第8話
文字数 3,277文字
「まったく、世話が焼けるね。調子狂うよ」
男勝りな口調でそう言うと、女性は「私はコトネ、よろしく」とぶっきらぼうに名乗った。ユースケも身体をコトネに向き直して「俺、ボク、ユースケとイイマス」とやけになまった口調になりながら丁寧に正座したまま頭を下げた。コトネは後頭部をポリポリと掻きながら「この部屋自由に使って良いから」とだけ告げてユースケを残してどこかに行ってしまった。ユースケは改めて部屋の中を見渡してみるが、自由に使って良いと言われても困惑するほど物という物がなく、いやに殺風景な部屋だという感想を持った。唯一壁に掛かっている風景画は、この町の様子を描いたものらしく、丈夫そうでない造りまで伝わりつつも力強く建っているのが感じられる家々の描写に、まだまだ元気そうに生い茂る緑豊かな背景が見事にマッチしていて、見ているだけで活力が湧いてくるような明るい風景画だった。ユースケは自由に使って良いと言われても、押し入れの戸を開けるのも何となく忍びなく感じられ、くしゃくしゃになった寝袋を整え、とりあえず放り出された荷物を整理することにした。
部屋のど真ん中で寝袋の上で正座しながらこれからのことを考えていると、風呂が沸いているから入って良いという声が部屋の外から聞こえてきて、ユースケは遠慮なく入ろうとしたが、着替えを碌に持ってきていないことを思い出した。そんな困ったユースケに呆れたようにコトネは、先ほどユースケが開けるのを躊躇った押し入れを遠慮なく開き、サイズで言えば男物ではあるが、やけにきゃぴきゃぴした明るい派手な服を取り出してくれた。幸い、サイズは長身のユースケも着られるほどのものであった。ユースケはそれを広げてどんな服なのかを眺めてみて、コトネの着ていた服を思い出して、「まあこの町の人たちはこういう服が好きなんだな」と自分を納得させて、ユースケはありがたく風呂の湯をいただくことにした。
夜も更け、この町に来るなり気絶するように眠ったにもかかわらず睡魔に襲われ、ぼんやりとした頭で部屋に戻ろうとすると、縁側に出て夜空を見上げるコトネを見かけた。ユースケは何となく気になって、歩くとペタペタ音が鳴る足音をなるべく殺しながら曲がり角から顔だけを出してコトネの様子を窺った。
服は相変わらず突飛な服のままで、眼前に広がる自然と合わせてちぐはぐな印象を受けるが、夜空を見上げて何かを訴えるように見つめるコトネの横顔はどこか儚かった。時折思い詰めたようにため息をつきながら何か独り言を零しているが、ユースケが盗み見ていることにも気がつかない様子でずっと夜空を見上げたままである。触れてはいけない何かを覗き見たような罪悪感に、ユースケは音を立てずにそっとその場から離れ部屋へ戻った。部屋の灯りを消して、寝袋に小さく籠る。今日で二日目か、と何となく感慨に耽ろうとするが、そんな間もなくユースケはあっという間に夢の世界に落ちた。
けたたましい音が鳴り響き、ユースケは寝袋から飛び起きた。しかし、自分の目を疑うほど辺りはまだ暗かった。なおも鳴り響く音にユースケは本能的に自分を起こそうとしている音だと察して「起きてますー!」と間延びした声で叫び返す。すると、音がぴしゃりと鳴り止んだ。
ぱっと部屋の戸が開く。振り向くと、おたまとフライパンを手に持ったコトネが眉間に皺を寄せながらエプロン姿で立っていた。
「早く起きな、居候」
コトネはそれだけ言うと、すぐどこかへ行ってしまった。ユースケは昨夜コトネから渡された服の着崩れを直しながらコトネの後を追った。
どこに行ったかとふらふら彷徨いながら何とか唯一灯りのついている部屋へ辿り着くと、こじんまりとしたテーブルの席に着いて、トーストを頬張るコトネがいた。コトネはユースケの姿を確認すると、席に着くように自分の向かいにある椅子を指差した。何が何だか分からないユースケはまだ寝惚けている頭でコトネの指示に従い、ゆっくりと席に着いた。
目の前には、トースト二枚に、トマトとキャベツが瑞々しく綺麗に収まったサラダが並んでいた。ユースケはちらりと向かいに座るコトネの顔を見上げるが、コトネは早く食えとでも言いたげに眉を顰めてそれらを指差す。ユースケは手を合わせて「いただきます」と唱えて、ゆっくりとそれらを口にした。トマトとキャベツは新鮮で味が濃く、焼き立てのトーストも食欲を駆り立てる匂いを身体に充満させ、食べた量以上に満腹感に満たされた。
コトネより随分遅くに食べ終え、食器を下げていくと、コトネは手早く自分の食器の分も含めてそれらを洗い始めた。
「これ洗い終わったら着替え用意するから、あんたも顔洗ったりして寝惚けた頭覚ましてきな」
コトネは器用に皿を洗いながらそう言うが、その言葉の意味がよく分からずユースケは首をひねった。コトネがちらりと横目でユースケを睨みつける。
「あんた、まさかタダで居座ろうっていう気じゃないでしょうね。ここに居候する以上、あんたにも手伝ってもらうからね」
コトネが苛ついたように声を大きくさせるが、ユースケはそんなコトネの苛つきもどこ吹く風で、そういうことかと納得すると「了解しましたー」と大袈裟に敬礼してみせて、さっさと起立して顔を洗いに向かった。やけに素直で力の抜けた返事をしたユースケのいなくなった後を、コトネは食器を洗う手も止めて呆然と見つめていた。
その後、コトネの指示に従ってコトネの着ているのと似たような派手な黄色の服に、オーバーオールを着て外に出る。辺りはまだ薄暗く、ほんのり空が白み始めたなと分かる程度だったが、ユースケやコトネ以外にも外に出てきている人が多く、ユースケの姿を確認すると怯えたように身を引きながらも「おはよう」と挨拶してくれた。ユースケも「おはようっざいます」とご機嫌そうに返す。そのユースケの様子にますます周囲の人は不審がったが、そのユースケの後ろから出てきたコトネの存在を確認すると途端に破顔し、笑顔で「おはようコトネちゃん」と挨拶してきた。
コトネに連れられ、町の中を進んでいき、やがて家々を離れて辺りが物寂しくなる道に出てもしばらく歩き続けていると、徐々に目の前に田園風景が広がってきた。その頃には陽も昇り、ようやく普段のユースケが起きるような時間になってきた。
「んで、俺は何をすればいいんですかい?」
相変わらずなまった口調でやる気だけはあるユースケに、コトネは困ったように身を引きながらも、もう既に田畑に出て鍬を手に持ち作業している老人たちを指差した。
「とりあえずお爺ちゃんお婆ちゃんの手伝いをしてあげて」
コトネの指示にユースケは素直に従い、駆け足で向かう。あまり整えられていない道であるため、ところどころで躓きそうになりながらも、明るい表情を絶やさないユースケの姿を、コトネは不思議そうに見つめながら、自分の作業に取り組み始めた。
突然現れたユースケに老人たちは驚いていたが、ユースケが「コトネさんに言われて手伝いに来ました」と早口で言うと、老人たちは顔を見合わせ、「まあそれなら大丈夫なのかねえ」と半信半疑ながらもユースケを迎え入れてくれた。ユースケは老人たちに合わせて腰をかがめ、積極的に話を聞き、その説明を受けながら早速老人たちから鍬を受け取り、土を耕していく。どのぐらいまで深く鍬で耕せば良いのかと老人たちの手つきを観察しながら、見よう見真似でその動きを再現してみる。勢いが良すぎるのか土が周囲に飛び散り、老人たちにも見咎められた。
「土も私たちジジババと一緒だ。大切に労わる気持ちを忘れないでな」
その言葉が何となく印象に残り、ユースケは力加減を整えていく。やっていくうちに、「本当にこんな感じで良いのかな」と思うほど、あまり深くまで掘っている感触がないまま耕していくと、近くにいた爺さんに「その調子で良いぞお」と褒めてくれた。その言葉に弾みをつけてユースケは張り切り、老人たちがまだ手を付けられていない範囲までやり進めていった。
男勝りな口調でそう言うと、女性は「私はコトネ、よろしく」とぶっきらぼうに名乗った。ユースケも身体をコトネに向き直して「俺、ボク、ユースケとイイマス」とやけになまった口調になりながら丁寧に正座したまま頭を下げた。コトネは後頭部をポリポリと掻きながら「この部屋自由に使って良いから」とだけ告げてユースケを残してどこかに行ってしまった。ユースケは改めて部屋の中を見渡してみるが、自由に使って良いと言われても困惑するほど物という物がなく、いやに殺風景な部屋だという感想を持った。唯一壁に掛かっている風景画は、この町の様子を描いたものらしく、丈夫そうでない造りまで伝わりつつも力強く建っているのが感じられる家々の描写に、まだまだ元気そうに生い茂る緑豊かな背景が見事にマッチしていて、見ているだけで活力が湧いてくるような明るい風景画だった。ユースケは自由に使って良いと言われても、押し入れの戸を開けるのも何となく忍びなく感じられ、くしゃくしゃになった寝袋を整え、とりあえず放り出された荷物を整理することにした。
部屋のど真ん中で寝袋の上で正座しながらこれからのことを考えていると、風呂が沸いているから入って良いという声が部屋の外から聞こえてきて、ユースケは遠慮なく入ろうとしたが、着替えを碌に持ってきていないことを思い出した。そんな困ったユースケに呆れたようにコトネは、先ほどユースケが開けるのを躊躇った押し入れを遠慮なく開き、サイズで言えば男物ではあるが、やけにきゃぴきゃぴした明るい派手な服を取り出してくれた。幸い、サイズは長身のユースケも着られるほどのものであった。ユースケはそれを広げてどんな服なのかを眺めてみて、コトネの着ていた服を思い出して、「まあこの町の人たちはこういう服が好きなんだな」と自分を納得させて、ユースケはありがたく風呂の湯をいただくことにした。
夜も更け、この町に来るなり気絶するように眠ったにもかかわらず睡魔に襲われ、ぼんやりとした頭で部屋に戻ろうとすると、縁側に出て夜空を見上げるコトネを見かけた。ユースケは何となく気になって、歩くとペタペタ音が鳴る足音をなるべく殺しながら曲がり角から顔だけを出してコトネの様子を窺った。
服は相変わらず突飛な服のままで、眼前に広がる自然と合わせてちぐはぐな印象を受けるが、夜空を見上げて何かを訴えるように見つめるコトネの横顔はどこか儚かった。時折思い詰めたようにため息をつきながら何か独り言を零しているが、ユースケが盗み見ていることにも気がつかない様子でずっと夜空を見上げたままである。触れてはいけない何かを覗き見たような罪悪感に、ユースケは音を立てずにそっとその場から離れ部屋へ戻った。部屋の灯りを消して、寝袋に小さく籠る。今日で二日目か、と何となく感慨に耽ろうとするが、そんな間もなくユースケはあっという間に夢の世界に落ちた。
けたたましい音が鳴り響き、ユースケは寝袋から飛び起きた。しかし、自分の目を疑うほど辺りはまだ暗かった。なおも鳴り響く音にユースケは本能的に自分を起こそうとしている音だと察して「起きてますー!」と間延びした声で叫び返す。すると、音がぴしゃりと鳴り止んだ。
ぱっと部屋の戸が開く。振り向くと、おたまとフライパンを手に持ったコトネが眉間に皺を寄せながらエプロン姿で立っていた。
「早く起きな、居候」
コトネはそれだけ言うと、すぐどこかへ行ってしまった。ユースケは昨夜コトネから渡された服の着崩れを直しながらコトネの後を追った。
どこに行ったかとふらふら彷徨いながら何とか唯一灯りのついている部屋へ辿り着くと、こじんまりとしたテーブルの席に着いて、トーストを頬張るコトネがいた。コトネはユースケの姿を確認すると、席に着くように自分の向かいにある椅子を指差した。何が何だか分からないユースケはまだ寝惚けている頭でコトネの指示に従い、ゆっくりと席に着いた。
目の前には、トースト二枚に、トマトとキャベツが瑞々しく綺麗に収まったサラダが並んでいた。ユースケはちらりと向かいに座るコトネの顔を見上げるが、コトネは早く食えとでも言いたげに眉を顰めてそれらを指差す。ユースケは手を合わせて「いただきます」と唱えて、ゆっくりとそれらを口にした。トマトとキャベツは新鮮で味が濃く、焼き立てのトーストも食欲を駆り立てる匂いを身体に充満させ、食べた量以上に満腹感に満たされた。
コトネより随分遅くに食べ終え、食器を下げていくと、コトネは手早く自分の食器の分も含めてそれらを洗い始めた。
「これ洗い終わったら着替え用意するから、あんたも顔洗ったりして寝惚けた頭覚ましてきな」
コトネは器用に皿を洗いながらそう言うが、その言葉の意味がよく分からずユースケは首をひねった。コトネがちらりと横目でユースケを睨みつける。
「あんた、まさかタダで居座ろうっていう気じゃないでしょうね。ここに居候する以上、あんたにも手伝ってもらうからね」
コトネが苛ついたように声を大きくさせるが、ユースケはそんなコトネの苛つきもどこ吹く風で、そういうことかと納得すると「了解しましたー」と大袈裟に敬礼してみせて、さっさと起立して顔を洗いに向かった。やけに素直で力の抜けた返事をしたユースケのいなくなった後を、コトネは食器を洗う手も止めて呆然と見つめていた。
その後、コトネの指示に従ってコトネの着ているのと似たような派手な黄色の服に、オーバーオールを着て外に出る。辺りはまだ薄暗く、ほんのり空が白み始めたなと分かる程度だったが、ユースケやコトネ以外にも外に出てきている人が多く、ユースケの姿を確認すると怯えたように身を引きながらも「おはよう」と挨拶してくれた。ユースケも「おはようっざいます」とご機嫌そうに返す。そのユースケの様子にますます周囲の人は不審がったが、そのユースケの後ろから出てきたコトネの存在を確認すると途端に破顔し、笑顔で「おはようコトネちゃん」と挨拶してきた。
コトネに連れられ、町の中を進んでいき、やがて家々を離れて辺りが物寂しくなる道に出てもしばらく歩き続けていると、徐々に目の前に田園風景が広がってきた。その頃には陽も昇り、ようやく普段のユースケが起きるような時間になってきた。
「んで、俺は何をすればいいんですかい?」
相変わらずなまった口調でやる気だけはあるユースケに、コトネは困ったように身を引きながらも、もう既に田畑に出て鍬を手に持ち作業している老人たちを指差した。
「とりあえずお爺ちゃんお婆ちゃんの手伝いをしてあげて」
コトネの指示にユースケは素直に従い、駆け足で向かう。あまり整えられていない道であるため、ところどころで躓きそうになりながらも、明るい表情を絶やさないユースケの姿を、コトネは不思議そうに見つめながら、自分の作業に取り組み始めた。
突然現れたユースケに老人たちは驚いていたが、ユースケが「コトネさんに言われて手伝いに来ました」と早口で言うと、老人たちは顔を見合わせ、「まあそれなら大丈夫なのかねえ」と半信半疑ながらもユースケを迎え入れてくれた。ユースケは老人たちに合わせて腰をかがめ、積極的に話を聞き、その説明を受けながら早速老人たちから鍬を受け取り、土を耕していく。どのぐらいまで深く鍬で耕せば良いのかと老人たちの手つきを観察しながら、見よう見真似でその動きを再現してみる。勢いが良すぎるのか土が周囲に飛び散り、老人たちにも見咎められた。
「土も私たちジジババと一緒だ。大切に労わる気持ちを忘れないでな」
その言葉が何となく印象に残り、ユースケは力加減を整えていく。やっていくうちに、「本当にこんな感じで良いのかな」と思うほど、あまり深くまで掘っている感触がないまま耕していくと、近くにいた爺さんに「その調子で良いぞお」と褒めてくれた。その言葉に弾みをつけてユースケは張り切り、老人たちがまだ手を付けられていない範囲までやり進めていった。