第3話
文字数 3,175文字
「それでですね、世の中には困ってる人が多いとか、大変なことになっているとか……作物もまともに育たないとか、よく聞いて、それで、そういう人たちのために何か出来ることって何かあるかなって思いまして……」
ユースケの話をそこまで聞いて、受付の女性は初めて笑みを少しだけ崩して、じろじろとユースケの全身を見直した。これだけ大きいのだから何も知らない子供ではあるまいし、かといってこの話し方やらおどおどした物腰からしてラジオ番組の出演者でもあるまいと判断し、ユースケの正体をいまいち掴みかねていた。事実、ただの世間知らずなだけの学生なのだが、ユースケのラジオ局に訪れた純粋そうな動機に、無下にしても良いものかと女性が頭を悩ませていると、入り口の扉が開き、えらく派手な衣装を着飾った男性と、それを取り巻く機材を持った地味な人たちの集団が訪れた。女性はすぐに笑みを戻し「おはようございます」と挨拶した。背後からの来訪者にユースケがたじろいでいると、その者たちはまるでユースケのことなど眼中にないかのようにずかずかと受付のところまでやって来て、カウンターにもたれかかった。ユースケも思わず脇に退いて縮こまった。
「今日昼から出演のえっちゃんでぇ~す。よろしくお願いしまぁす」
派手な衣装を着た男性がしゃがれた声、ねっとりとした話し方で挨拶するのを見て、ユースケは今度こそ鳥肌が立ちそうになったが、女性は何事もなかったかのように、むしろユースケと相対していたとき以上に朗らかな笑みで「お待ちしておりました」と受け答えする。その後ユースケのときにはなかったようなやり取りをいくらか交わすと、やがて派手な衣装の人物は「じゃあ行ってきまぁす」と女性に声を掛けてから堂々と左奥に見える階段を上っていった。
嵐のようだったと、その人物たちが入っていく様子をユースケは呆然と見つめていた。そんなユースケの様子を見つめていた女性が、ユースケの肩を叩いた。
「申し訳ございませんが、当局では、少なくとも今の時間帯では貴方様のご期待できるような話が出来る方はいらっしゃいません」
女性の丁寧な説明に、ユースケはたった今目の前に現れて颯爽と奥へと消えていった人物を思い浮かべてひどく納得した。女性はいくらか逡巡した後、さらにユースケに耳打ちするように口元に手を当てて囁いた。
「差し出がましい行為だとは思うのですが、ついでに申し上げますと、ここはあくまで貴方様の仰った情報が集まる場所であって、それを専門的に学んだり研究している人がいらっしゃることもあまりございませんので、ご期待にはお応えできないかと思います」
女性はそこで申し訳なさそうに頭を下げた。終始丁寧に対応してくれた女性に、むしろユースケの方も初め警戒していたことが申し訳なく感じられ、深々と頭を下げた。最後にようやく緊張が解けてきたユースケが「本当に丁寧に教えてくれてありがとうございます」と声を上擦らせながらお礼を述べると、女性は初めて作り物ではない自然な笑みを浮かべて「ええ、どういたしまして」とラジオ局を去るユースケを優しく見送ってくれた。
ちょっとした遠出は振出しに戻り、ユースケは自転車を押しながら当てもなく街をぶらりと歩いていた。昼過ぎにもなると再び人の通りは多くなるが、たいていがどこかの店に入っていき、賑やかな街のど真ん中でぽつんと一人どこにも入らず立ち往生しているユースケは、なるべく目立たないように建物に沿って歩いていた。歩いているうちに、何だか背の高い建物が増えてきたなあと感じるようになり、それらを見上げると、陽の光が真上から地上を強く照らしつけていた。それが視界に入るだけでも気分は暑くなってきて、ユースケは建物を見上げるのを止めて、建物の影を意識して歩くようにした。学校周辺や商店街の辺りでは、どんなに人の通りが多くなってもそこらの草木から虫の音が聞こえてきたので、こうして街を巡り歩いても虫の音一つ聞こえてこないことにユースケは不思議な感覚にさせられた。まるで本当に別世界に訪れたような感覚に浮き立つような気分になるが、ところどころに見える店頭の看板に記された、商品とその値段の表記を見てはその気持ちも撃墜させられていた。しかし、身体は正直なもので、値段が到底手の届かないものであるにもかかわらず、その看板の奥から漂ってくる料理の香りに、朝から簡単な朝食と先ほどの塩むすびしか食べていないユースケのお腹はぐうーっと素直な感想を漏らしていた。
汗を拭いながら、別の本屋を見つけて中に入る。入った瞬間に先ほどと同じように肌に冷ややかな空気が当たり、掻いていた汗がすうっと引いていくのを感じた。しかし、本を見て回っても、気に入ったものの大抵が高価で手が出せず、何も買わずに出てくる。そのようなことを、行く先々の本屋で繰り返し、四度目ぐらいで本屋に期待するのはもうやめよう、という結論に達した。
ユースケにはラジオ局と本屋以外に、ユースケの知りたい、世界の問題や実情を知れる場所が思いつけず、いよいよ道行く人に声を掛けようかと思い詰めていると、がやがやといくつかの若い集団がユースケの向かいから歩いてきていた。どの集団においても、皆が一様に鞄を手に持ち、男女入り混じったり、女性だけだったり、男性だけだったりと様々な集団がおり、どの集団もそれなりに楽しそうな表情を浮かべていた。それを見て、ユースケはすぐに学校の生徒たちであると理解したが、ユースケたちの学校とは違って耳たぶから小さな金属のバッジのようなものをぶら下げていたり、服装もよくよく見てみるとユースケよりもよっぽど華やかな服装の人たちが多かったりした。もう学校も終わる時間なのかと思うと、ユースケはまだここに来て何の成果もあげられていないという事実に焦り始めた。
きょろきょろと無意味に辺りを見渡すと、ちょうど目の前に欠伸を掻いている警官が目に入った。ユースケの地元にも交番はいくつかあるが、それらの交番でも同じように眠そうに突っ立っていたり、中に入って机に頬杖つきながら欠伸を掻いて外を眺めている警官はいたので、何もかもが目新しく別世界のようだったこの街において目の前の警官に唯一親近感を持つことが出来た。
「すみません!」
興奮のあまりユースケは声を張り上げて警官に呼びかけるが、警官の方は一瞬自分が呼ばれたのだとは気がつかなかったようで、いきなり大きな声を張り上げたユースケを二度見した。周囲を歩いていた学生らしき集団もちらほらと長身のユースケを不審がるが、当のユースケ本人はそれらの視線のことなど気づかずに、地元のときと同じようなノリで警官に話しかける。
「今少しよろしいでしょうか」
テンションの高い、しかもやけに背の高い若者に、警官は見るからにたじろいでいるが、何とか低い声で「はい、何でしょうか」と答えた。しかし、ユースケも親近感が湧いて思わず話しかけてしまっただけであり、具体的に何を訊こうかと決めていなかったため、言葉に詰まらせた。そのユースケの様子に警官は余裕を取り戻したようで、背筋を伸ばして異質なユースケに負けまいと威厳を見せつけるように胸を張ってきた。
「えっと……ラジオでよく話に出てくるような、その、貧困な人たちや、困っている人たちってどこに行けば会えますかね」
ユースケが頭を捻りだしてやっとのことで出した、あまりにも抽象的すぎてふわふわとした質問に、警官も鳩が豆鉄砲喰らったように面食らっていた。ユースケ自身も今頃になって、自身のやっていることが滑稽に思えてきたが、訊いてしまった以上はもう仕方ないと割り切って警官の言葉を待った。しかし、口をぽかんと開けていた警官も、やがて質問の意味を把握したのか、深くため息をついた。
ユースケの話をそこまで聞いて、受付の女性は初めて笑みを少しだけ崩して、じろじろとユースケの全身を見直した。これだけ大きいのだから何も知らない子供ではあるまいし、かといってこの話し方やらおどおどした物腰からしてラジオ番組の出演者でもあるまいと判断し、ユースケの正体をいまいち掴みかねていた。事実、ただの世間知らずなだけの学生なのだが、ユースケのラジオ局に訪れた純粋そうな動機に、無下にしても良いものかと女性が頭を悩ませていると、入り口の扉が開き、えらく派手な衣装を着飾った男性と、それを取り巻く機材を持った地味な人たちの集団が訪れた。女性はすぐに笑みを戻し「おはようございます」と挨拶した。背後からの来訪者にユースケがたじろいでいると、その者たちはまるでユースケのことなど眼中にないかのようにずかずかと受付のところまでやって来て、カウンターにもたれかかった。ユースケも思わず脇に退いて縮こまった。
「今日昼から出演のえっちゃんでぇ~す。よろしくお願いしまぁす」
派手な衣装を着た男性がしゃがれた声、ねっとりとした話し方で挨拶するのを見て、ユースケは今度こそ鳥肌が立ちそうになったが、女性は何事もなかったかのように、むしろユースケと相対していたとき以上に朗らかな笑みで「お待ちしておりました」と受け答えする。その後ユースケのときにはなかったようなやり取りをいくらか交わすと、やがて派手な衣装の人物は「じゃあ行ってきまぁす」と女性に声を掛けてから堂々と左奥に見える階段を上っていった。
嵐のようだったと、その人物たちが入っていく様子をユースケは呆然と見つめていた。そんなユースケの様子を見つめていた女性が、ユースケの肩を叩いた。
「申し訳ございませんが、当局では、少なくとも今の時間帯では貴方様のご期待できるような話が出来る方はいらっしゃいません」
女性の丁寧な説明に、ユースケはたった今目の前に現れて颯爽と奥へと消えていった人物を思い浮かべてひどく納得した。女性はいくらか逡巡した後、さらにユースケに耳打ちするように口元に手を当てて囁いた。
「差し出がましい行為だとは思うのですが、ついでに申し上げますと、ここはあくまで貴方様の仰った情報が集まる場所であって、それを専門的に学んだり研究している人がいらっしゃることもあまりございませんので、ご期待にはお応えできないかと思います」
女性はそこで申し訳なさそうに頭を下げた。終始丁寧に対応してくれた女性に、むしろユースケの方も初め警戒していたことが申し訳なく感じられ、深々と頭を下げた。最後にようやく緊張が解けてきたユースケが「本当に丁寧に教えてくれてありがとうございます」と声を上擦らせながらお礼を述べると、女性は初めて作り物ではない自然な笑みを浮かべて「ええ、どういたしまして」とラジオ局を去るユースケを優しく見送ってくれた。
ちょっとした遠出は振出しに戻り、ユースケは自転車を押しながら当てもなく街をぶらりと歩いていた。昼過ぎにもなると再び人の通りは多くなるが、たいていがどこかの店に入っていき、賑やかな街のど真ん中でぽつんと一人どこにも入らず立ち往生しているユースケは、なるべく目立たないように建物に沿って歩いていた。歩いているうちに、何だか背の高い建物が増えてきたなあと感じるようになり、それらを見上げると、陽の光が真上から地上を強く照らしつけていた。それが視界に入るだけでも気分は暑くなってきて、ユースケは建物を見上げるのを止めて、建物の影を意識して歩くようにした。学校周辺や商店街の辺りでは、どんなに人の通りが多くなってもそこらの草木から虫の音が聞こえてきたので、こうして街を巡り歩いても虫の音一つ聞こえてこないことにユースケは不思議な感覚にさせられた。まるで本当に別世界に訪れたような感覚に浮き立つような気分になるが、ところどころに見える店頭の看板に記された、商品とその値段の表記を見てはその気持ちも撃墜させられていた。しかし、身体は正直なもので、値段が到底手の届かないものであるにもかかわらず、その看板の奥から漂ってくる料理の香りに、朝から簡単な朝食と先ほどの塩むすびしか食べていないユースケのお腹はぐうーっと素直な感想を漏らしていた。
汗を拭いながら、別の本屋を見つけて中に入る。入った瞬間に先ほどと同じように肌に冷ややかな空気が当たり、掻いていた汗がすうっと引いていくのを感じた。しかし、本を見て回っても、気に入ったものの大抵が高価で手が出せず、何も買わずに出てくる。そのようなことを、行く先々の本屋で繰り返し、四度目ぐらいで本屋に期待するのはもうやめよう、という結論に達した。
ユースケにはラジオ局と本屋以外に、ユースケの知りたい、世界の問題や実情を知れる場所が思いつけず、いよいよ道行く人に声を掛けようかと思い詰めていると、がやがやといくつかの若い集団がユースケの向かいから歩いてきていた。どの集団においても、皆が一様に鞄を手に持ち、男女入り混じったり、女性だけだったり、男性だけだったりと様々な集団がおり、どの集団もそれなりに楽しそうな表情を浮かべていた。それを見て、ユースケはすぐに学校の生徒たちであると理解したが、ユースケたちの学校とは違って耳たぶから小さな金属のバッジのようなものをぶら下げていたり、服装もよくよく見てみるとユースケよりもよっぽど華やかな服装の人たちが多かったりした。もう学校も終わる時間なのかと思うと、ユースケはまだここに来て何の成果もあげられていないという事実に焦り始めた。
きょろきょろと無意味に辺りを見渡すと、ちょうど目の前に欠伸を掻いている警官が目に入った。ユースケの地元にも交番はいくつかあるが、それらの交番でも同じように眠そうに突っ立っていたり、中に入って机に頬杖つきながら欠伸を掻いて外を眺めている警官はいたので、何もかもが目新しく別世界のようだったこの街において目の前の警官に唯一親近感を持つことが出来た。
「すみません!」
興奮のあまりユースケは声を張り上げて警官に呼びかけるが、警官の方は一瞬自分が呼ばれたのだとは気がつかなかったようで、いきなり大きな声を張り上げたユースケを二度見した。周囲を歩いていた学生らしき集団もちらほらと長身のユースケを不審がるが、当のユースケ本人はそれらの視線のことなど気づかずに、地元のときと同じようなノリで警官に話しかける。
「今少しよろしいでしょうか」
テンションの高い、しかもやけに背の高い若者に、警官は見るからにたじろいでいるが、何とか低い声で「はい、何でしょうか」と答えた。しかし、ユースケも親近感が湧いて思わず話しかけてしまっただけであり、具体的に何を訊こうかと決めていなかったため、言葉に詰まらせた。そのユースケの様子に警官は余裕を取り戻したようで、背筋を伸ばして異質なユースケに負けまいと威厳を見せつけるように胸を張ってきた。
「えっと……ラジオでよく話に出てくるような、その、貧困な人たちや、困っている人たちってどこに行けば会えますかね」
ユースケが頭を捻りだしてやっとのことで出した、あまりにも抽象的すぎてふわふわとした質問に、警官も鳩が豆鉄砲喰らったように面食らっていた。ユースケ自身も今頃になって、自身のやっていることが滑稽に思えてきたが、訊いてしまった以上はもう仕方ないと割り切って警官の言葉を待った。しかし、口をぽかんと開けていた警官も、やがて質問の意味を把握したのか、深くため息をついた。