第21話
文字数 3,055文字
弁当も食べ終え、小屋に備わっている、一体誰が回収しに来ているかもわからないゴミ箱に空の弁当箱を放り入れ、休憩時間もほどほどに取るとセイラがおもむろに立ち上がり、早く行きたそうにそわそわし始めた。目の前に聳え立つ低い山の頂点を見上げて、両手を広げて胸いっぱいに空気を吸い込んでいる。その際に背伸びして、足がプルプル震えていた。
「それじゃあ、そろそろ行きましょう」
ユズハが皆の顔を見渡してそう宣言した。皆もめいめいに手を挙げて賛成の意を示して、それぞれ荷物を背負って準備した。ユズハも自分のリュックとキャリーケースに手を伸ばすと、セイイチロウがのっそりと近づいていった。ユースケは思わずその行く末が気になって、自分の荷物を持ち上げる手も止めて二人を見守った。
「山に入るし、それ重いだろうから持つよ」
「えっ?」
セイイチロウはそう言って、ユズハの背負おうとしているリュックを軽々と持ち上げる。ユズハも目を見開いてセイイチロウの方を向いた。背の高いセイイチロウがそう言うともっともらしく聞こえ、実際タケノリやカズキは「気が利くじゃん」程度にしか捉えていないようであまり気にしていなかったが、ユースケにはこれがセイイチロウなりの精一杯のアピールであるのだと、分かりやすかった。
「いいの?」
「おう」
ユズハが自分のリュックに伸ばしかけた手と、セイイチロウとを交互に見比べる。そして、少し逡巡した後に、そのままリュックを掴んでセイイチロウの方へと優しく押した。
「じゃあ、お言葉にアマエテ」
ユズハに渡されたリュックを、セイイチロウは意味深に見つめながらも、躊躇いがちにそれを前に背負った。背中にも自分のリュックを背負っているため、まるで達磨のようである。不格好ながらも、セイイチロウの勝利であるとユースケは嬉しくなって小さくガッツポーズしていたが、「お兄ちゃん、ぼうっとしてないで早く前歩いてよ」とユリに背中からどつかれて倒れそうになる。
山に入ると一気に爽やかだった景色が鬱蒼とした暗い景色に変わり、背の高い木から伸びる枝葉が陽の光を遮っていた。道もあまり整えられておらず、逞しく伸びている根っこに足を躓きそうになる。ユースケは、後ろを歩く人たちのことを考え、ゆっくりと歩き、引っかかりそうな根っこがあるときはわざと大袈裟な動きをしてみせた。木々を吹き抜ける風は、いつもユースケとユズハが登校するときに通る森の中で受ける風とはまた違った雰囲気が感じられ、涼しげで荒々しかった。ゆっくりとしたペースではあるが、それでも歩いても歩いても変わらぬ景色からは、自然の雄大さを思わせた。木立から差し込む木漏れ日がユースケたちや道を優しく照らしていた。
ユースケは、コトネの町の近くにあった、山の消し飛んだ跡地を思い出した。ユースケの今目の前に広がっている自然は、とてもユースケの手には収めきれないほど大きく、どっしりと構えており、ユースケたち人間とは異なるある種の尊厳を感じさせた。そんな山の自然ですら、かつて一瞬で消し去ってしまうほどの兵器が存在していたというのが、ユースケにはとても信じられず、怖く感じると同時に、人間の持つパワーというのもやはり大きなものであると感心していた。この雄大な自然をも消し去ることが出来る人間の知恵と力を正しい方向に向けさせられれば、きっと暗い未来も吹き飛ばせるんじゃないかとユースケは信じていた。先日聞いたユズハが語っていた話が、言葉としてではなく、きちんと納得感を伴って理解できたような気がした。
背後の方では、草原を突っ切る畦道を歩いていたときと同じように、女性陣はキャッキャッと囁き合っていたが、この山の雰囲気に当てられたのか、その声は低くどこか大人しかった。
「なあユースケ、ユースケって大学校目指してるのか?」
控えめな声でカズキが尋ねてきた。振り返ると、涼しい顔で歩いているカズキの横で、早速額に汗を滲ませ、険しい顔でセイイチロウが歩いていた。その二人の並んでいる図が対照的で面白く、ユースケは口の端から笑みを零した。
「ああ、そのつもりだけど」
「そうなんだ。ユースケ、大学校行くのかあ」
カズキは頭上を仰いで、呪文のようにその言葉を繰り返した。上を見上げているものだから、ときどき躓きそうになるが、それでもカズキは頭上を仰ぐのを止めない。
「ユースケって、嘘は言わねえからなあ。本気で目指すんだろうなあ。行けるかどうかは別として」
「おい、聞き捨てならないな……行けるに決まってんだろ、舐めんなって」
カズキの余計な一言をユースケは一笑に伏して親指をぐっと立ててみせる。しかし、そのユースケの親指を見もせずに、カズキはもはや何かが取りついたように「そっかあ」とか、「ユースケ本気なのかあ」と恨みがましい声でぶつぶつと唱え続けていた。そのカズキの様子に、これ以上構うのが何だか怖いような気がしてユースケは前方に視線を戻した。その後もしばらく、背後からカズキの呪詛が聞こえ続けていた。何も関係ないことを唱え続けているだけでも十分の怖さがあるというのに、なまじ自分に関係することを口にしているものだから、ユースケとしてはたまったものではなかった。
「そういうカズキは、どうするんだよ」
気を利かしてくれたのか、それとも単に話の延長のつもりなのか、それまで静かに話を聞いていたタケノリがカズキに訊いていた。カズキも呪詛のような独り言を止めて、「うーん」と唸っていた。狐顔のカズキの目がさらに細められ、困ったように眉が下がっているのが目に浮かぶような声音だった。
「俺なあ、ちょっと悩み中」
「何と何に悩んでるんだ?」
「何と何に、というか……何と悩めば良いのかを悩んでるというか」
「なんだそりゃ」
タケノリが、決して人を馬鹿にするようなものではなく、純粋にカズキの言い方が可笑しいという風に笑った。カズキも上手い言葉が見つからないのか、自分でも苦笑しながらいつまでも「うーん」と唸り続けていた。もはや、そういう鳴き声の動物がいるかのようだった。しばらくして、カズキの頭はパンクしたようで、「あー」と悲鳴を上げながら頭をくしゃくしゃにしていた。
「あーあ、俺もユースケみたいに単純な性格で、スパッと決められればなあ。羨ましい」
「……それは褒められてるんだよな?」
「多分」
おどけた口調で答えるカズキの横では、セイイチロウが険しい顔のまま、汗をハンカチで拭いながら懸命に歩いていた。話の流れでセイイチロウにも訊こうかと考えていたユースケだったが、流石にその余裕はなさそうと考え、訊く代わりに歩くスピードを少し落とした。
低い山ではあるが、それなりに急な坂が続くときもあり、そのときにはユースケも背後を、特にユリとセイラを振り返りながら歩くスピードを調整した。幸いなことに、最近体調の怪しかったユリも、長い間入院生活の続いていたセイラも一度も辛そうにすることなく、割と余裕そうにユズハやアカリと話しながら登っていた。一番余裕そうだったのは、やはり運動部に所属しているタケノリであり、汗一つ掻かずに涼しい顔でぐいぐいと足を運んでおり、すぐ後ろを歩いているはずのカズキやセイイチロウと距離が開くことが間々あった。時折、後ろを振り返りセイラに向かって「辛かったら荷物持つからなあ」と声を掛けているが、すかさずセイラも「そういうお節介いらないから」と返した。女子には人気のあるタケノリも妹には軽くあしらわれるのであった。
「それじゃあ、そろそろ行きましょう」
ユズハが皆の顔を見渡してそう宣言した。皆もめいめいに手を挙げて賛成の意を示して、それぞれ荷物を背負って準備した。ユズハも自分のリュックとキャリーケースに手を伸ばすと、セイイチロウがのっそりと近づいていった。ユースケは思わずその行く末が気になって、自分の荷物を持ち上げる手も止めて二人を見守った。
「山に入るし、それ重いだろうから持つよ」
「えっ?」
セイイチロウはそう言って、ユズハの背負おうとしているリュックを軽々と持ち上げる。ユズハも目を見開いてセイイチロウの方を向いた。背の高いセイイチロウがそう言うともっともらしく聞こえ、実際タケノリやカズキは「気が利くじゃん」程度にしか捉えていないようであまり気にしていなかったが、ユースケにはこれがセイイチロウなりの精一杯のアピールであるのだと、分かりやすかった。
「いいの?」
「おう」
ユズハが自分のリュックに伸ばしかけた手と、セイイチロウとを交互に見比べる。そして、少し逡巡した後に、そのままリュックを掴んでセイイチロウの方へと優しく押した。
「じゃあ、お言葉にアマエテ」
ユズハに渡されたリュックを、セイイチロウは意味深に見つめながらも、躊躇いがちにそれを前に背負った。背中にも自分のリュックを背負っているため、まるで達磨のようである。不格好ながらも、セイイチロウの勝利であるとユースケは嬉しくなって小さくガッツポーズしていたが、「お兄ちゃん、ぼうっとしてないで早く前歩いてよ」とユリに背中からどつかれて倒れそうになる。
山に入ると一気に爽やかだった景色が鬱蒼とした暗い景色に変わり、背の高い木から伸びる枝葉が陽の光を遮っていた。道もあまり整えられておらず、逞しく伸びている根っこに足を躓きそうになる。ユースケは、後ろを歩く人たちのことを考え、ゆっくりと歩き、引っかかりそうな根っこがあるときはわざと大袈裟な動きをしてみせた。木々を吹き抜ける風は、いつもユースケとユズハが登校するときに通る森の中で受ける風とはまた違った雰囲気が感じられ、涼しげで荒々しかった。ゆっくりとしたペースではあるが、それでも歩いても歩いても変わらぬ景色からは、自然の雄大さを思わせた。木立から差し込む木漏れ日がユースケたちや道を優しく照らしていた。
ユースケは、コトネの町の近くにあった、山の消し飛んだ跡地を思い出した。ユースケの今目の前に広がっている自然は、とてもユースケの手には収めきれないほど大きく、どっしりと構えており、ユースケたち人間とは異なるある種の尊厳を感じさせた。そんな山の自然ですら、かつて一瞬で消し去ってしまうほどの兵器が存在していたというのが、ユースケにはとても信じられず、怖く感じると同時に、人間の持つパワーというのもやはり大きなものであると感心していた。この雄大な自然をも消し去ることが出来る人間の知恵と力を正しい方向に向けさせられれば、きっと暗い未来も吹き飛ばせるんじゃないかとユースケは信じていた。先日聞いたユズハが語っていた話が、言葉としてではなく、きちんと納得感を伴って理解できたような気がした。
背後の方では、草原を突っ切る畦道を歩いていたときと同じように、女性陣はキャッキャッと囁き合っていたが、この山の雰囲気に当てられたのか、その声は低くどこか大人しかった。
「なあユースケ、ユースケって大学校目指してるのか?」
控えめな声でカズキが尋ねてきた。振り返ると、涼しい顔で歩いているカズキの横で、早速額に汗を滲ませ、険しい顔でセイイチロウが歩いていた。その二人の並んでいる図が対照的で面白く、ユースケは口の端から笑みを零した。
「ああ、そのつもりだけど」
「そうなんだ。ユースケ、大学校行くのかあ」
カズキは頭上を仰いで、呪文のようにその言葉を繰り返した。上を見上げているものだから、ときどき躓きそうになるが、それでもカズキは頭上を仰ぐのを止めない。
「ユースケって、嘘は言わねえからなあ。本気で目指すんだろうなあ。行けるかどうかは別として」
「おい、聞き捨てならないな……行けるに決まってんだろ、舐めんなって」
カズキの余計な一言をユースケは一笑に伏して親指をぐっと立ててみせる。しかし、そのユースケの親指を見もせずに、カズキはもはや何かが取りついたように「そっかあ」とか、「ユースケ本気なのかあ」と恨みがましい声でぶつぶつと唱え続けていた。そのカズキの様子に、これ以上構うのが何だか怖いような気がしてユースケは前方に視線を戻した。その後もしばらく、背後からカズキの呪詛が聞こえ続けていた。何も関係ないことを唱え続けているだけでも十分の怖さがあるというのに、なまじ自分に関係することを口にしているものだから、ユースケとしてはたまったものではなかった。
「そういうカズキは、どうするんだよ」
気を利かしてくれたのか、それとも単に話の延長のつもりなのか、それまで静かに話を聞いていたタケノリがカズキに訊いていた。カズキも呪詛のような独り言を止めて、「うーん」と唸っていた。狐顔のカズキの目がさらに細められ、困ったように眉が下がっているのが目に浮かぶような声音だった。
「俺なあ、ちょっと悩み中」
「何と何に悩んでるんだ?」
「何と何に、というか……何と悩めば良いのかを悩んでるというか」
「なんだそりゃ」
タケノリが、決して人を馬鹿にするようなものではなく、純粋にカズキの言い方が可笑しいという風に笑った。カズキも上手い言葉が見つからないのか、自分でも苦笑しながらいつまでも「うーん」と唸り続けていた。もはや、そういう鳴き声の動物がいるかのようだった。しばらくして、カズキの頭はパンクしたようで、「あー」と悲鳴を上げながら頭をくしゃくしゃにしていた。
「あーあ、俺もユースケみたいに単純な性格で、スパッと決められればなあ。羨ましい」
「……それは褒められてるんだよな?」
「多分」
おどけた口調で答えるカズキの横では、セイイチロウが険しい顔のまま、汗をハンカチで拭いながら懸命に歩いていた。話の流れでセイイチロウにも訊こうかと考えていたユースケだったが、流石にその余裕はなさそうと考え、訊く代わりに歩くスピードを少し落とした。
低い山ではあるが、それなりに急な坂が続くときもあり、そのときにはユースケも背後を、特にユリとセイラを振り返りながら歩くスピードを調整した。幸いなことに、最近体調の怪しかったユリも、長い間入院生活の続いていたセイラも一度も辛そうにすることなく、割と余裕そうにユズハやアカリと話しながら登っていた。一番余裕そうだったのは、やはり運動部に所属しているタケノリであり、汗一つ掻かずに涼しい顔でぐいぐいと足を運んでおり、すぐ後ろを歩いているはずのカズキやセイイチロウと距離が開くことが間々あった。時折、後ろを振り返りセイラに向かって「辛かったら荷物持つからなあ」と声を掛けているが、すかさずセイラも「そういうお節介いらないから」と返した。女子には人気のあるタケノリも妹には軽くあしらわれるのであった。