第13話 初めて触れる優しさ

文字数 3,902文字

 大学校祭も終わるといよいよ研究室が忙しくなってきた。望遠大学校は四年生で卒業を迎え、その後の進路として都心の企業に就職するか、どこかの研究所に所属するか、はたまた地元に戻って何かしらの仕事に就くか、そしてそのまま学年を繰り上げてマスター学生として研究を続けていくかの選択肢がある。たとえば四年生であるアンズとノリアキはどちらも都心の会社に勤めることが決まっており、レイはマスター学生の一人として研究室で研究を続けている。四年生は、卒業するタイミングで卒業論文を発表し、一通りのプレゼンをするのが必須の課題となっており、アンズとノリアキも徐々にその準備を進めていた。その忙しそうにしている雰囲気に当てられてユースケも研究テーマを探そうとするのだが、中々決まらないでいた。
「俺も研究テーマが決まったの三年の最後の方だから、そんなに焦んなくて良いよ」
 ユースケが夜遅くまで研究テーマ探しに奔走しているとき、レイも必ず夜遅くまで残って何かしらの作業を行なっていた。この時間帯まで残っているのは、先生以外には基本的にユースケとレイだけであり、何回も夜遅くの活動を共にしているうちにこうして話すのがすっかり習慣となっていた。
「でもユースケなら早々に決めてきそうな気はするんだけどなあ」
「そうなんすよねえ……自分でもそう思ってたっす」
「そう思ってるのは良いことだな、多分」
 いつもだったら「調子の良いことを言うな」といったことをユースケの周りは言ってきたのだが、レイはまた違った反応を示すため、ユースケもそんな反応が新鮮だった。友人たちとはまた違った関わりに、これが先輩後輩の関係というものなのかとユースケは感慨深かった。
「そういや夜遅くまでやってるけど、こんな時間まで寮の食事出してくれるのか?」
「いや、今日みたいな日は食堂で済ませてますよ」
「もったいなあ」
 レイはそうしみじみと呟きながら、購買部で買ったあんパンを齧った。ユースケも嘘は言っていなかったが、本当のことをすべて話したわけではなかった。
 あの日からユースケは度々フローラと共に食堂で一緒に遅めの夕ご飯を食べる関係になっていた。自分でもこの関係がどういうものなのかは判断がつかなかったが、一緒に食事が出来るというだけでもユースケには十分嬉しいもので、フローラも時間は前後するものの来ると言った日には必ず来てくれるのでユースケは気にならなかった。リュウトたちにはこのことはまだ話せておらず、ナオキにも「あの後どうなったんだよ」と訊かれて素直に答えると、何とも微妙そうな表情を浮かべるだけだった。それだけ、よく分からない関係だった。
「あ、すんません。俺、そろそろ帰ります」
「お、そうか。鍵はやっとくから。じゃな」
 研究室を最後に退出する人は鍵を閉めるのを任される。ユースケはレイにお礼を言って、研究室を後にする。
 日も短くなって、辺りはすっかり暗くなっていた。メタセコイアの赤く色づいた葉もすっかり落ち、歩くと葉を踏みしめる音が寒々と響いた。ユースケは念の為、直接食堂には向かわずに、校門の方に向かってみた。すると、遠くからフローラがゆったり歩いてきているのが見えたので、ユースケも走って向かう。ぼんやりと宙を見つめていたフローラもすぐにユースケに気がつき、無表情だった顔をわざわざ歪める。
「こんな暗いから少し心配してましたよ。無事で良かったっす」
「そういうの良いから。ほら、さっさと食べに行こ」
 いつものように食堂に入り、ユースケは久し振りにカレーうどんを選ぶ。そこでふとユースケはある思いつきをして、どかずにフローラを振り返る。食券を買ったにもかかわらずどこうとしないユースケにフローラは顔を顰めた。
「なに、どうしたの」
「いつもうどんばっか食べてますけど、違うもの食べたりしないんですか?」
「……あたしは、うどんが好きだから」
「いやあ、でもうどんばっか食べてるどこかの地域で、何とかって病にかかる人が多いって聞きましたし、たまには……これとか」
 そう言ってユースケは、もう一度お金を投入して、鶏肉の蒸し焼き定食を購入する。出てきた食券をフローラに渡すも、フローラはまじまじと食券を見て、そしてユースケを見て、受け取るのを躊躇うように手をあたふたさせた。フローラがこの食堂で素うどん以外を食べているのを見たことがなかった。
「ちょっと、いらないよ」
「でも、もう買っちゃいましたし」
「ならお金は払うから、何円だった」
「そんなん気にしないでくださいよ! あ、でもお肉苦手だったら代わりに俺が食いますんで」
 妙な押し問答を繰り返し、最終的にフローラが折れて食券を受け取った。
 それぞれが食券に記された食事を受け取り、いつものように席に着く。ユースケはマイペースに箸を割って「いただきまーす」と言いながらつるつるっとカレーうどんを啜る。その美味しさに満足して顔を上げると、フローラはじっと自身の定食を見つめているだけで箸を動かそうとしなかった。ユースケは箸を置いて、身を乗り出す。
「やっぱり無理そうでしたか? じゃあこのカレーうどんと交換でも……」
「……貴方には、こういう借りを作りたくなかったんだけど」
「え?」
 意外な言葉にフローラの顔色を窺うと、そこには確かな怒りが現れていたが、その矛先がユースケに対してなのか、それとも別の誰かに対するものなのかは、よく分からなかった。
「私につきまとう男、皆私に奢りたがるし、気味悪いくらい優しくしてくるけど、皆考えてること一緒。皆、私の顔や、身体目当て。貴方もやっぱりそうなんだ。私に奢る代わりに、何か要求しろって、そういうことなんだ」
「いや、違いますって……」
 ユースケはそんな気味の悪い男たちと自分を一緒にされるのが心外で思わずムッとして反発したが、顔を上げたフローラの形相は、そんなユースケの不満も吹き飛ばすほど、激しいものだった。
 ユースケは確かに、初めこそその容姿に惹かれたが、本屋で優しくされたこと、そして「かえで倶楽部」の外で会ったときの本屋では見せたことのない一面に、ユースケの中でフローラに惹かれる理由が変わっていたように自分では感じていた。今もこうして、一緒に食事をしているだけで何かが満たされる気がしていたが、それもただ単にフローラの容姿が理由ではないと、ユースケははっきりと確信していた。
「俺、フローラさんと一緒に食事してるだけですんげー幸せですよ。だから、そんな借りとか言わないで下さいよ。鶏肉の蒸し焼きが好きじゃなかったのは謝りますけど……」
「……じゃあ、これを貴方が買ったのは、どういうこと」
「え、買ったことですか? いやそれは、ちょっと、カッコつけたかっただけですって。すんません、見栄張って、うどんばっか食べてるの身体に悪いかなって思って、それで……」
「……身体に悪いって、私の身体のこと?」
「え? そ、そうですけど……?」
「……それだけ?」
「そ、そうです……いや、あとカッコつけたかったからっすけど……」
 ユースケもしつこくカッコつけたことを強調する。ユースケには、何がフローラの中で引っかかっているのか分からなかったが、依然として怒った形相のフローラに追及するのも忍ばれ、ユースケはちらちらとフローラの様子を確かめながらカレーうどんを再び啜り始めた。もしかしたら怒ってどこか行っちゃうかもなあと、ユースケが暢気にそんなことを考えていると、フローラがようやく箸を手に取って、鶏肉を突く気配がした。ユースケは何だか緊張して、カレーうどんを啜る手を止めてじっとフローラの様子を観察していた。
 フローラは丁寧に鶏肉を小分けにして、小さな一口分サイズになった鶏肉をそっと自分の口に放った。もぐもぐと、どこか怒りを滲ませながらも無反応に淡々と口を動かすフローラがユースケは怖かったが、ふとフローラの瞳がキラキラと潤み始めているのに気がついた。そのままフローラは何度も何度も鶏肉の欠片を口に放り、時にご飯も口に運んでいた。その様子にユースケはようやくほっとできた。
「良かった。嫌いじゃなかったんすね。じゃんじゃん食べて下さいよ」
 ユースケはそんな感想を漏らして、その後は無言でマイペースに食べ続けた。フローラも黙々と食べ続けた。二人の咀嚼音と、二人の息遣いが聞こえるだけのこの時間が、やはりユースケには心地良くて仕方なかった。
 二人とも食べ終わるも、フローラは黙ったままだった。今までは食後に、本当に少しではあるのだが色々とフローラに質問されたり、逆にユースケが質問したり、そんな会話が二、三続いたのだが、今日のフローラは黙ったまま、潤んだ瞳で自身の食べ終わった食器を見つめているだけだった。何となく邪魔(?)しない方が良いような気がして、ユースケもそんなフローラの様子をじっと見つめていた。
 ふと、フローラの長いブロンドの睫毛が揺れた。その揺れに呼応して、その睫毛がきらっと光った。涙が、ついていた。
「フローラ、さん……」
 フローラは何も答えなかった。その身を震わせ、じっといつまでも綺麗に平らげられた自身の食器を見て目を離さないその様子は、まるで溢れ出る何かを表に出さないように必死に堪えているように思えた。ユースケもその手伝いがしたくなって、自分の服をまさぐって、ティッシュを取り出した。本当はハンカチでも出せれば良いのになあと思いながら、ユースケはそのティッシュを、ぎりぎりフローラの視界の端に映る場所にそっと置いた。涙を堪え、身体を震わせるフローラも、ユースケはやはり美しいと感じていた。
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登場人物紹介

ユースケ

主人公。能天気で素直な性格。生まれつき体の弱い妹のユリを溺愛する。

ユズハ

ユースケの幼馴染み。ユースケと違って真面目なしっかり者。

ユリ

ユースケの妹。体が弱く学校に通えず、母親の手伝いをして過ごしている。

タケノリ

ユースケやユズハの幼馴染み。フットサル部に所属する好青年。

カズキ

ユースケたちの友達。ユースケと並んで成績が悪いお調子者。

セイイチロウ

ユースケたちの友達。長身ながら臆病者。ユズハに好意を寄せている。

アカリ

ユースケたちと幼馴染みでユズハの親友。ユースケに好意を寄せる。

ユミ

ユースケたちの同級生で学年一の成績を誇る。

リュウト

ユースケと同期のイケメン枠。工学府に所属する。

ユキオ

臆病でびくびくしている。ユースケ、リュウトと同じく工学府に所属する。

チヒロ

リュウトの彼女。友好関係が広い。社会開発学府に所属する。

フローラ

突如大学校の書店で働き始めたブロンドヘアの美女。

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