第10話

文字数 3,382文字

 季節は巡り、めっきり寒くなってきて窓も締め切らなければやってられなくなったにもかかわらず、床一面に散らばっている服の多くが半袖でユースケは困っていた。常に部屋のどこかにはある上着の存在にかまけて、長袖の服を取り出すのを後回しにして半袖の上に上着を着続けてきたが、その上着も先日、何故か椅子に掛けていたのが床にずり落ちており、それを着ながら立ち上がろうとして破いてしまったために長袖の服を求めざるを得なくなって今に至る。部屋でもたもたしている間にリビングの方から「ユズハちゃん来てるって、早くしなさいよ!」と母親が怒鳴る。心の中で反発しながら、相変わらずマイペースに棚の中を漁り続けていた。ようやく布団やら昔の教科書に埋もれた山の中に昔ユリがプレゼントしてくれた、ユースケもお気に入りの紺色の長袖の服を見つけたところで、今度はユズハの怒鳴り声が届いた。
 これまでと同じように朝を迎え、これまでと同じようにユズハと肩を並ばせて登校していく。そこまでは変わらないのだが、ユースケたちが五学年になってから半年が経ち、寒くなってくると青い空もどこか低く、ユースケたちの家を取り囲む青々とした樹々たちも寒そうにその葉を小刻みに揺らした。学校までの道のりも木枯らしが乱暴に吹きつけ、人の通りも少なくなり寂しくなった。同じように学校に訪れると、それまでなら賑やかな和気あいあいとした教室が待っているのだが、ここ最近になってその人数も徐々に減ってきていた。同じようにユースケたちが教室にやって来ても、カズキやセイイチロウ、アカリの姿がない日が増えた。廊下を歩いていると、変わらず賑やかなままの教室から聞こえてくる喧騒に、ユースケはふと足を止めてしみじみと聞き入ることが多くなった。
 五学年の後半になると、望遠大学校に進学を希望する者と、家の仕事や専門の大学校に進学する者との間で徐々に学校生活が変わってくる。ほとんどの者が家庭の事情だったり将来不安定になるかもしれない望遠大学校後の進路のことを案じてのことだったりで地方に留まる人が多く、そのため学校の授業は出ずにそういった準備を進める、という流れが慣習としてもう何十年も続いていることだった。ユースケもそのことは知っているつもりだったのだが、徐々に空席が増えていき、時には半分ほども席の空いた閑散とした教室を目の当たりにすると、ぽっかり心のどこかに穴が開いてしまいそうな、不思議と自分たちはもうこれまでと同じ時間を過ごすことは出来ないのだという寂しさが一気に押し寄せてきた。周りと話すときもいつものような笑みを浮かべているユズハでさえも、どこか悲哀を帯びた心情を押し隠しているのをユースケは気づいていた。それでも教員たちは慣れているのか、閑散とした教室に対しても何の感想も言わずにこれまでと同じように淡々と授業を進めた。この時期になってもまだ学校に来て授業を真面目に受ける者たちは基本的に望遠大学校に進学する者たちのため、授業もいつもより引き締まった空気になった。それを切なく思いながらも、ユースケは今までの遅れを取り戻す以上に頑張らねばと思い、より一層集中した。先生の言葉は一字一句聞き逃さず、図書館にも追い出されるまで居座るようになった。
「ユリちゃん、まだ帰ってこないのか?」
「ん、帰ってこねえ。だから図書館行く」
「りょーかい」
 タケノリはここ最近になってフットサル部がまた忙しいらしく、ユースケと一緒に遊ぶ日も減ってきていた。ユースケはタケノリと教室前で別れ、物寂しそうにしているユズハの背中を追いかけた。ユズハも、朝は一緒に登校しているくせに学校内でユースケがそのようにして駆けつけてくると決まって迷惑そうに眉を顰めていたものだったが、アカリが休む日が続いてきた最近ではそんなこともなくなり、凪いだ表情で何事もなくユースケと並べて図書館に向かって行くようになった。
 図書館での勉強も一通り済んで学校から帰宅するときも、最近になってタケノリとよりもユズハと一緒のことが多くなっていた。カズキやセイイチロウが登校してくるときもあるが、それでも家の事情で先に帰ることがほとんどのため、手芸部の活動もない日にはユズハと一緒に帰るようになっていった。
「ユースケさ、宇宙船作るって言うけど、そういうのってどの分野でやることなの?」
「うーん……分かんねえけど、大学校行ったらそういうのも分かんだろ、きっと」
「ちゃんと調べた方が良いって。先生とかにも聞いてみたら?」
 ユズハがユースケに振ってくる話題は、多くが大学校に行った先での話であり、将来についてのものであった。ユズハはここ最近は大学校に入学した後の話をするようになったが、それは明るい話題をなるべく口に出すことで物寂しくなった学校に触れずにごまかそうとしているようだった。
「というか、あんたも単純よねえ。違う惑星行くから宇宙船作るって」
「そう言うけど、じゃあ他にどうやって行くんだよ」
「それこそ、大学校行って世界中の研究のこと知れれば分かることなんじゃない? そんな今から宇宙船作るって一本に絞らなくても良いんじゃないかと思うけどね」
「良いんだよ、うるせえな」
 ユースケが宇宙船で行けば良いと思い至ったのは、ユリの手術を行った病院とユースケたちの街との往復がきっかけだった。初め、ユリと一緒に救急車なるものに乗って街の病院に到着したときには、地上にいたはずだったのがいつの間にか病院の屋上に到着しており、何が起きたのか分からなかったユースケだった。しかし、ユリの手術も終わり、半ば追い出されるようにして後日病院から自身の街に戻されるときに、救急車なるものが遥か地上高い場所を飛行していることを知った。そのことから、単純ながらユースケは「そっか、どこか行くためには乗り物が必要なんだな」と気がつき、惑星ラスタージアにもそういった乗り物で行けば良いと思いついたのである。
「それじゃ、ユリいなくて寂しいだろうけどこっち来ないでいいからね」
「誰が行くか、誰がっ」
 家に帰ると、そこには誰もいなかった。鍵もかかっていない玄関を開け、自分の部屋へ戻るときもいちいちミシミシと軋む足音が主張してきて、ユースケもしみじみと、この家も建ってから何年も経ってるんだなあと感じた。部屋に荷物を置き、喉を潤そうとリビングへと向かうが、やはり物寂しく広がっている空間が待っているだけだった。
 すべてが寂しく変化した。しかし、その変化に物思いに耽る暇はないことをユースケは自覚していた。それらをぐっと心の脇へと押しこめ、勉強に専念する日々がようやく最近習慣づいてきていた。今日も早速勉強に取り掛かろうと、リビングで水を飲み、その後再び水を入れて部屋へと向かった。
 足音の軋む廊下を歩いていると、ふと、玄関の郵便受けに一枚の手紙が差し込まれているのが目に入った。「ははあ、母さん朝に確認し忘れたな」と一人でに得意げにニヤニヤするユースケは、しょうがないと言わんばかりにふうっと息を吐きながら郵便受けからその手紙を取り出した。
 しかし、その差出人の正体を確認して、ユースケは思わずコップを落としそうになる。何とか落とさずに済んだものの、動揺した拍子に水が波打ち溢れ、手紙にかかってしまい「ああー!」と悲鳴を上げる。何とかぱたぱたと乾かしながら、コップをわざわざ玄関のすぐ目の前に置き、破かないように手紙の中身を確認した。
 そして、ユースケはすぐに玄関を開け飛び出した。その際についさっき自分で置いたコップの存在も忘れて蹴飛ばしてしまい、綺麗な放物線を描きながら玄関前の道に転がっていき、やがて土手を転がり落ちていった。ユースケはそのことにも取り合わず、慌てて家の脇に置いてある自転車をまるで強盗のように乱暴に引っ張り出して漕ぎだした。開けっ放しの玄関から風が入ってきて、ユースケの家の中を冷やしていった。
 手紙の差出人は、ユリを手術した病院からのものだった。今日、最初に入院した病院へと移動になり、退院も視野に入れて相談のために来訪するように、という知らせであった。ユースケは、人通りが多かったら間違いなく何人かを轢き殺しそうなすさまじい勢いで自転車を走らせた。ユリの手術が終わってから三か月後のことであった。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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