第1話

文字数 2,364文字

 望遠大学校では毎年冬になると雪が積もる。入学して一年目はそんなことも知らないものだから、雪が降って積もった一年目は無邪気にはしゃいで遊んだものだが、二年目になると目新しさもなくなり、むしろ「またか」という気持ちと雪で道が歩き辛くなって面倒臭いという気持ちが先行するようになっていた。
 研究室に所属してから二か月が経ち、ユースケもすっかり馴染み、去年と同じように「また今年も降るのか」と面倒臭がる気持ちの余裕も出てきた頃に、いきなり訃報が届いてその気分どころではなくなった。
 自殺者の噂が流れた。ユースケが大学校に入学してから三人目だった。

「ユースケもいい加減落ち込むなよなあ」
 昼時間、いつものようにリュウトたち三人と食事を摂っているとき、リュウトが優しい声音ながらも呆れたように言った。先ほどからユースケは何度も好物の照り焼きを箸で掬い上げてはぷるぷる震えて落としていた。落ちた箇所が微妙にタレで汚れ、それを拭きながらチヒロも「ちょっとは零さないようにしなって」と心配していた。
「ほんっとユースケってば、そんな図体しといて繊細よねえ。そんなんじゃ彼女が出来ても振られるかんね」
「……いやあ、俺は彼女出来たら絶対振られないと思うけどね」
 口だけは一丁前なユースケにチヒロが「出来たこともない人が何言ってんだか」と冷たく言い放つ。その会話に紛れてチヒロはリュウトから唐揚げを横取りしようとするが、目ざといリュウトに優しい手つきで阻まれる。この二人、タイプは正反対そうなのに食べ物の好みは一致しているらしい。
「……気晴らしにどっか皆で遊びに行かない? ダメかな?」
 ユキオが控えめな声でそう提案する。チヒロが真っ先に「それナイスー!」とユキオの肩をバシバシと叩いた。しかしユースケは、そんな皆の気遣いをありがたく感じながらも、そうすることに抵抗を憶えていた。
「いや、なおさら研究頑張らなくちゃいけねえ気がするから午後も研究室行ってくるわ。今度の休日にでも行こうぜ」
「そ、そう、だよね、ごめんね」
「いやいや、そんな気にすることねえよ」
「……ユースケ君は、研究室、順調そうなんだね」
「んー順調じゃあねえけど、でもまあ、何かやり方は分かってきたかな。先輩たちの研究テーマも何となく分かってきたし」
 ユースケがそう答えるも、ユキオは俯きがちにおにぎりを見つめているだけだった。流石にユースケも気になって「ユキオはどうなんだよ」と訊いてみるが、ますます俯いてその表情に差す翳を濃くさせた。
「僕は……やっぱり僕には、機械工学なんて向いてない気がするんだ」
「向いてない? どうしてそう思うんだよ」
 不安そうなユキオの声に、リュウトが身を乗り出してきた。リュウトは基本的に、恋人のチヒロや一年生のときからの付き合いであるユースケよりも、ユキオに対して一番優しかった。そのことにチヒロもユースケも不満でリュウトをちらりと睨む。それらの妬む視線に配慮するように、おずおずと話し始めるユキオの声も小さくなった。
「僕さ、今の専攻も、家族に将来この分野だけはずっと必要とされ続けるからって、そういう理由だけで選んだんだ。だけど、考えることならともかく、自分の手で作業することなんて、手先も不器用だし、別に特段好きでもないことだし……あ、ごめんね、こんな話しちゃって、忘れてっ」
 ユキオは無理やり話を中断して、さっさとおにぎりを平らげようとする。
「別にそういう理由で進路を選んだって良いじゃないか」
 リュウトは慰めるようにそう言ったが、その言い方はどこか、自分にも言い聞かせているような雰囲気があるように、少なくともユースケは感じた。それに気づいているのかいないのか、チヒロもリュウトに賛同するようにうんうん頷いて再びユキオの肩を叩くが、ユースケはユキオの悩みにも、リュウトの慰めの言葉にも、どこか納得が出来なかった。しかし、このもやもやをどういう説明をつけて解消すれば良いのか分からず、ユースケも曖昧に相槌を打つだけに留めた。それでも、ユキオは少しは不安を払拭できたのか、顔色を明るくさせ、休日に遊びに行く予定を入れてから工学府棟へと向かった。
 ユキオの専攻は機械工学で、リュウトの専攻は先端エネルギー学かあと、ユースケは今更ながらに確認するが、研究室で過ごしていくうちにそれらの分野に対して何か今までと違う視点から見た考えが生じてきそうな、そんな予感が漠然としていた。

 研究室に行くと、研究室に所属して以来初めて見ることになるシンヤの姿があった。大雑把で乱暴そうな見た目に反して、ずっと空いていたユースケの隣の机を丁寧に掃除していた。シンヤはレイの一つ年上のマスター学生であった。ユースケが後ろから恐る恐る近づくと、野性の勘が働くのか、それまで大人しく掃除していた手を止めくるっとユースケの方を振り向いた。その勢いにユースケも「うおっ」と驚いて足踏みしてしまい、シンヤもシンヤで思ったよりも背の高いユースケ相手に驚いたのか「うおっ」と仰け反っている。強面に反してその声は柔らかかった。
「あのー……シンヤ先輩、ですよね? お久しぶりです」
「お、おっす……すまん、名前なんだっけ」
「あ、ユースケっす」
 互いに名前を確認し合って再び黙り込んでしまう。まるでお見合いである。気まずく感じて、ユースケは質問を重ねた。
「あの、どうしたんすか? 今までどうしてたんで……す、か……」
 ユースケが尋ねようとすると、シンヤの強面の顔がぶわっとくしゃくしゃに歪み、ユースケの言葉も途切れがちになった。シンヤは地面に視線を落とし、その厳つい顔からは想像できないほどの小声で確かに言った。
「お前が噂を知っているかどうかは知らねえが……まあ、その噂に関係あることで、ちょっと、な」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み