第2話
文字数 3,033文字
休憩を挟むものの三時間たっぷり行われた必修の授業で疲労困憊の労働者みたいに顔をやつれさせたユースケは、行きのときと同じようなとぼとぼとした頼りない足取りで食堂に向かっていた。学府棟の前のメタセコイアの並木道を進んでいき、学生寮付近の泉近くになると、男女のグループが至る所で集まって大きな声ではしゃいだり、乳繰り合ったりしていた。ユースケはそれらの光景を尻目に眺めると、何故か急速にお腹の方から空腹を訴えかけるような音がけたたましく鳴り、途中から駆け足になって食堂へ向かった。
食堂を内包するショッピングセンターも、地元で通っていた学校の校舎三つ分はあるぐらい大きく、たっぷり六階建てとなっている。そのうちの一階、二階が食堂や売店となっており、それ以上の階は本を始め、衣服、生活雑貨、地元にいる間には見たこともないような機械類など、生活する上で困らないぐらい一通りの物が揃って売り出されていた。地下には色々な食材が売られているスーパーとなっており、望遠大学校内で生活が完結するほどラインナップは充実している。
だだっ広い食堂の中、美味しそうな匂いをかぎ分けて進んでいくと、見慣れた面々が既に席に着いて静かに盛り上がっているのを発見し、ユースケの足もそちらに向かう。向こうの方も近づいてくるユースケの存在に気がついたようで、めいめいに手を挙げたり会釈したりして反応した。
「今日の日替わりは何」
「て、照り焼き定食だったよ」
「うっひょい! 行ってきやす!」
テーブルに雑に荷物を置き、ロボットのような機械質な声で尋ねるユースケに、おにぎりをちびちびと齧るユキオが答えるとユースケはさっさと飛んでいった。同席していたリュウトもチヒロも呆れた顔でユースケの駆けていく後ろ姿を見送っていた。
しばらくしてユースケが照り焼き定食を盆に乗せて戻ってきた。朝のときのゾンビみたいな顔はどこに行ったのか、すっかりご満悦そうなユースケのにやけ顔にリュウトとチヒロはもう一度呆れ顔で出迎えた。ユキオだけが律義に「嬉しそうだね」とユースケの機嫌を窺っていた。丸い銀縁の眼鏡の奥にある大きな瞳はびくびくしていたが、ユースケがご飯を噛みしめながら「照り焼きは俺の好物だからな」と答えると嬉しそうに細められた。
「やっぱ昼には照り焼きだよなあ。毎日出してくれれば良いのにケチんなよなあ」
「そういやユースケ、お前この夏は実家に帰れたんだっけか?」
「帰ってねえよっ、何だよ急にっ」
好物にありつけてご機嫌だったユースケも、リュウトの問いかけに冷や水を浴びせられたような気分になって、肉食獣の如く唸りながらリュウトを睨みつける。ユースケが大学校に通うようになってから三年目、妹のユリも十九歳になり、背丈も伸び薄幸な雰囲気を濃くさせながらもますます美人になり、それ以上に兄想いがますます進行していたため、それに比例してユースケの妹想いも深刻なものになってしまっていた。それだけに、帰りたくても帰れなかったことで実家が恋しくてしょうがないユースケだったが、そんなことを露も知らないリュウトは全く悪びれない様子で箸をパクパクさせるだけである。
「いや、今年こそユースケの家に遊びに行ってみてえなって思ってたんだよ。チヒロ以外は今年から研究室で忙しくなるだろうからな」
「ダメダメダメ、だからダメだって言ってるだろ。俺の妹に手を出そうとする奴は俺が許さん」
「どんだけシスコンなのよ」
「というか俺、彼女いるし」
ユースケがいよいよ襲い掛からんばかりにリュウトを睨みつけ、奪われるわけでもないのに照り焼き定食を庇うようにテーブルに覆いかぶさる。リュウトも呆れながら、化粧を今日もばっちり決め込んで瞳がくりくりと大きく見えるチヒロを指差しながら冷めた目でユースケを見ていた。
チヒロはリュウトの彼女であった。リュウトは、友人のユースケの贔屓を抜きにしてもイケメンの部類に入る顔をしており、恋愛沙汰に疎いユースケもいくらでも彼女を選べそうな容姿だなあと評していた。スポーツマンみたいに短く切り揃えられた髪に似合う目鼻立ちのくっきりした顔は爽やかで、その爽やかさに反して体格も性格もがっしりどっしりしており、自信に溢れて男らしい。一度ユースケと一緒にいるところに遭遇したタケノリも、「まるでユースケと正反対だな」と失礼なことを間髪入れずに平気で言うほどであった。
しかし、そんなリュウトだが何故かユースケとは気が合い、一年次の教養科目の授業の課題で一緒のグループになったときからの付き合いであった。多くの友達に囲まれた中で一番に目立って場を盛り上げるようなタイプに見えるリュウトであったが、意外にも静かに過ごすことを好んでおり、積極的に交友の輪を広げるタイプではないらしい。チヒロとリュウトは見た目だけならお似合いのカップルに見えるが、チヒロはその見た目通り色々と交友関係を広げて多くの友人と付き合うタイプであり、中身は丸っきりリュウトと違っていた。それなのに、リュウトがチヒロと付き合うことになったのは、ユースケとしても意外であった。
「でも俺の妹がリュウトに惚れないとは限らないし……」
「ちょっとは妹を信じてやれよ」
「いやいや、お前みたいにかっこいい奴見たらいくら俺の妹でもなあ……」
「でも私はユースケの妹ちゃんと仲良くなりたいんですけどぉ? ユースケって喋んなきゃまあまあだしきっと妹ちゃんも可愛いんだろうなあ。あとすごい気になる、兄がこんなんだし」
「おめえはもっとダメに決まってんだろ、俺の妹を毒に汚染させてたまるか」
「なにぉー! スカポンタンユースケのくせに偉そうにっ!」
チヒロが仕返しとばかりにユースケの懐から照り焼きを一つかっさらっていく。一瞬殴られるかと怯んだユースケは、目を離した隙に照り焼きを奪われて本気で悲鳴を上げていた。その横でリュウトが意地の悪い笑みを浮かべ、ユキオも控えめに笑っていた。
チヒロと揉みあいになりながらも無事(?)に昼食を済ませてユースケは食器を戻して再び三人の元に戻ってきた。チヒロがけらけらと笑っている横でリュウトは柔らかく微笑みながら水を静かに飲んでいた。ユキオはチヒロの騒いでいる中でも集中できるのか、黙々と本を読んでいたが、ユースケが帰ってきたのを認識すると本を閉じて鞄にしまった。
「ユースケ君は研究室、どう? どんな雰囲気?」
「んーまあほどほど。ソウマ先生は良い奴。先輩は一人嫌な奴、あとは良い奴」
「おいおい、同期はいないのかよ」
「同期……同期なあ、あの人何か喋らねえんだもん。やることやったらすぐ帰っちまうし」
ユースケはのんびりした手つきで、ユリから送られてきたせんべいを齧りながら研究室の風景を思い出す。狭い世界で完結していた田舎から飛び出して大学校に来たときには、次々と目新しい世界が飛び込んできて、世界はこんなにも広いのかと感動していたが、研究室はさらに大学校全体の雰囲気ともまた異なり、内に秘めた静かな闘志を燃やしながらもどこか陰気臭さが拭えない印象を受けていた。研究室を纏めているボスであるソウマは、陰気臭さなど全くない、むしろ白髪交じりの髭を生やして厳つくどこかのマフィアみたいな強面であるのだが、その顔に似合わずユーモア溢れ、どんな相手とでも話を合わせられそうな人であり、ソウマが唯一他の研究室や組織との交流の窓口になっているような、そんな研究室であった。
食堂を内包するショッピングセンターも、地元で通っていた学校の校舎三つ分はあるぐらい大きく、たっぷり六階建てとなっている。そのうちの一階、二階が食堂や売店となっており、それ以上の階は本を始め、衣服、生活雑貨、地元にいる間には見たこともないような機械類など、生活する上で困らないぐらい一通りの物が揃って売り出されていた。地下には色々な食材が売られているスーパーとなっており、望遠大学校内で生活が完結するほどラインナップは充実している。
だだっ広い食堂の中、美味しそうな匂いをかぎ分けて進んでいくと、見慣れた面々が既に席に着いて静かに盛り上がっているのを発見し、ユースケの足もそちらに向かう。向こうの方も近づいてくるユースケの存在に気がついたようで、めいめいに手を挙げたり会釈したりして反応した。
「今日の日替わりは何」
「て、照り焼き定食だったよ」
「うっひょい! 行ってきやす!」
テーブルに雑に荷物を置き、ロボットのような機械質な声で尋ねるユースケに、おにぎりをちびちびと齧るユキオが答えるとユースケはさっさと飛んでいった。同席していたリュウトもチヒロも呆れた顔でユースケの駆けていく後ろ姿を見送っていた。
しばらくしてユースケが照り焼き定食を盆に乗せて戻ってきた。朝のときのゾンビみたいな顔はどこに行ったのか、すっかりご満悦そうなユースケのにやけ顔にリュウトとチヒロはもう一度呆れ顔で出迎えた。ユキオだけが律義に「嬉しそうだね」とユースケの機嫌を窺っていた。丸い銀縁の眼鏡の奥にある大きな瞳はびくびくしていたが、ユースケがご飯を噛みしめながら「照り焼きは俺の好物だからな」と答えると嬉しそうに細められた。
「やっぱ昼には照り焼きだよなあ。毎日出してくれれば良いのにケチんなよなあ」
「そういやユースケ、お前この夏は実家に帰れたんだっけか?」
「帰ってねえよっ、何だよ急にっ」
好物にありつけてご機嫌だったユースケも、リュウトの問いかけに冷や水を浴びせられたような気分になって、肉食獣の如く唸りながらリュウトを睨みつける。ユースケが大学校に通うようになってから三年目、妹のユリも十九歳になり、背丈も伸び薄幸な雰囲気を濃くさせながらもますます美人になり、それ以上に兄想いがますます進行していたため、それに比例してユースケの妹想いも深刻なものになってしまっていた。それだけに、帰りたくても帰れなかったことで実家が恋しくてしょうがないユースケだったが、そんなことを露も知らないリュウトは全く悪びれない様子で箸をパクパクさせるだけである。
「いや、今年こそユースケの家に遊びに行ってみてえなって思ってたんだよ。チヒロ以外は今年から研究室で忙しくなるだろうからな」
「ダメダメダメ、だからダメだって言ってるだろ。俺の妹に手を出そうとする奴は俺が許さん」
「どんだけシスコンなのよ」
「というか俺、彼女いるし」
ユースケがいよいよ襲い掛からんばかりにリュウトを睨みつけ、奪われるわけでもないのに照り焼き定食を庇うようにテーブルに覆いかぶさる。リュウトも呆れながら、化粧を今日もばっちり決め込んで瞳がくりくりと大きく見えるチヒロを指差しながら冷めた目でユースケを見ていた。
チヒロはリュウトの彼女であった。リュウトは、友人のユースケの贔屓を抜きにしてもイケメンの部類に入る顔をしており、恋愛沙汰に疎いユースケもいくらでも彼女を選べそうな容姿だなあと評していた。スポーツマンみたいに短く切り揃えられた髪に似合う目鼻立ちのくっきりした顔は爽やかで、その爽やかさに反して体格も性格もがっしりどっしりしており、自信に溢れて男らしい。一度ユースケと一緒にいるところに遭遇したタケノリも、「まるでユースケと正反対だな」と失礼なことを間髪入れずに平気で言うほどであった。
しかし、そんなリュウトだが何故かユースケとは気が合い、一年次の教養科目の授業の課題で一緒のグループになったときからの付き合いであった。多くの友達に囲まれた中で一番に目立って場を盛り上げるようなタイプに見えるリュウトであったが、意外にも静かに過ごすことを好んでおり、積極的に交友の輪を広げるタイプではないらしい。チヒロとリュウトは見た目だけならお似合いのカップルに見えるが、チヒロはその見た目通り色々と交友関係を広げて多くの友人と付き合うタイプであり、中身は丸っきりリュウトと違っていた。それなのに、リュウトがチヒロと付き合うことになったのは、ユースケとしても意外であった。
「でも俺の妹がリュウトに惚れないとは限らないし……」
「ちょっとは妹を信じてやれよ」
「いやいや、お前みたいにかっこいい奴見たらいくら俺の妹でもなあ……」
「でも私はユースケの妹ちゃんと仲良くなりたいんですけどぉ? ユースケって喋んなきゃまあまあだしきっと妹ちゃんも可愛いんだろうなあ。あとすごい気になる、兄がこんなんだし」
「おめえはもっとダメに決まってんだろ、俺の妹を毒に汚染させてたまるか」
「なにぉー! スカポンタンユースケのくせに偉そうにっ!」
チヒロが仕返しとばかりにユースケの懐から照り焼きを一つかっさらっていく。一瞬殴られるかと怯んだユースケは、目を離した隙に照り焼きを奪われて本気で悲鳴を上げていた。その横でリュウトが意地の悪い笑みを浮かべ、ユキオも控えめに笑っていた。
チヒロと揉みあいになりながらも無事(?)に昼食を済ませてユースケは食器を戻して再び三人の元に戻ってきた。チヒロがけらけらと笑っている横でリュウトは柔らかく微笑みながら水を静かに飲んでいた。ユキオはチヒロの騒いでいる中でも集中できるのか、黙々と本を読んでいたが、ユースケが帰ってきたのを認識すると本を閉じて鞄にしまった。
「ユースケ君は研究室、どう? どんな雰囲気?」
「んーまあほどほど。ソウマ先生は良い奴。先輩は一人嫌な奴、あとは良い奴」
「おいおい、同期はいないのかよ」
「同期……同期なあ、あの人何か喋らねえんだもん。やることやったらすぐ帰っちまうし」
ユースケはのんびりした手つきで、ユリから送られてきたせんべいを齧りながら研究室の風景を思い出す。狭い世界で完結していた田舎から飛び出して大学校に来たときには、次々と目新しい世界が飛び込んできて、世界はこんなにも広いのかと感動していたが、研究室はさらに大学校全体の雰囲気ともまた異なり、内に秘めた静かな闘志を燃やしながらもどこか陰気臭さが拭えない印象を受けていた。研究室を纏めているボスであるソウマは、陰気臭さなど全くない、むしろ白髪交じりの髭を生やして厳つくどこかのマフィアみたいな強面であるのだが、その顔に似合わずユーモア溢れ、どんな相手とでも話を合わせられそうな人であり、ソウマが唯一他の研究室や組織との交流の窓口になっているような、そんな研究室であった。