を揺らしたが、すぐ正体に気がつくと、それをセイイチロウにパスする。息も整ってきてはいたが、相変わらず汗が滝のように流れているセイイチロウは、その樹皮の欠片を面倒くさそうに後ろにぽいっと放り投げる。少し離れたところから「自然破壊してるんじゃないわよ、ユースケ」とばっちり見られていたらしく、ユズハの咎める声が飛んできた。その傍らで、アカリがくすくすと小動物のように笑っていた。そのアカリの笑顔が、何となくユースケには印象強く脳裏にこびりついた。
「もう大丈夫だから。さっさと頂上着いて、思いっきり遊びたいわ」
 セイラが立ち上がってそう宣言した。休憩前と違ってもう息も落ち着いており、ニカっと健康そうに笑ってみせていた。ユースケたちも立ち上がって、ゆっくりと再出発の準備を整えた。さりげなく背負い直そうとしたリュックが案外重く感じられ、しっかりと腰に力を入れた。
 ユースケは、今までよりもさらにゆっくりと歩き始めた。登るにつれて土がぬかるんできて、踏みしめるたびに足が絡めとられそうになる。ユースケは一度立ち止まって、「ちょっと土柔らかいから気をつけてなー」と皆に呼びかける。タケノリ以外が、二人体制になってすぐに相手を庇えるようにしながら歩くようになった。登るにつれて、空気もさらに澄んできてしんと静かな空気が漂っていた。あまり変わらない景色に退屈してきたユースケは、そこらへんに生えている赤い実をかすめ取っては口の中に放り込んだ。見た目に反して意外に苦い味がするも、ユースケにとっては良い刺激だったらしく、見つけては手当たり次第に口に放っていった。背後からタケノリに「何やってんだよ」と呆れられるが、ユースケがあまりにも続けて口にするものだから、タケノリも一つとってみて口にしてみる。直後、苦虫をかみつぶしたような顔になり思いっきり噎せていた。
 そうしているうちに頂上が見えてきて、ユースケは一気に駆け上がろうとする。後ろからタケノリが慌てたように追ってくる気配がして、ユースケは「皆は真似するなよー」と叫びながら、タケノリに追い越されないように駆け出す。背後から「誰も真似しないわよ、馬鹿」と罵る声が飛んできた。
 一気に駆け上がると色の濃い青空とまばらな白い雲が飛び込んできた。ユースケはもう数秒だけ走ってから、「一番乗りぃ」と雄叫びを上げ、リュックを放り投げながらごろんと仰向けに寝転がる。すぐ近くでユースケと同じようにドサッと倒れこむ気配がすると同時に「いきなり走り出すのずるいよなあ」とよく分からない愚痴を零すタケノリの声が聞こえた。
 青空に、白い絵の具で掠れさせながら線を描いたような、消えかかっている小さな白い雲がいくつか浮かんでいた。その空模様を見ていると、何故だか切ない気持ちになってくる。山の頂上はいくらか涼しいだろうと予想していたユースケだったが、山の中を歩いていたときは樹々に陽光が遮られていたからなのか、却って暑いぐらいで、横から殴りつけてくるような日差しが眩しかった。ユースケは目を瞑って、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。山の中を歩いていたときとの違いは分からなかったが、何となく空気が美味しいような気がした。地上に降りたり空を飛んだりしている鳥はどんな風に感じているのだろうかと、ユースケはぼんやり考えた。
 タケノリが横になってからしばらくして、何人かが頂上に到着する足音が聞こえてきた。ユースケの傍まで駆けてくる足音が聞こえ、眩しく感じていた日差しが遮られ影になる。ユースケが目を開けると、影になって表情は分からないが、ショートヘアのシルエットがかがんでユースケの顔を覗き込んでいた。思ったよりも近いところに顔があって、ユースケはどぎまぎした。相手も急に眼を開けたユースケに驚きながらも、ふふっと小さく笑みを零していた。
「ユースケ君、お疲れ様」
「お、おう、そっちもお疲れ様」
 いつもだったらユリ辺りに何か咎められているところだったので、アカリからの労いに何と答えれば良いか分からずユースケはオウム返ししてしまう。その返答でも正解だったのか、アカリはまたふふっと愉しそうに微笑んだので、ユースケもつられるように小さく笑った。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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