第16話

文字数 3,087文字

 季節は廻り、家の周囲の自然も新たな季節を歓迎するように鮮やかな色合いを取り戻し、元気そうに風に揺られるようになった。空が青く澄み渡り、雲や昇った陽も高くまで昇っているような気がする。変わらないのは、ユースケの家に前に静かに佇んでいる飛行機だけであった。
 学年が上がり、最高学年となったユースケたちだったが、初めのオリエンテーションでこそ、先生の切り口からして今年一年はこれまでと全く違う一年になるのだという予感をさせつつも、授業に変化はなく、議論形式で課題が中心の授業のままであった。そのため、ユースケは何だか学年が上がったという実感があまり湧いてこなかったが、それでもそんなことは昨年にも感じていたことだというのを思い出し、何だかんだ色んなことは確実に変化していくものなんだなと妙に腑に落ちた。
 クラスメイトは変わらず学年が上がるものの、教室には見慣れた顔ぶれの半分はもういなかった。望遠大学校を目指さない者たちは授業を受けることはほとんどなく、その必要もないのだという話もオリエンテーションの冒頭でされた。しかし、ユースケはその説明を受け、「はいはいそんなこと分かってますよ」と大雑把に聞き流そうとして、内心はっとさせられた。自分はいつの間にか、そんな寂しい教室の風景にもすっかり慣れてしまっているのだと、自分で自分に吃驚していた。
「……本当、少ないなあ」
 変わり映えのない日々、議題は面白いものの来る日も来る日も課題に取り組む毎日に、ユースケも熱意を失ったわけではないと信じたかったが少々飽きが生じた。ユズハとタケノリとで図書館で勉強していたある日、ユースケは集中力が切れて机に突っ伏した。ユズハとタケノリはユースケに構わず紙面を睨みつけうんうん唸っていたが、それに張り合うようにユースケが机に突っ伏したまま唸り声を上げてきたため二人とも顔を上げた。
「あのねえ、ここは図書館なのよ、寝るんじゃないよ」
 ユズハが苛ついたように小さく囁き、ユースケの肩を揺らす。タケノリも課題に取り組むのを中止し、ペンをくるくると回しながらユースケの頭頂部を見つめる。しかし、ユースケは中々起き上がらずしぶとく机にへばりつく。ユズハもそのユースケの粘りに何かネバっとした不快なものを連想し表情を曇らせる。
「ちょっと、周りに迷惑だから起きなさいよ」
「うへぇ……なあ、刺激少なくね?」
「仕方ないことでしょっ」
 即答するあたり、ユズハも同じことを思っていたのかもしれない。ユースケはぐるっと不気味に首を動かし、ユズハの顔を見上げる。ユズハは明らかに汚い何かを見る目をしており、ユースケも反射的に睨み返すが、ユズハも全く引く気はないようでますます顔を険しくさせてきた。
「じゃあ、アカリのとこに会いに行ってみるか」
 突然の横からの声にユズハとユースケは同時にその声の方を振り向く。タケノリも本当にただ思いついたことを言ってみただけという風であったようで、二人してじろりと見られて戸惑っており、くるくる回していたペンも落としていた。落ちたペンを拾うタケノリの動作をぼんやりと目で追っていたユースケは、再び不貞寝するようにそっぽ向いた。
「アイツに会いに行くのはなしだ」
 やけに大人しい、震えた声でそう言うユースケにタケノリも不審がり、ユズハに至っては文句でも言いたそうに頬を膨らませていた。気になった二人がかりでユースケにその発言の意図を問いただそうとするも、ユースケは頑なに「アイツのところに行くのはなしだ」と壊れた機械のごとく繰り返すだけであった。揺すっても背中を叩いてもユースケがうんともすんとも言わない間にも時間はいたずらに過ぎていき、午後五時を知らせるチャイムが鳴った。無駄な時間を過ごしたと一同全員が思っていた。

「うへえ、今の授業こんな風になってるなんて聞いてないよお。ああー疲れたあ」
 図書館で無為な時間を過ごした二日後、アカリが久し振りに登校してきた。アカリは登校しなくなった生徒の中でも割と早い段階から登校しなくなっていたため、アカリのいる教室というのがひどく懐かしかった。ユースケを中心として席を寄せ合い、ユースケとユズハとタケノリの輪にアカリが加わって、だらんと机に倒れながらあんパンを齧っていた。ただでさえ口の小さいアカリがちびちびと食べているとまるで小動物のようだった。
「アカリもおバカさんになっちゃったのねえ」
「そんなことないよ! ……多分」
 久し振りのアカリの登校にユズハもどこか表情を明るくさせていたが、ユースケにはその明るさが却って憎かった。きっと自身が会いに行かないと言い切ったばっかりに、ユズハたちが根回ししてアカリを登校させたに違いないと睨んでいたユースケの目線も自然ときつくなり、ユズハは目を合わせようとしなかった。タケノリに助けを求めるような視線を送ってみても、タケノリはそんなのどこ吹く風といった風で取り合おうとしなかった。結局、ユースケはアカリとまともに話さないまま昼時間が終わり、午後の授業も終わって図書館に向かおうという時分になると、アカリも「私も久し振りに図書館寄りたい」と嬉々としてついてきた。
 図書館でユースケたちが課題に取り組んでいる間、アカリは時折ユースケたちの課題に関する囁き合いに興味深そうに耳を傾けながらも基本的に小説を読むのに集中していた。ユズハと一緒に図書館に来ていたときもそうだったのか、誰にも話しかけずに黙々と小説を読んでいるアカリにユースケは集中が乱れた。ペンの動きも止まりがちで、ふとするとユリの退院はいつになるだろうとか、セイイチロウやカズキは今頃どうしているだろうかなど課題とは関係ない雑念ばかりが頭に浮かんできた。時折アカリが顔を上げてこちらを見ている気配がしてユースケも思わずそっちの方を見てしまうが、アカリと目が合うことはなかった。
 帰り際、「この小説借りていこうかなあ」とアカリがうんうん悩んでいたが、結局借りないまま下校することになった。校庭にはタケノリの欠いたフットサル部がへろへろになりながらも練習を続けていた。
「タケノリ君たちがいなくなってもフットサル部は続くんだねえ」
 練習風景を眺めながら校庭の端を歩いて帰っていると、アカリがふと思いついたようにそんなことを言った。ぽーんと高く蹴り上げられたボールがユースケたちのところに向かってくるが、部員が見事な機動力で回り込んでそのボールを受け止めた。
「まあなあ。自分のいない部活が活動しているのを見るのは何だか変な感じだ」
「……私たちはどんどん歳を取って、大人になって変わっていっても、きっと、この世界には変わらないこともあるんだろうねえ」
「そうねえ。生徒どころか先生も入れ替わるでしょうに、この学校はしばらくは残るんでしょうね」
 学校の門を潜り抜け、葉桜の並木道を歩く。麗らかな春の陽光が木の葉の隙間から漏れ出てユースケたちの歩く先を照らしつけていた。四人の歩く速度は不思議と示し合わせたかのように揃ってゆっくりになっていた。
「先生も入れ替わる、か……俺、先生になりたいんだけどさ」
「ふうん……え、そうなのか?」
「うん」
 タケノリがあまりにもさりげなく言うので、ユースケは自分の聞き間違いではないかと疑ったが、特に眩しいわけでもないのに目を細めて葉桜を見上げるそのタケノリの横顔から冗談を言っているわけではないのはすぐに分かった。ユースケの戸惑いも知ってか知らずか「んでさ」とタケノリはその横顔に反して暢気な口調で話を続けた。本題はそこではないらしい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み