第5話
文字数 3,115文字
そうして飛行機の背に隠れていた夕陽が沈みかけていき、辺りが夜の色に包まれていく頃合いになると、ユースケの妹のユリが家に向かって帰ってくるのが見えた。ユリはユースケが飛ばした紙飛行機を拾い上げた。
ユースケは窓を閉め、急に思い出したかのように再びラジオに向かい合った。出っ張っている部分を押してみては壊れそうになるので力を緩め、伸びている棒の部分を抜こうとしてみるも抜けない仕様になっていて途中で折れそうになってしまいそうになるので再び力を緩め、を繰り返していた。そうやって扱えないラジオと格闘している間に部屋の向こうからどかどかという足音が響いてきて、やがてユリがユースケの部屋の扉を開けて入ってきた。
「お兄ちゃん、なに紙飛行機飛ばしたまま放っておいてるの」
「おかえりユリ」
「ただいま。んでお兄ちゃん」
「ああーちょっと待ってくれ。今お前に構ってる暇ないんだ」
息を荒くして広げられたチラシをユースケに突きつけているユリはそのチラシをユースケに投げつけた。しかし、一度折りたたまれてくしゃくしゃになったチラシはユースケの元まで飛ばずにふわりふわりとユリとユースケの間を揺れた。依然としてユリを無視してラジオを睨んでいるユースケにため息をつきながら、ユリはわざわざユースケとラジオの間を通ってからユースケのベッドに座った。
途端、ユリが咳き込んだ。それでユースケもようやく重たい顔を上げた。
「大丈夫かユリ」
「お兄ちゃんがゴミをポイ捨てするような人じゃなかったら今頃落ち着いて家計簿でも眺めていられたよ」
「すれてんな~走ってくるからだろ。無理すんなって」
その後も文句を言おうとしたユリは再び咳き込んだ。さしものユースケもラジオよりはユリの方が優先のようで、ラジオを蹴飛ばしながら立ち上がるとユリの隣に座る。咳が収まるとユリは蹴飛ばされたラジオをぼうっと見つめた。ユースケがユリの目の前を手で振りかざしてみてもユリは無反応だった。不気味に感じたユースケは慌てて立ち上がり、部屋の中をふらふらとうろつき始めた。普段読みもしない学校の教科書を手にとっては読まずに床に放るのを繰り返している。
ユリもユリで何度も視界をユースケの奇妙な足取りが横切るものだから思わず吹き出した。ゆっくりと立ち上がるとユリはくしゃくしゃになったチラシを手に取った。
「もう、私の体が弱いのは昔から分かってることなのにバカみたい。それよりこれは良いの?」
「バカヤロウ、俺はこれでも心配してるんだぞ」
「分かってるからバカみたいって言ってんの。んで何これ。らじお?って言うんだ、ふーん」
訊いてきたくせにユリはチラシに載っているラジオの写真を見ては一人で勝手に納得して早速興味を示している。そのままチラシをズボンのポケットにしまい、今度はラジオを手にとってくるくると回して様々な角度からじろじろと睨め回していた。さながら鑑定士のようである。
ユースケはユリの手が土で汚れていることに気がついた。ユリは生まれつき体が弱く少しでも空気の悪い場所へ行くとすぐに体調を崩した。そのため学校にも通えず、代わりに日中は家の畑と田んぼの仕事を手伝っている。元々綺麗だったユリの手はここ数年ですっかり皮が厚くなってしまった。
「お前はまず手を洗ってこい」
「ああ、そういえばお兄ちゃんを注意しようとばっかり考えていたからすっかり忘れてた」
ユースケとしては余計なお世話である。
ユリはラジオをユースケに渡すとすんなり部屋を出て行った。閉められた扉の向こうから「ゴミポイ捨てしたことはお母さんに言うからね!」という怒鳴り声が聞こえたが、ユースケは聞こえないふりをして懲りずにチラシで鶴を折っていた。案外上手に折れた鶴にユースケは満足げに鼻を鳴らしていると、母親が勢い良く部屋に入ってきてチラシだった鶴を没収していった。
「それでわざわざ私の所に来たってわけ? あんたって暇ね~」
「うるせい。いいからなんとかしてくれ」
夕ご飯を済ませ、相変わらずラジオの扱い方が分からなかったユースケを見かねてユリが「ユズハお姉ちゃんに訊いてみたら?」と助言してくれたので、ユースケはラジオを片手にすぐさまユズハの家に訪れていた。いきなりの来客にユズハは緩い青色のズボンにピンク色のワイシャツと、ややラフな格好で出迎えるしかなかった。この時間帯の来客などユースケぐらいしかいないものなのだが、玄関を開けた瞬間にユースケの嬉々とした表情が現れたものだからユズハは気味悪がった。
「まあ外寒いし、あんたの家行くかこのまま私の家の中入っちゃいなさいよ」
「今すぐお前の家上がらせてくれ!」
ユースケは露骨に両腕を擦って寒いアピールを示した。厚かましいことこの上ないがユズハも慣れたもので、何も言わずにユースケを家の中に上げていく。そのままユースケがユズハの部屋に向かおうとしたのでユズハはユースケの首根っこを捕まえて「うら若き乙女の部屋に勝手に入ろうとすんな」とリビングへと連行した。
「何がうら若き乙女だ、ついこの間まで普通に上がらせてくれたじゃないか」
「今はちょっと、親も上げられないぐらいだから勘弁して」
しぃっと指を口に当ててひそひそ声でユズハはその訳を説明した。どうやら部屋が散らかっているらしい。存外ユズハもいい加減なユースケにちゃっかり影響されている部分もあるようである。
リビングに入ると、構造はユースケの家とそんなに変わらないが自分の家と違って香ばしい匂いが薫ってきた。台所にはどっしりと大きな鍋が鎮座していた。カレーは昔からユースケの好物で、そのことを知っていたユズハの母親はユースケがユズハの家に遊びに来るといつもカレーを出してくれていた。ユースケはそのカレーの味も、突然やってくるユースケを嫌がることなく料理を振る舞ってくれるユズハの母親も好きだった。
「それで、それがラジオ? へー、あんたも珍しいもの持ってきたわね~」
「面白そうじゃね?」
「どんなものかもまだ分かってないくせに偉そうね」
ユズハは強奪するようにユースケからラジオをひったくるとユリと同様に様々な角度からラジオを確認していた。ユリと違ってじろじろと見るような視線ではなく、軽く確認するといった程度でしか見ていない。一通り確認し終えると、ユズハはため息をつきながら「何で店主さんに使い方確認してこなかったのよ」と悪態をつく。
「いや、色々あってな。猫が大変そうで」
「猫? 猫と確認しなかったこととどう関係あるのよ」
「猫のおかげで買えたというか、猫のおかげで訊くの忘れた……みたいな」
「ふーん……まあ、間抜けなことには変わりないわね」
口ごもるユースケをユズハが一言で切り捨てる。そのあっさりした物言いに、本当に大変そうだったんだぞと大声で主張したくなるユースケだったが、頼み込んで来ている以上強く出ることも出来ないので渋々黙った。
ユズハはラジオを机に置くと自分も座った。どうやら本格的に取りかかるようで、ラジオをぺたぺたと触り始めた。ユースケもつられて椅子に座った。丸い出っ張りの部分を軽く押しても動かないのを見て「これ、ボタンじゃないのね」とユズハは小さくぼやいた。もしかしたら世界基準からすればそんなに貴重なものではないのかもしれないが、ここ片田舎では生活必需品になるようなもの以外の機械類はあまりお目にかかれないぐらいには貴重なものである。ユズハも慎重に触っていくと、押せなかった出っ張りの部分が回せることが判明した。ユースケも「おお!」と期待が高まっていくがユズハはあくまで冷静で色々な部分を押したり回そうと試みたりしている。
ユースケは窓を閉め、急に思い出したかのように再びラジオに向かい合った。出っ張っている部分を押してみては壊れそうになるので力を緩め、伸びている棒の部分を抜こうとしてみるも抜けない仕様になっていて途中で折れそうになってしまいそうになるので再び力を緩め、を繰り返していた。そうやって扱えないラジオと格闘している間に部屋の向こうからどかどかという足音が響いてきて、やがてユリがユースケの部屋の扉を開けて入ってきた。
「お兄ちゃん、なに紙飛行機飛ばしたまま放っておいてるの」
「おかえりユリ」
「ただいま。んでお兄ちゃん」
「ああーちょっと待ってくれ。今お前に構ってる暇ないんだ」
息を荒くして広げられたチラシをユースケに突きつけているユリはそのチラシをユースケに投げつけた。しかし、一度折りたたまれてくしゃくしゃになったチラシはユースケの元まで飛ばずにふわりふわりとユリとユースケの間を揺れた。依然としてユリを無視してラジオを睨んでいるユースケにため息をつきながら、ユリはわざわざユースケとラジオの間を通ってからユースケのベッドに座った。
途端、ユリが咳き込んだ。それでユースケもようやく重たい顔を上げた。
「大丈夫かユリ」
「お兄ちゃんがゴミをポイ捨てするような人じゃなかったら今頃落ち着いて家計簿でも眺めていられたよ」
「すれてんな~走ってくるからだろ。無理すんなって」
その後も文句を言おうとしたユリは再び咳き込んだ。さしものユースケもラジオよりはユリの方が優先のようで、ラジオを蹴飛ばしながら立ち上がるとユリの隣に座る。咳が収まるとユリは蹴飛ばされたラジオをぼうっと見つめた。ユースケがユリの目の前を手で振りかざしてみてもユリは無反応だった。不気味に感じたユースケは慌てて立ち上がり、部屋の中をふらふらとうろつき始めた。普段読みもしない学校の教科書を手にとっては読まずに床に放るのを繰り返している。
ユリもユリで何度も視界をユースケの奇妙な足取りが横切るものだから思わず吹き出した。ゆっくりと立ち上がるとユリはくしゃくしゃになったチラシを手に取った。
「もう、私の体が弱いのは昔から分かってることなのにバカみたい。それよりこれは良いの?」
「バカヤロウ、俺はこれでも心配してるんだぞ」
「分かってるからバカみたいって言ってんの。んで何これ。らじお?って言うんだ、ふーん」
訊いてきたくせにユリはチラシに載っているラジオの写真を見ては一人で勝手に納得して早速興味を示している。そのままチラシをズボンのポケットにしまい、今度はラジオを手にとってくるくると回して様々な角度からじろじろと睨め回していた。さながら鑑定士のようである。
ユースケはユリの手が土で汚れていることに気がついた。ユリは生まれつき体が弱く少しでも空気の悪い場所へ行くとすぐに体調を崩した。そのため学校にも通えず、代わりに日中は家の畑と田んぼの仕事を手伝っている。元々綺麗だったユリの手はここ数年ですっかり皮が厚くなってしまった。
「お前はまず手を洗ってこい」
「ああ、そういえばお兄ちゃんを注意しようとばっかり考えていたからすっかり忘れてた」
ユースケとしては余計なお世話である。
ユリはラジオをユースケに渡すとすんなり部屋を出て行った。閉められた扉の向こうから「ゴミポイ捨てしたことはお母さんに言うからね!」という怒鳴り声が聞こえたが、ユースケは聞こえないふりをして懲りずにチラシで鶴を折っていた。案外上手に折れた鶴にユースケは満足げに鼻を鳴らしていると、母親が勢い良く部屋に入ってきてチラシだった鶴を没収していった。
「それでわざわざ私の所に来たってわけ? あんたって暇ね~」
「うるせい。いいからなんとかしてくれ」
夕ご飯を済ませ、相変わらずラジオの扱い方が分からなかったユースケを見かねてユリが「ユズハお姉ちゃんに訊いてみたら?」と助言してくれたので、ユースケはラジオを片手にすぐさまユズハの家に訪れていた。いきなりの来客にユズハは緩い青色のズボンにピンク色のワイシャツと、ややラフな格好で出迎えるしかなかった。この時間帯の来客などユースケぐらいしかいないものなのだが、玄関を開けた瞬間にユースケの嬉々とした表情が現れたものだからユズハは気味悪がった。
「まあ外寒いし、あんたの家行くかこのまま私の家の中入っちゃいなさいよ」
「今すぐお前の家上がらせてくれ!」
ユースケは露骨に両腕を擦って寒いアピールを示した。厚かましいことこの上ないがユズハも慣れたもので、何も言わずにユースケを家の中に上げていく。そのままユースケがユズハの部屋に向かおうとしたのでユズハはユースケの首根っこを捕まえて「うら若き乙女の部屋に勝手に入ろうとすんな」とリビングへと連行した。
「何がうら若き乙女だ、ついこの間まで普通に上がらせてくれたじゃないか」
「今はちょっと、親も上げられないぐらいだから勘弁して」
しぃっと指を口に当ててひそひそ声でユズハはその訳を説明した。どうやら部屋が散らかっているらしい。存外ユズハもいい加減なユースケにちゃっかり影響されている部分もあるようである。
リビングに入ると、構造はユースケの家とそんなに変わらないが自分の家と違って香ばしい匂いが薫ってきた。台所にはどっしりと大きな鍋が鎮座していた。カレーは昔からユースケの好物で、そのことを知っていたユズハの母親はユースケがユズハの家に遊びに来るといつもカレーを出してくれていた。ユースケはそのカレーの味も、突然やってくるユースケを嫌がることなく料理を振る舞ってくれるユズハの母親も好きだった。
「それで、それがラジオ? へー、あんたも珍しいもの持ってきたわね~」
「面白そうじゃね?」
「どんなものかもまだ分かってないくせに偉そうね」
ユズハは強奪するようにユースケからラジオをひったくるとユリと同様に様々な角度からラジオを確認していた。ユリと違ってじろじろと見るような視線ではなく、軽く確認するといった程度でしか見ていない。一通り確認し終えると、ユズハはため息をつきながら「何で店主さんに使い方確認してこなかったのよ」と悪態をつく。
「いや、色々あってな。猫が大変そうで」
「猫? 猫と確認しなかったこととどう関係あるのよ」
「猫のおかげで買えたというか、猫のおかげで訊くの忘れた……みたいな」
「ふーん……まあ、間抜けなことには変わりないわね」
口ごもるユースケをユズハが一言で切り捨てる。そのあっさりした物言いに、本当に大変そうだったんだぞと大声で主張したくなるユースケだったが、頼み込んで来ている以上強く出ることも出来ないので渋々黙った。
ユズハはラジオを机に置くと自分も座った。どうやら本格的に取りかかるようで、ラジオをぺたぺたと触り始めた。ユースケもつられて椅子に座った。丸い出っ張りの部分を軽く押しても動かないのを見て「これ、ボタンじゃないのね」とユズハは小さくぼやいた。もしかしたら世界基準からすればそんなに貴重なものではないのかもしれないが、ここ片田舎では生活必需品になるようなもの以外の機械類はあまりお目にかかれないぐらいには貴重なものである。ユズハも慎重に触っていくと、押せなかった出っ張りの部分が回せることが判明した。ユースケも「おお!」と期待が高まっていくがユズハはあくまで冷静で色々な部分を押したり回そうと試みたりしている。