第17話

文字数 3,438文字

「そのときフットサル部がまだあるなら、フットサル部の顧問に是非ともなりたいな」
「……先生になりたい理由って、それなの?」
「まさか。でもまあそれとは別の話でさ、フットサルの顧問になれたら楽しいだろうなあ、良いだろうなあ、ていう明るい未来のオハナシ」
 怪訝な顔をするユズハの疑問にタケノリは可笑しそうに笑う。ユズハは「ふうん」と何か含みがあるような素振りだったが、アカリは分かりやすく「おお~」と愉しそうだった。
「明るい未来のお話、かあ」
「……アカリ、私大学校に行ってもここに遊びに戻ってくるからね」
「うん……そうだねえ、もちろんそれも楽しみにしてるよ」
「……それも?」
 タケノリが将来の話をしたからか、それとも本格的に望遠大学校に向けた形式の授業にアカリが受けに来た影響からか、ユズハが俯きがちにそんなことを言ったが、アカリはそのユズハの気遣いを受け止めつつもやんわりと心配は無用だという風な雰囲気を作った。アカリとユズハの目が一瞬合うと、眉を下げるユズハに対して、アカリは晴れやかな顔を作って空を見上げた。
 ちょうど、木漏れ日がアカリの顔を照らした。
「私ね、それ以外にも楽しみにしていることがあるんだ」
「……ふうん。にして、その楽しみとは?」
 少し間があって、ユズハの顔がにわかにニヤついてきた。微笑みながらアカリの横顔を優しく見守る。
「うん……それはね、惑星ラスタージアに関するニュース」
 唾を変な風に飲み込んでしまい、ユースケは酷く噎せ込んだ。条件反射で出てくる咳のせいなのか、顔が熱く火照ってきた。タケノリが横で軽快に口笛を鳴らした。いきなりゲホゲホと苦しそうに喘ぐユースケに流石にアカリも驚いていたが、それでも再び天を仰いで、まるでそこに神様でもいるかのような優しい顔になった。
「母さんのお手伝いをして、一緒に畑や田んぼの作業して、弟や妹の面倒を見て、勉強も手伝いながら家で出来る仕事探して……そういったことを繰り返す日々が待っているかと思ってたんだけどさ、そうじゃないみたいなんだ。新聞を眺めているとある日、惑星ラスタージアに関してこういうことが新しく分かりましたー、とか、宇宙船の開発過程でこんな実験に成功しましたー、とか、そんなニュースが待ってるみたいなんだ。それが、私の将来の楽しみ。きっと、そんなニュースを見るだけで、私はその日を、明日を生きていけると思うんだ」
 照れたように頬を赤く染めながらも明るく話すアカリの横顔に、その話を聞いて胸の内が火傷したように熱くなっている自分に、ユースケは、アカリの想いの深さを知った。ユリと同じだった。アカリも同じように、ユースケが惑星ラスタージアに向けて奔走するのを心から信じ、その姿を強く思い描いているのだと知り、ユースケは恥ずかしくなりながらも心が突き動かされて仕方がなかった。
 ユースケは自分を恥じた。惑星ラスタージアを観測しに行った日からアカリとの間に妙な距離が出来ていると思い込んでいた裏で、アカリが純粋にここまで想ってくれていたことを、あのときのユースケの宣言をユリと同じように本気で受け止めユリと同じように健気にずっと信じてくれていたことを知らずにいたことが、申し訳なくて仕方がなかった。
「なるほどねえ……そうなると、今後の惑星ラスタージアの研究に携わる人たちは責任重大だなあ。アカリを悲しませる奴はユースケや俺やユズハが黙ってないからなあ」
「ええ?! そ、そんなつもりで言ったんじゃないんだってタケノリ君、ねえ!」
 意地悪にニヤつくタケノリにアカリは信心深い神聖な雰囲気を解きすっかり一人の女の子に戻ってタケノリの首根っこを捕まえてがくがく揺らしていた。心がいっぱいいっぱいになって構う余裕のなかったユースケは、その後タケノリが「気持ち悪い……」と具合悪そうに情けなく木陰に座って休むことになるまで、ずっと顔も上げられずに黙ったままだった。

 冬の寒さも涙目で退散し、すっかり暖かくなり歩いているだけでじんわりと背中に汗を掻くようになった。そんな陽気にもかかわらず、ユースケは購買部に向かう廊下を小躍りしながら渡っていた。曲がりなりにも六年間通っているため、ユースケのことを良く知っている生徒もおり、その人たちは「また変なことになってる」とその様子に慄いていて知らない人を装い、ユースケを良く知らない生徒たちは「え、誰あの不審者……」と不気味がり必要以上に距離を空けていた。
「ふふふーん、ねえユミさん、どうして晴れの日ってこんなにも素敵なんだろうねえ」
「……何、急に」
 そんな厄介なユースケに、ユミが購買部の前で捕まっていた。ユースケとユミの顔見知りは「ご愁傷さまに……」と祈るように手を合わせて遠巻きに見物していた。
「晴れてるって本当に良いね! この時期なら暑さなんてたかが知れてるしさ!」
「……じゃあ、そういうことで」
 全く脈絡のない言葉を残して買った弁当を片手に足早に逃げようとするユミに、ユースケは虚を突かれて動きが固まった。呆然と去っていくユミの後ろ姿をユースケは慌てて追いかけようとしたが、そのとき視界の端にユースケを見て怯える女の子と呆れたように睨みつけているセイラの姿を捉えて、ユースケも思い止まった。しかし、浮かれているユースケの勢いは留まることなく、標的変更とばかりにセイラたちに近づいた。
「ちょっとユースケ兄さん。いくらユースケ兄さんでもあまりに不審者だと通報するよ」
「今日、ユリが退院するんだ!」
 ユースケの叫びにセイラの隣にいた女の子はびくっと身体を縮こまらせたが、セイラは目を見開き、ユースケを睨みつけるのも忘れて嬉しそうに頬を緩ませた。その後、廊下のど真ん中で人目も憚らずにセイラと共に喜びを分かち合ったユースケは、弁当を買うのも忘れて教室に戻っていった。
 ユリが入院し、手術することになってから八か月半、予想していたよりも早く病院から退院の許可が下りた。

 ユリの退院は昨晩、帰り際にもう一度担当医と話し合いになったときに聞かされたことであった。まだまだ以前と同じ水準に戻ったわけではないが、それでも空気の綺麗な実家での日常生活なら何ら問題なく送れるだろうということ、様子を見ながらになるが徐々に母親の手伝いにも復帰できるようになるだろうということ、そしてその経過観察はもう入院してまで行うことではなくときどき通院するだけで十分になったということを話してくれた。
「彼女の頑張りは本物でした。医学をも超える想いがあったのでしょう。私の完敗です」
 何故か担当医は謙虚どころか敗北宣言までしてきたが、ユースケは再び顔も上げられぬ想いでひたすらお礼を言い続けた。
 その話を聞いてからというもの、家に帰ってからはもちろん、翌日になってもその興奮は冷めやらず、昼時間には不審がられるほどであったし、午後の授業が終わってもそわそわしているばかりで、タケノリとユズハと一緒の図書館での勉強も全く身に入っていなかった。タケノリはそんなユースケの態度に呆れながらもきちんと変わらぬペースで課題に取り組んでいたが、ユズハはユースケを窘めるも自身もそんなに集中できていなかったようであった。
「おいおい、ユズハだってさっきから何か時計ばっか見てるじゃねえか。ユズハも集中しろ」
「あんたに言われるとほんっとに腹立つ……あんた黙らせるためにも見せてあげるわ」
 忌々しそうに口元を歪めながらも、渋々といった様子でユズハは鞄の中に手を突っ込んだ。一体何を見せられるのかとユースケは身構えていたが、ユズハが出してきたのは丁寧に折り畳まれた手紙であった。藪を突いて蛇でも出てくるかと身構えていたユースケは拍子抜けして肩を落とすが、その反応がますます癪に障ったようでユズハは忌々しそうに手紙を広げた。
「『拝啓ユズハ様。本日午後五時に図書室の隣の教室に来てください』……書かれてるのはこれだけ。送り主の名前も何もない手紙、不気味ったらありゃしないわよ」
 乱暴に手紙を読み上げたユズハはぺらぺらとその手紙を揺らした。確かに内容はまるでストーカーがついに臆面もなくアピールしてきたような不気味さが感じられたが、それでも内容を読み上げるのはどうかとユースケは訝しんだ。しかし、しばらくしてその不気味さに心当たりを思いついてユースケは思わず「あっ」と声を上げた。ユズハもユースケの反応に気がつくと、不機嫌そうにため息をついた。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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