第11話

文字数 3,045文字

 しばらく昔を懐かしんでいた様子の老人たちは、ふと思い出したように一斉にユースケのことを見つめてきた。置いてけぼりにされたと思いきや今度は急に視線が自分に集まり、何が何だか分からなかったユースケは困惑した。
「コトネちゃんの弟はそういやユースケ君に似てたねえ」
 老人の誰かがそう言うと、皆が一様に頷いた。ユースケもそんなことをコトネに聞いていたからか、思わず皆と同じように頷くと、老人たちはそれを見て可笑しそうに笑った。
「大学校かあ。大学校行けば爺ちゃんたちのためにもなるかな」
「あれ、ユースケ君はずっとここにいるんじゃないのか?」
「バカ、ユースケちゃんを困らせるようなこと言うんでない」
「コトネちゃんと一緒に働いてる奴らはちゃんとフォローしてあげてるかねえ」
「大学校かあ……」
 すっかり心が大学校に向いているユースケと、ユースケを可愛がる爺さんと婆さんとが互いに揉めたりコトネを案じていたりしてもはやしっちゃかめっちゃかな状況であった。そんな風にして揉める老人たちの様子を眺め、この人たちを支え続けていたというコトネの弟の話が何度も頭の中で反芻するうちに、ユースケの気持ちはゆっくりとだが確かにある方向へと傾いていった。

 翌朝、ユースケはちゃっかりコトネに起こされるよりも前に起床して、早速荷物をまとめていた。夜が明けてすらいないため、辺りは未だ暗く、ユースケは欠伸を何度もかみ殺した。荷物をまとめ終え、リュックを背負ったユースケは、もう一度部屋をじっくりと見渡した。
 何もない部屋。唯一壁に飾られた風景画は、その力強さからして、恐らくコトネの弟が描いたものであるとユースケは確信していた。コトネの弟は、この絵にも込めたように、町の人たちに力強く、明るく生きて欲しくて、それを絵に描いたのだ。ユースケはその絵にそっと触れ、その絵を弟に見立てて、誓いを立てた。コトネの弟が願った想いを受け継ぎ、その想いを多くの人に振り撒いてくると勝手に約束した。
 その絵を見つめながら、ユースケは部屋を出た。置手紙代わりに、ユースケは教科書の何も書かれていない余白の部分を千切り、その余白にメッセージを添えてそっといつもの食事をするテーブルに置いた。それから音を立てないようにそっと玄関を開けて、家の脇に停めさせてもらった自転車に跨った。自転車を雨から守るための屋根がないため、ユースケがこの町に滞在したこの二週間ちょっとで雨が降らなかったのはラッキーでしかなかった。
 町をもう一度振り返り、心の中で別れを告げようとしたら、先ほどユースケが出てきた玄関から静かにコトネが寝間着姿で出てきた。随分と眠そうで目つきがきつく、音もなく現れたのでユースケは一瞬びくっとした。
「あんた、急に出ていくね。相変わらず呆れた行動力」
 コトネが不機嫌そうな声でそう言った。結局話をしたのはコトネから弟の話を聞いたあの晩だけで、その日以前もその日以降も特に会話らしい会話はしてこなかった。ユースケは曖昧に頷いて手を振ろうとしたが、コトネがユースケに向けて手を差し伸べてきて、戸惑ったユースケは挙げかけていた手を中途半端な位置で止めた。
 それに苛ついたように、コトネがユースケの手を掴んでぐいっと引っ張った。
「約束しな。もうここには来ないって」
「な、なんでだよ」
 辛辣なコトネの物言いに、ユースケも反射的に反発するが、その言葉とは対照的にコトネは哀しそうにユースケのことを見つめていた。
「あんた、言ったよね。あたしの弟とあんたは同じだって。それに、あんたはこれからまだまだ先があって、大学校とかどこか研究施設に行くかもしれない。なら、あんたのいる場所は、あたしの弟と同じ想いを持つあんたのいるべき場所は、こんな所じゃないから。またここに寄り道しに来たときには引っ叩いてやるからね」
 コトネは目を細めてユースケを睨みつけたが、その目はあまりにも切ない雰囲気を孕んでおり、あまりにも迫力のない目つきだった。ユースケは優しくコトネの手を握り返した。コトネも戸惑ったように目を泳がせたが、やがて優しく握り返してくれた。
「ああ、全力で頑張ってみるよ。これが俺のやりたいことだから」
 コトネは瞳に浮かぶ哀しい色を光らせながらも、ふっと表情を和らげ笑った。名残惜しそうに手を見つめながらもゆっくり離し、ユースケはコトネを振り向いたまま自転車を漕ぎ始めた。コトネは小さく手を挙げて、控えめに振った。途中で何度も、空いているもう片方の手で目元を拭いながらも、コトネはユースケに向けて手を振り続けていた。ユースケもコトネに負けじと手を振り続けた。後ろを向きながら漕いでいるため、何度かバランスを崩しそうになるも、それでもコトネの姿が見えなくなるまで振り続けた。
 どこかで虫の音がリィンと鳴いた。夜明けが近づく匂いがして、ユースケは漕ぐスピードを上げた。

 猛スピードで自転車を飛ばした結果、おおよそ授業も終わる昼過ぎぐらいの時間に、ユースケは学校の前を通りかかった。初めは急いで帰ってその日のうちに学校に行こうかと考えていたユースケだったが、想像していた以上に距離があり、道のりも険しくすっかりバテててしまったので、そのまま学校を後にして帰ることにした。
 森を懐かしく感じながら抜けて家に向かうと、何故か玄関前でタケノリたちが暇を持て余した感じで突っ立っており、ユリがいつも行く田畑の方を眺めていた。傍から見ると怪しい不審者の集団にしか見えなかったが、そうしているタケノリたちを目撃して、ユースケは学校は単純に休日だったのかもしれないと思い至った。
 今日が休日かどうか頭の中で日数を計算しながら、するするっとタケノリたちの前まで行くと、タケノリたちは「うわっ」と叫んで後ずさった。その反応にユースケはニヤついたが、タケノリたちは幽霊でも見たかのようにぽかんと口を開けたまま言葉が出てこない様子だった。ユースケが手を目の前で大きく振ってみせると、最初に我に返ったのはタケノリだった。
「お前、今までどこ行ってたんだよっ」
 動揺したように声を高くするタケノリに、ユースケは不気味にニヤつきながら「ちょっとな」とわざと意味深に呟いて、自転車を停めに行った。その最中、ユースケの背後で「アイツ頭でもうったのか?」と失礼なことを呟くカズキの声が聞こえた。
 駆け足でユースケが戻ってくると同時に、ユリが向かいから麦わら帽子を振り回しながらやって来るのが見えたので、ユースケは何か言っているタケノリたちを放ってユリの方へ駆け出した。ユリも向かいから迫ってくる人影に気がつき、それでも最初はユースケだとは気づかずに瞬きを繰り返していたが、やがてユースケだと気づき、困ったような嬉しいような複雑な表情を浮かべて、ユースケの勢いにつられてそっと走り始めた。ユースケはユースケで、コトネの弟の話を聞いてからというものの、コトネの弟と同じく身体の弱いユリのことが何度も思い起こされて仕方なかったため、普通に何事もなく歩いているユリの姿に感極まって想いを爆発させていた。
 ユリの元まで駆けつけて、ユースケはユリの肩を掴んだ。ユリが「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げてユースケも驚いてその手を離すが、その後ユリの周りをぐるぐる回る。急に不審な動きをする兄にユリは戸惑いながらも怪訝そうにユースケを睨むが、ユースケはそんなことも気にせずに、やがてユリの前へ戻って、顔を確認してにっこりする。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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