第21話 散歩
文字数 3,103文字
その後、ユキオたちと久しぶりに会ったときに聞いたところによると、チヒロはあの後すぐに『かえで倶楽部』を辞めて大学校に復帰してきたそうである。それでもリュウトとよりを戻すつもりはなく、これまでの友達と付き合いながら、いくつかバイトを掛け持ちするようになったそうである。リュウトはリュウトで本気でチヒロのことが好きだったらしく、未練がないと言えば嘘になるそうであるが、「まあアイツが押してくれた背中、無駄にしてたまるか」とのことであった。ユキオもリュウトも、研究室に行く頻度を上げたので昼食のときに食堂で会えればラッキー、というぐらいにしか会えなくなっていた。
「まあ、なんだ……色々大変だったようだが、一区切りついて良かったじゃねえか。お疲れ様」
「ナオキはそんな風に気の利いた言葉言えるんだな」
ユースケとしては本気で感心してそう言ったのだが、ナオキは不機嫌そうに顔を歪めて「お前、なんつー言い草だ」と憤慨していた。休日、しかも研究室が工学府棟全体で計画停電が行われるために活動を禁止させられていたので、ユースケはナオキについていって大学校内を散歩していた。二人とも運動は得意ではないくせに、運動場に来て運動部の活動を木陰の下で眺めていた。
「ま、誰しもが同じようには生きられないってことなんだろうな。そうじゃなきゃ、皆この世界で色々悩みながら生きてねえよな」
「何か今日はやけにセンチメンタルな言葉選びですなあ。最近何かあったの? 振られたとか?」
「お前なあ、よくそんなこと言えるなあ。その振られた友人とやらが泣くぞ」
「泣かない泣かない。アイツはそんなことじゃ泣かないって」
軽口を叩き合いながら運動場を眺めていると、ボールが高く上がりそのままユースケたちの方に転がってきた。近くに来たボールに互いに目配せし合い、互いに「お前がボール届けに行けよ」と目で争っている間に部員らしき人物がやって来た。ボールの近くにいたのに何もしなかった怒りからか、ユースケたちに鋭い視線を向けながら、踵を返して戻っていく。その先には、タケノリがいた。高等学校のときよりもさらに引き締まって筋肉のついた身体は、この寒空の下でもまったく寒そうではなかった。
「あれがお前の地元時代からの友達か。お前にはもったいなさそうな奴だな」
「ナオキって本当に失礼な奴だな。アイツなくして俺はいないし、俺なくしてアイツはいないぞ」
「ふうん」
ナオキは心底どうでも良さそうにそう言うと、木から離れて、散歩を再開させた。ユースケもタケノリに手を振ってから、ナオキの後を追いかけた。研究室のない休日に何をしようかと考えていたユースケは半ば強引にナオキについていったが、ナオキも迷惑そうな顔をしながらも断りはしなかった。
ナオキはそれから、学府棟を巡っていった。それぞれの学府棟も、すべて同じ構造のように思えてどこかしら違うところがあり、配色も違うことから、眺める分には中々面白い。
それぞれの学府棟を巡った後、校内の中央に位置するユースケたちの学生寮から南に下ったところにある農場へ向かった。ユースケにとっては何度も地元で見てきた光景に似通っていたので新鮮さも何もなかったが、案外望遠大学校に来てこの農場に感動する学生は多いらしい。それでも学年を経るにつれて、すっかり馴染みの景色となる。ナオキはその農場をじっくり眺めるようにしながらそこをも越えて、まるで国が大切に保存して経営する記念公園を彷彿とさせるような自然の中へと足を踏み入れていく。この樹々や平原の先に学生寮があるらしいが、ユースケは未だにその存在を確認したことはない。
「ユースケ、研究はどんな感じなんだ」
「へ、研究? うーん、まあ、まあまあじゃね? マスター学生の先輩はめっちゃ面倒見てくれるし、研究するには何も困ったことはないな」
「そうか……宇宙船、かあ。皆の希望を作ろうとしてる奴がユースケだって知ったら、世間の奴らはどう思うんだろうな」
一瞬、ユースケはいつものように馬鹿にされたのだと感じてナオキを睨むが、ナオキはやけに物思いに耽っているような顔で樹々を見上げながら歩いていたので、ユースケも怒りのやり場ををなくして戸惑った。
大学校内の自然にあまり足を踏み入れたことはなかったが、思ったよりも道は整えられており、かといってコンクリートの道にはなっておらず、散歩するには最適だった。今度フローラが昼から休めるときにはこの森林を散歩するのも悪くない気がしてきた。
ふいに、ぴゅうっとナオキが口笛を吹いた。あまりにも綺麗な音色にユースケもほうっとため息が漏れた。ナオキはなおも口笛を吹きながら、青々しい常緑樹の葉を見上げていた。
「なあ、俺を主人公にした小説書いてくれよ」
「はあ?」
それまでの爽やかな雰囲気はどこに行ったのか、ユースケが提案した途端にナオキは眉を顰めた。せっかくの綺麗な景色が、不機嫌な男のせいで台無しである。
「なあ、書いてみてくれって。良いだろ?」
「……自分が主人公の物語って、何か嫌じゃね? 俺だったら絶対読まないんだが……」
「俺はお前が面白く書いてくれるって信じてるぜ」
ユースケも思い付きのくせにやけに頑固である。ナオキも鬱陶しそうに難しい表情のままだったが、やがて根負けして、深いため息をついた。
「お、書いてくれるのか? あざーす」
「お前が宇宙船造ったら、考えてやるよ。そのためにも、俺も色々頑張るかあ」
ナオキはそれから、「日も短いしそろそろ戻るか」と言って元の道を引き返す。ユースケは、以前迷ったこともありどこへ向かえば良いのか全然分からなかったが、ナオキは迷いなく進んでいく。ユースケはナオキの足取りに感心して、その後を追いかけていった。途中からナオキは鼻歌を歌い出したので、ユースケもそれに合わせて歌うと、どこかで野鳥が鳴いたような気がした。
ナオキとの散歩で改めて校内の自然の豊かさに感動したユースケは、それから何度か足を運ぼうとしたのだが、研究室での活動や最後の授業の課題に追われて中々明るい時間に行くことが出来ないでいた。それならば朝早くに起きて向かうという方法を取ればよいのだが、この男ユースケ、まったくと言って良いほど朝に弱いのである。
最近ではユキオも研究室で忙しいらしく、泊まり込みの日もあるようなのでそんなユキオを朝早くに誘うのは偲ばれた。かと言ってもう一度ナオキを誘ってみても「嫌だ」の一点張りであった。そこで思い出したのが、タケノリだった。
研究室に向かう直前、ユースケは電話をかけてみた。コール音が長引き、流石にもうどこかしらに出かけたのかと思って受話器を置こうとしたタイミングで、受話器の向こうからタケノリのくぐもった声が聞こえた。
『もしもし、ユースケ? 随分久し振りだな』
「おう久し振り。なあ、どっかの早朝にちょっと散歩しに行かね?」
『へ、散歩?』
ユースケもいきなりの相手に話題を振るのが雑である。それでも、付き合いが長く理解の早いタケノリは、ユースケが少しばかり言葉を付け足しただけで事情を把握したが、その後不気味に黙り込んでしまった。ユースケは何かタケノリの気に障るようなことを言ってしまったかと慌てたが、やがてタケノリがようやく口を開いた。
『ユースケの彼女さん、かどうかよく分からない人?のフローラさんって人に会ってみたいな。俺の彼女もユースケに会いたがってたし、四人で行こう』
思わぬ展開に、ユースケも戸惑って意味の分からぬ言葉を発しまくった。それに苦笑するタケノリの笑い声がやけに懐かしく感じられ、目の奥が熱くなった。
「まあ、なんだ……色々大変だったようだが、一区切りついて良かったじゃねえか。お疲れ様」
「ナオキはそんな風に気の利いた言葉言えるんだな」
ユースケとしては本気で感心してそう言ったのだが、ナオキは不機嫌そうに顔を歪めて「お前、なんつー言い草だ」と憤慨していた。休日、しかも研究室が工学府棟全体で計画停電が行われるために活動を禁止させられていたので、ユースケはナオキについていって大学校内を散歩していた。二人とも運動は得意ではないくせに、運動場に来て運動部の活動を木陰の下で眺めていた。
「ま、誰しもが同じようには生きられないってことなんだろうな。そうじゃなきゃ、皆この世界で色々悩みながら生きてねえよな」
「何か今日はやけにセンチメンタルな言葉選びですなあ。最近何かあったの? 振られたとか?」
「お前なあ、よくそんなこと言えるなあ。その振られた友人とやらが泣くぞ」
「泣かない泣かない。アイツはそんなことじゃ泣かないって」
軽口を叩き合いながら運動場を眺めていると、ボールが高く上がりそのままユースケたちの方に転がってきた。近くに来たボールに互いに目配せし合い、互いに「お前がボール届けに行けよ」と目で争っている間に部員らしき人物がやって来た。ボールの近くにいたのに何もしなかった怒りからか、ユースケたちに鋭い視線を向けながら、踵を返して戻っていく。その先には、タケノリがいた。高等学校のときよりもさらに引き締まって筋肉のついた身体は、この寒空の下でもまったく寒そうではなかった。
「あれがお前の地元時代からの友達か。お前にはもったいなさそうな奴だな」
「ナオキって本当に失礼な奴だな。アイツなくして俺はいないし、俺なくしてアイツはいないぞ」
「ふうん」
ナオキは心底どうでも良さそうにそう言うと、木から離れて、散歩を再開させた。ユースケもタケノリに手を振ってから、ナオキの後を追いかけた。研究室のない休日に何をしようかと考えていたユースケは半ば強引にナオキについていったが、ナオキも迷惑そうな顔をしながらも断りはしなかった。
ナオキはそれから、学府棟を巡っていった。それぞれの学府棟も、すべて同じ構造のように思えてどこかしら違うところがあり、配色も違うことから、眺める分には中々面白い。
それぞれの学府棟を巡った後、校内の中央に位置するユースケたちの学生寮から南に下ったところにある農場へ向かった。ユースケにとっては何度も地元で見てきた光景に似通っていたので新鮮さも何もなかったが、案外望遠大学校に来てこの農場に感動する学生は多いらしい。それでも学年を経るにつれて、すっかり馴染みの景色となる。ナオキはその農場をじっくり眺めるようにしながらそこをも越えて、まるで国が大切に保存して経営する記念公園を彷彿とさせるような自然の中へと足を踏み入れていく。この樹々や平原の先に学生寮があるらしいが、ユースケは未だにその存在を確認したことはない。
「ユースケ、研究はどんな感じなんだ」
「へ、研究? うーん、まあ、まあまあじゃね? マスター学生の先輩はめっちゃ面倒見てくれるし、研究するには何も困ったことはないな」
「そうか……宇宙船、かあ。皆の希望を作ろうとしてる奴がユースケだって知ったら、世間の奴らはどう思うんだろうな」
一瞬、ユースケはいつものように馬鹿にされたのだと感じてナオキを睨むが、ナオキはやけに物思いに耽っているような顔で樹々を見上げながら歩いていたので、ユースケも怒りのやり場ををなくして戸惑った。
大学校内の自然にあまり足を踏み入れたことはなかったが、思ったよりも道は整えられており、かといってコンクリートの道にはなっておらず、散歩するには最適だった。今度フローラが昼から休めるときにはこの森林を散歩するのも悪くない気がしてきた。
ふいに、ぴゅうっとナオキが口笛を吹いた。あまりにも綺麗な音色にユースケもほうっとため息が漏れた。ナオキはなおも口笛を吹きながら、青々しい常緑樹の葉を見上げていた。
「なあ、俺を主人公にした小説書いてくれよ」
「はあ?」
それまでの爽やかな雰囲気はどこに行ったのか、ユースケが提案した途端にナオキは眉を顰めた。せっかくの綺麗な景色が、不機嫌な男のせいで台無しである。
「なあ、書いてみてくれって。良いだろ?」
「……自分が主人公の物語って、何か嫌じゃね? 俺だったら絶対読まないんだが……」
「俺はお前が面白く書いてくれるって信じてるぜ」
ユースケも思い付きのくせにやけに頑固である。ナオキも鬱陶しそうに難しい表情のままだったが、やがて根負けして、深いため息をついた。
「お、書いてくれるのか? あざーす」
「お前が宇宙船造ったら、考えてやるよ。そのためにも、俺も色々頑張るかあ」
ナオキはそれから、「日も短いしそろそろ戻るか」と言って元の道を引き返す。ユースケは、以前迷ったこともありどこへ向かえば良いのか全然分からなかったが、ナオキは迷いなく進んでいく。ユースケはナオキの足取りに感心して、その後を追いかけていった。途中からナオキは鼻歌を歌い出したので、ユースケもそれに合わせて歌うと、どこかで野鳥が鳴いたような気がした。
ナオキとの散歩で改めて校内の自然の豊かさに感動したユースケは、それから何度か足を運ぼうとしたのだが、研究室での活動や最後の授業の課題に追われて中々明るい時間に行くことが出来ないでいた。それならば朝早くに起きて向かうという方法を取ればよいのだが、この男ユースケ、まったくと言って良いほど朝に弱いのである。
最近ではユキオも研究室で忙しいらしく、泊まり込みの日もあるようなのでそんなユキオを朝早くに誘うのは偲ばれた。かと言ってもう一度ナオキを誘ってみても「嫌だ」の一点張りであった。そこで思い出したのが、タケノリだった。
研究室に向かう直前、ユースケは電話をかけてみた。コール音が長引き、流石にもうどこかしらに出かけたのかと思って受話器を置こうとしたタイミングで、受話器の向こうからタケノリのくぐもった声が聞こえた。
『もしもし、ユースケ? 随分久し振りだな』
「おう久し振り。なあ、どっかの早朝にちょっと散歩しに行かね?」
『へ、散歩?』
ユースケもいきなりの相手に話題を振るのが雑である。それでも、付き合いが長く理解の早いタケノリは、ユースケが少しばかり言葉を付け足しただけで事情を把握したが、その後不気味に黙り込んでしまった。ユースケは何かタケノリの気に障るようなことを言ってしまったかと慌てたが、やがてタケノリがようやく口を開いた。
『ユースケの彼女さん、かどうかよく分からない人?のフローラさんって人に会ってみたいな。俺の彼女もユースケに会いたがってたし、四人で行こう』
思わぬ展開に、ユースケも戸惑って意味の分からぬ言葉を発しまくった。それに苦笑するタケノリの笑い声がやけに懐かしく感じられ、目の奥が熱くなった。