第7話

文字数 4,060文字

 ユズハが帰った後、ユリはユースケに「おはよう」と言うと昨夜の小説の続きを黙々と読み始めた。ユースケもぐっすりと眠った後で頭がすっきりしたのを感じ、昨日よりもユリを穏やかな気持ちで見守ることが出来たが、あまりにも手持無沙汰すぎて流石に退屈を感じ始めた。その感情が態度に表れていたのか、昨夜と同じようにちらちらとユースケを見ていたユリが呆れたようにため息をつき、「何か持ってきたらどう?」と提案した。ユースケはその提案に乗り、一度家に帰った。母親は既に家を出ていたが、不用心にも家の鍵は開いていた。昔セイラにしてやったように遊ぶためのトランプと、ユリの部屋から数冊の本、そして学校で使っている教科書をリュックに詰め込んだ。
 病室に戻り、ユースケがリュックからユリの本を数冊取り出して、小説を読んで集中していそうなユリの目の前に掲げてみせると、「お兄ちゃん勝手に女の子の部屋に入っちゃダメだよ」と叱りながらユリは丁寧に読んでいた小説を閉じそれらの本を受け取った。本たちがユリの傍らに積まれ、ユリは再び小説を読み始めた。ユースケもユリが小説を読み始めたのを確認してから、リュックから教科書を取り出してそれを読み進めることにした。読み進めていくうちに難解な内容が出てきて、何かメモしようと手をリュックの方に伸ばし探っているうちに、ペンのような書くものを忘れてきたことに気がついた。一瞬看護師たちに書くものを借りてこようかとも考えたが、何となく面倒くさくなって、ユースケはそのまま読み進めることにした。
 ユースケの腹がぐうすかと鳴り始めた頃に、病室の扉が開き看護師がユリの分の昼食をトレイに載せて持ってきた。培養された魚の肉の塊をおかずとしたバランスの良い食事が、ユリの目の前に運ばれた台の上に置かれたが、学校で目にする弁当と比べると些か質素なものであった。しかし、思えば朝から何も口にしていないことに思い至ったユースケは子供のようにユリに用意された食事をじっと眺めていた。
「俺にもくれねえかな、看護師さん」
「お兄ちゃん、健康体のくせにそんな情けないこと言ったら罰が当たるよ」
 昨夜の殊勝な態度から一変して、いつものように当たりの強いユリにユースケは降参して、ユリが食べ終わるのを見届けてから自分も商店街で適当に済ませることにした。
 喉が狭くなっているらしく、一気に多く食べることの出来ないユリは、随分と長い時間をかけて昼食を食べ終えると、昼食と一緒にトレイに載っていたカプセル式の薬に手を伸ばした。随分と食欲の失せる色をしている薬たちにユースケが慄いていると、傍らでそんな様子をされるのが目についたのか、ユリが薬についての説明をしてくれた。何でも、ユリの倒れた原因となった病気は、食後に症状がひどくなるものらしく、それを抑えるための物であるらしい。ユリはそう説明しながら、ポイっと気軽に薬を口の中に放り込んで、水を飲み、ごくりと口の中に含んだものを飲み下した。ユースケは退散するようにユリの病室を出て商店街へと向かった。
 午後になってしばらくすると、タケノリたち三人が見舞いにやって来た。普段はユースケが帰りに誘っても何かと用を言って行動を一緒にしないくせに、ユリの見舞いには三人揃ってやって来たことに、ユースケは複雑な気持ちになった。
「よお、シスコン」
「あのなあ、妹を心配しない兄なんて兄じゃねえからな?」
 タケノリたちはユリと話をして、時折ユースケを茶化した。それらを無視したり反論したりしながら、教科書に目を落としていたが、ユースケは途中で、タケノリたちがこうしてやって来たのだから学校の授業も終わっているのだと気がつき、普段なら図書館に行ったり家に帰ったりして勉強を続けていたのだが、学校に行ってもいないのに学校に行っていたとき以上に勉強をするのも何だかもったいない気がして、ユースケは教科書を次々にリュックにしまい込んだ。そして、トランプを取り出して、皆の前に堂々と掲げてみせた。
「ユリは俺とタッグな」
「うわあ、不安だなあ」
 三人ともがやって来て、ユリ以上にはしゃいでいたユースケだったが、まだ陽も暮れないうちからカズキが「俺、そろそろ帰るわ」と言い出した。それに乗っかるようにセイイチロウも立ち上がった。
「じゃあ、また来るからな、ユリちゃん」
「うんうん、是非是非。お兄ちゃんも寂しがっているので」
「おい」
 そう言って、ユリのことを最後まで見ながらも忙しそうにカズキは病室を出て行き、セイイチロウも便乗するようにカズキの後を追った。そのカズキの様子に、ふとアカリがやって来ていないことに気がつき、アカリの家庭事情を思い出して、カズキにもそういう事情があるのだろうかと想像した。
 タケノリは何も言わずにそのまま残っていた。タケノリはセイラについての話をよくした。その話にユリも愉しそうに耳を傾け、「セイラってば本当におっちょこちょいだなあ」と、自分の方が年下のくせにまるでお姉さんぶったような感想を口にした。
 やがて病室の扉が開き、ユースケたちの母親が部屋に入ってくると、タケノリは急に背筋を伸ばして丁寧にお辞儀した。母親もタケノリの礼儀正しさに感心しながら、ユースケの方をちらちらと見てきた。嫌味成分の含んだその視線にユースケがムッと母親を睨み返していると、タケノリは「俺もそろそろ帰ろうかな」と立ち上がった。ユースケは母親と入れ替わるようにして病室を出て、タケノリを見送っていった。
「やっと元気が戻ってきたようで安心したよ」
 病院を出る間際、タケノリは唐突にそう言った。ユースケが間抜けな声を漏らすと、タケノリはちらりと首だけ動かしてユースケの方を見た。
「来たとき、けっこう元気なさそうだったぜ。どんな顔してんだよって突っ込むに突っ込めないぐらい」
「……マジ?」
「まあこれ以上聞かないけどさ……ユリちゃん、お大事にな」
 タケノリはそれだけ言い残して病院の扉を開けていった。扉が閉められる前にユースケが「それは本人に言え馬鹿野郎がっ」とタケノリの背中に向かって叫ぶ。
 翌日から似たような日が続いた。朝ユースケが起きるよりも早くユズハが見舞いに訪れ、昼過ぎになってユリが薬を飲むのを確認してから商店街の弁当屋や飲食店へと出る。タケノリたちは来る日と来ない日があり、初日のように三人揃って来ることはあまりなかったが、必ず誰かは来てくれた。一度だけアカリとセイラも来てくれたことがあり、ユリは大いに喜んでいたが、ユースケはアカリと顔を合わせるのも何だか気まずくて、上手く話すことが出来なかった。見舞いに来た人全員に共通していたのが、ユリの元気さに驚いていたことであったが、何故か帰る頃には皆納得したような安心したような顔つきで帰っていくのであった。そして、夕方近くから母親がやって来て、色々とユリの話を聞いて再び帰り、ユースケも一度家に戻って風呂に入ったり荷物をまとめ直したりしてから再びユリの病室に戻ってきてそのまま泊まる。
 ユリが入院してから五日後、ついにユリの病室にて母親と三人で医者と今後のユリの症状に関する話が行われた。医者は入院した当時と同じように優しい顔をしながら、ユリの病状と今後の方針について話してくれた。ユリの病気は、現代医療においてきちんと治療を施せば命に別状はないということだが、唯一懸念点があるとすれば、ユリの体力とその治療法であるとのことだった。ユリの病気は胆汁の合流異常を起こしているのが症状の原因で、その合流異常の根本の原因が身体の構造が普通と異なるということなので、他の病気と違ってそれを治すには手術するしか方法がないということだが、そこでユリの身体の弱さがネックになるという。この病院よりも大きい病院にて連絡がつき、いつでもユリの病気の手術が出来る状態にしてくれたらしく、そこから先の判断をユリ本人や家族に最終的に決めてもらう、と医者は最後まで優しい口調で説明した。
 手術以前に、自分の状態についても初めて聞いたであろうに、ユリは最後まで動揺する素振りを見せることなく静かに聞いていた。最後まで話を聞き終えて、母親のとっていたメモを見ながらユースケがしつこいぐらいに手術の成功率について質問すると、手術自体は今の技術ならば間違いなく成功するが、ただでさえ身体の弱いユリには負担が大きく、手術を経て体力が落ちているユリのその後の体調が心配、という答えだった。回復に長い年月がかかるだろうし、無事に退院して家に帰ることは出来るようになっても以前と同じように母親の仕事を手伝えるようになるまでにはさらに時間がかかるだろう、もしかするとさらに身体を弱くしてずっと回復しないままその先を生きることになるかもしれない、ということだった。
「私、すぐにでも受けるよ、手術」
 医者がそこまで話すと、ユリは最初から決めていたかのように真っ先にそう宣言した。涙もろい母親はユリの言葉を聞いて静かに涙を流した。ユリは医者と母親を見て、最後にユースケを見ると、そっとユースケの手を握った。
「お兄ちゃん、私生きたいの。生きて、お兄ちゃんがこの先惑星ラスタージアに手を伸ばして頑張っている姿を応援したいの。だから私、頑張りたい。ここで私も大丈夫だって姿を見せるところから、お兄ちゃんの応援が始まるような気がするから」
 声を震わせながらも紡ぎ出された言葉の端々から、ユリの強い決意が漲って表れているのをその場にいる全員が感じ取った。ユースケは、そっとユリの手を両手で包んだ。いつも守ってやらねばと思っていたユリが、こんなにも自分を超えて大きくなっていたのかと、ユースケは心が震えるような思いで、祈るようにその手を強く握りしめた。深々と頭を下げ、震えながらも自身の手を握ってくれるユースケを、ユリは菩薩のような優しい顔で見つめていた。たった一筋、ユリの頬を伝って流れる涙は、ぽたりとベッドのシーツに落ちて円い染みを作った。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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