3-8 魔女

文字数 3,208文字

「よし、何とかここまでこれたな」
「あの先生とやら、こんな隠し玉を用意していたなんてな。おかけでここまで来れたわけだが」
 階段を駆け上がり、月夜に染められた夜の森に出る。夜の帳が下りた森には赤の色彩はなく、真っ黒な木立がいつになくざわめいていた。カノヱの案内を通して雑木林を抜けると、巨大な竹林が見下ろす小径に辿り着く。その道の真ん中を、竜人の大きな人影が闊歩していた。
 はじめは化け物の類かと用心していた三人だったが、彼が俺たちを察知すると、気さくそうに手を振った。そこで俺たちは初めて、彼がヒグルマさんだと確信できた。

「いや〜よかった! お前たちを逃がしてから道に迷って、ハヤンともはぐれてしまったんだ。何とか入り口近くまで戻れたぜ」
「ヒグルマ! ああ、お前は生きていると思ったよ。何たって悪運が強いからね」
「おいおい、そこは『頑丈』だからって言えよ」
 巡礼者の二人は再会が再会を喜び、拳を交わす。だがその喜びも束の間、今度は森一帯に地響きが轟いた。
「そんな、まだ終わらないのか?」
 すっかり安堵しきったオルドさんが、弱りきった本音を叫んだ。
「早く逃げないと!」
 俺は引き続きみんなを先導して、森から脱出しようとする。ハヤンさんのことが気がかりだが、巡礼者の二人と俺だけは、最低でも聖地に辿り着かなければならない。暗夜の小径を疾走する、その手前、俺たちの行く手を遮るように大岩の棘が大地を抉って隆起する。
「うわっ……‼︎」
 目の前に迫り上がった大岩の強い衝撃に圧倒され、俺は後方に吹き飛んだ。ヒグルマさんが抱きかかえたので無事だったが、さっきの一撃で障壁が壊れてしまった。
「見つけたぞ、異端のワタリビト! 確実に仕留めてやる」
 どこからともなく聞こえた声の方から、黄色い光が暗闇に差し込んだ。同時に、俺たちの周りに大地の壁が積み上がる。岩壁はよく見ると粒が細かく、所々から砂が漏れ出し、かろうじて積み上がっている。限界まで高さを積んだ岩壁を、土砂崩れのように俺たちに落とす気だ。
「そのまま生き埋めにしてやる。ワタリビト以外は皆殺しだ!」
 土砂の壁がバランスを崩し、今にもこちらに崩れ落ちてくるその瞬間――

「皆様、目を閉じて!」
 聞き覚えのある女性の声が、切羽詰まった声色で俺たちにそう告げた。
 目を閉じてうずくまり、かろうじて土砂をやり過ごそうとする手前、頭上で雄叫びのような暴風の声がした。続いて土砂の粒が風に巻き上がり、ザラザラと摩擦しながら強風に運ばれる音。その時生じた砂嵐は、ほとんど俺たちを巻き込んでいなかった。
「目を開けてください」
 女性の声の主――ハヤンさんは、身構えた男たち四人組に背中を預けて命じる。
「さっきの風、まさかあんたが――」
 ヒグルマさんがハヤンさんを指差し、信じられないと言いたげな眼差しで尋ねた。
「ええ、そうです。私は風の<魔人>、ハヤン。今まで教えられなかった非礼、どうかお赦しを」
 毅然とした口調で自らの本性を伝えると、彼女は刺客へ向けて一喝した。
「さあ、かかってきなさい、セントラルに救う地変の(あやかし)よ。このハヤンがお相手致しますわ」
 高らかな宣戦布告と同時に、木陰からエルフの男が現れる。飛び上がった男は着地すると同時、剛腕を地面に深くめり込ませる。そして彼の腕から黄色い光が灯るや否や、地面を抉るように巨大な土砂の拳が現れた。巨大な砂の拳を振りかぶり、男はこちらに飛びかかる。
 しかし、ハヤンさんは無防備にもそのまま立ち尽くす。俺たちを救った風すら止めて、その巌を待ち受けた。
 ――もちろん、ハヤンさんは油断なんかしていなかった。この無風はいわば舞台装置。
その風の消失を待ち受けていたかのように、異変は刺客の拳に訪れる。
「……!」
 彼は突如、苦痛に顔を歪ませ、その巨拳が俺たちの目の前で止まった。迫り来る凶器の威容に気圧されながら、俺は頬で拳から立ち上る異様な熱を感じ取った。

 やがて男は苦悶の声を上げながら、拳を下ろして膝をついた。男の眼差しは震えていた。その視線の先には、赤熱し溶岩のように流れ落ちていく岩拳の成れの果てがあった。
「な……何が起こって――」
「そのまま火だるまになりたくないなら、今すぐここを離れなよ」
 異様な光景の後に現れたのは、喉元に火かき棒を突きつける黒い外套の姿。拷問をするかのようにそれを突き立てる者の正体はよく見えないが、声色から俺より年上の女性であることは分かる。
「ちくしょう……」
 無念を呟く男の腕に、炎の魔女は赤い腕輪をかけ、拘束を解いた。すると男は突然しなだれるようにその場に倒れ込む。彼の前に颯爽とカノヱが立ち寄り、長柄の棒を突きつけた。
「魔封じの腕輪、ちゃんと効いてるね。そいつの始末は君に任せるよ」
 カノヱに刺客の処遇を任せた魔女は、ゆっくりとこちらに歩いてきた。この距離だと格好がよく分かる。ローブを羽織った妖しい魔女の先入観とは程遠い、ストリートルックのような軽快な衣装を着ている。パーカーのような上着の頭巾を脱ぐと、紺色の髪に赤の瞳が躍り出た。
「あたしはノワレ。君が噂のワタリビト君か」
 視線を下げ、猫のような紅色の瞳がしばらく俺を見つめる。そして得心が行ったようにゆっくり瞬きすると、今度は俺たちに言葉を続けた。

「そして君たちは巡礼者だね。山越えの旅路に今回の襲撃、さぞ大変だったでしょう」
「君は何者だ。どうして僕たちを助けた」
「あたしは君たちの味方。助けた理由なら、あたしの家に辿り着けた時に話すよ。この里近くの峠を下りて、沼と谷を越えればあたしの家がある。待ってるよ」
 そう言って、ノワレと名乗った魔女はどこかへ消えてしまった。

「すみませんね、ノワレはそういう人なんです。風の魔法が使えるわけでもないのに、私より嵐のような人柄をしている」
 ハヤンさんが衣装の砂埃を落としながら、魔女についてそう解説した。ノワレは確かに怪しいが、それ以上に気になるのはハヤンさんも魔法を使えたことだ。それを最も気にしていたのは、ヒグルマさんだった。
「にしてもハヤン、お前魔人だったのか」
「ええ、改めてお詫びいたします。とはいえ、魔人という立場はとても特殊な身。どうかお慈悲を」
「別に魔人だから何だとか思ってねえよ。寧ろ助かった、ありがとな」
「そう仰っていただけて光栄です。皆様にとっては青天の霹靂と言えるような事実ですが、今後ともよろしくお願いしますね」
 ハヤンさんは胸に手を当て、深々とお辞儀をした。俺たちも頭を下げる。そして俺は、後方で燃えている森人集落の方に目をやった。
「セントラルの森人集落は……燃えてしまいましたね」
 ハヤンさんにとっての調査対象だった、セントラルの森人集落の焼失。彼女の方に目を向けると、やはり悲しそうな表情だった。
「そうですね……ですが、得るものはありました。セントラルの森人集落は、エルフとドワーフの別を問わず、崇暁教のために命を尽くす組織だと。<敢人(オムノ)>の社会と独立する此岸の森人集落とは異なる共同体のようですね」
「この事件のことも記すのか?」
「はい。この里ならではの文化風俗は残念ながら書き記すことはできませんが、それでもセントラルという地域の特異性を窺える良い経験でした」
 本来の目的こそ達成できずに終わったが、収穫はあった。それゆえか、ハヤンさんの眼差しは前向きそうだった。
 聖地へ向かう旅路は、ようやく半分の距離を越えたところ。だけど、こんなにも危険な事件に巡り合うとは思ってなかった。心も体もくたくただが、まだ諦めるつもりはないし、寧ろ帰れるチャンスは掴めていることが分かった。そして、故郷への帰還の旅路が、実は世界の命運を握っていたということも。
 俺はワタリビト、ナミノ・セイジ。この世界の『異端者』だ。本来なら、ただの部外者。だけどそれでも、邪な奴らにこの世界を明け渡す真似だけはするもんか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み