第20話

文字数 3,237文字

「すまんすまん、待たせちゃってすまない」
 タケノリが開口一番、へらへらとした口調ではあるがそう言って頭を軽く下げた。それを見てユズハが微笑むと、再び忌々しくユースケを睨みつけた。まるで「あんたも見習いなさいよ」と文句でも言いたげなその視線に、何か言い返してやろうかと考えていると、その思考を遮るように女性にしては低いセイラの声が飛んできた。
「ほんと、私たちより遅いってどういうことよ。レディは待たせちゃダメだって、いつも言ってるでしょ」
 ユースケの前ではそんな様子をおくびにも出さなかったが、セイラの鬱憤は思っていたよりも溜まっていたみたいで、その後も怒涛の勢いでタケノリに文句を言い募っていた。タケノリは言い返すこともなく、動揺したようにただただセイラの文句を聞くことしか出来ないでいた。どこの家庭でも妹と兄という生き物は変わらないものだなと、ユースケは一人納得して神妙な面持ちでうんうん頷いた。
 ユースケの母親に見送られながら、ユースケたちは前方に見える山に向かって発った。不本意ながら先頭を歩かされているユースケは、しきりにおどおどした様子で背後を振り返るが、その度に「しっかり前歩けー」と心のこもっていない冷たい声が飛んでくる。ユースケとしては、先頭を歩いていると背後からついてくる人たちの足音がどうしても気になってしまい、急かされているような気がしてどうしても心がそわそわしてしまうのだった。マイペースなユースケは、普段は図太いのにこういうときはやけに神経質であった。
 向かいから、まるで山からの祝福のように優しい風が吹いてきて、じわじわ上昇し始める体温を程よく冷ましてくれた。左右に広がる田園風景は、やがてユースケの家のものでも、ユズハの家のものでもなくなり、雄々しい草原へと変わっていった。風になびき、ユースケの脛半分にも届きそうにない高さの葉が不器用そうに揺れる。背後の方で、女性陣が高い声でキャッキャと囁き合うのが聞こえた。それに反してタケノリたち男性陣は不気味なことに閉口して静かなままだった。前回惑星ラスタージアを眺めに訪れたときと何ら変わらない風景ではあったが、コトネの町に向かう途中で見た閑散とした殺風景な景色を思い出し、ユースケは改めて目の前の風景がいかに平和で穏やかなものであるのかを痛感した。今目の前に広がる光景をありがたく感じ思わず手を擦り合わせていると、背後から「何やってるんだ?」という雰囲気が言葉なしに伝わってきた。幸か不幸か、天気に恵まれ快晴で、強い陽の光に照らされた草原は生き生きとしていて眩しかった。
「世の中にはさ」
 後ろを歩くタケノリが控えめな声でユースケに話しかけてきた。足元に注意を払いながら振り返ると、カズキとセイイチロウは二人で神妙な顔をむさ苦しく突き合わせながら話している。タケノリは普段とあまり変わらない落ち着いた表情をしていた。
「俺たちにとっては当たり前なこの風景も、見られずに一生を終える人とかもいるんだろうな」
「何だよ急に。真面目なタケノリは授業真面目に聞いてるから知ってたんだろ」
「ユースケが二週間そういう場所にわざわざいたってのを聞いて、改めてそう思ったんだよ」
 どうやら似たようなことを考えていたらしいタケノリは草原の方に目をやる。どこか眩しそうに眺めながら、深く息を吸いこんでいた。
「真面目に授業聞いてるだけじゃ、実感とか、そういうの分かんないもんなんだなって。ユースケの話、なかなか新鮮で面白かったし」
「ふうん、そういうもん?」
「そういうもん」
 やがて山の麓が見え始め、控えめな小屋と川が背景の自然と一体化して静かに存在していた。ユースケたちが今から登ろうとしている山の頂上には簡易なキャンプ場があり、訪れれば誰でも使えるのだが、ユースケは未だに観光客の類が訪れているのを見たことがない。そのくせ、何故か掃除は行き届いているみたいで、ユースケたちが利用するときはいつも清潔に保たれていた。そのため、誰のために存在しているか分からないキャンプ場はほとんどユースケたち専用のものとなっているようなものだった。山の麓に建っている小屋も同じである。
「おお~早く飯にしようぜえ」
「ユースケより音を上げるの早いとか、カズキもだらしないなあ」
「いちいち俺の名前を出すんじゃねえ」
 ユースケはそう角を立てるものの、実際はユリとセイラのことも鑑みてさっさと小屋に着いて休憩したい気持ちがあった。二人が心配でユースケが振り返ると、二人は出発のときにはしていなかった帽子を目深にかぶっており、まだ顔色も明るく、愉しそうにユズハやアカリとお喋りしていた。
 小屋に到着すると、カズキがその場にへたり込んだ。カズキは乱暴な性格の割に体力がなく、すっかり地べたに座って「はあ」と息を吐く様子は情けないことこの上ないが、小屋に備え付けられているベンチに座らないことにユースケは感心していた。そのベンチに、ユズハとアカリが、ユリとセイラを座らせる。
「ごほん、男性陣ども、感謝しなさい」
 皆が思い思いに腰を落ち着けた頃を見計らって、ユズハが立ち上がって偉そうに腰に手を当てながらユースケたちを見下ろすように胸を張った。ユズハが偉そうな素振りをしても、ユースケは、胸が控えめだな、という感想しか出てこなかったが、タケノリたちはユズハの急な言動に「ははー」とわざとらしくひれ伏していた。
「私たち、昨日の夜から頑張って皆の分の弁当を作ってきたんだあ。まあ、控えめだけどね」
 アカリが照れ臭そうに頬を掻きながら笑った。ユズハが偉そうにしていた理由が判明すると、今度こそユースケもひれ伏した。カズキは万歳の恰好をして喝采を上げながら地面に寝転び、セイイチロウも急にそわそわし始めた。タケノリは素直に感謝している様子で、手を合わせて「ありがたや」という言葉を呪文のように繰り返し唱えていた。
 アカリが重そうなリュックを降ろして、中からユズハと一緒に弁当を取り出していく。アカリは控えめだと謙遜していたが、そのサイズは学校で購入するものとほぼ同じぐらいで、ユースケも浮き浮きしながら自分の弁当を待った。
「はい、ユースケ君のはこれ」
 アカリが赤色の箱の弁当を渡してくる。手触りからして、食べ終えたらすぐに捨てられるタイプのプラスチック製のもので、きちんと荷物にならないようにする計算も施されていた。
 それを受け取り、ユースケは素早く自分の荷物を置いたところに戻って、輪ゴムを外して蓋を開ける。真っ先に目に入ったのは、まるで学校の弁当そのまま持ち出してきたような照り焼きであった。ご飯も、半分が白米のままだが、もう半分がカレー色に染まっており、蓋を開けた瞬間からほのかに昔から何度も嗅ぎ慣れているユズハの家のカレーの匂いがした。ユースケは、皆に聞こえるぐらい大きな声で「いただきます」と言ってから、弁当に手を付け始めた。
 大して疲れているわけではなかったが、それでも以前のコトネの町に訪れるときに持っていったおにぎりとは違った温もりや、何よりボリュームを感じ、ユースケは涙を流さんばかりの勢いで箸を進めた。照り焼きを食べたときに口の中にじゅわっと広がる肉汁が、ユースケの身体によく染みた。食べ進めていると、何故かユリが近づいてきて「美味しい?」と訊いてくる。ユリの弁当には照り焼きもカレー色をしたご飯もなかった。
「めちゃくちゃ美味しいぞ。ユリが作ったのか?」
「私は手伝っただけだよ。というか、むしろ勉強させてもらったと言いますか」
「ふうん?」
 手伝っただけ、という割には、ユリはやけにユースケの横顔を見つめながらにこやかに微笑んでいた。ユースケが何となく頭を撫でようと手を伸ばすと、相変わらずそうするとユースケがユリは頭を避けてくる。ユースケは意地になって撫でようとユリの頭を追いかけるが、ユリに手を掴まれて「早く食べなって」と不満そうに口を尖らせた。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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