5-3 五芒の桜

文字数 3,464文字

 今宵のセントラルは、宝石を散りばめた財宝のように光っている。それはまさしく、この世界にとっての『至宝』である――これは角を曲がる時、近くにいた吟遊詩人が嘯いた言葉だ。
 その台詞には作為的なニュアンスを含んでいる気がするが、確かに嘘ではない。ブレスによって輝く街並みは、神より賜った生命の謳歌とも言うべき空間で、軒を連ねる店から響く催促の声と、どこからともなく聞こえる祭囃子のような音楽が心を躍らせる――はずだった。

 俺たち旅人と街の往来の間には、険悪な隔たりが表れていた。彼らはその竜人を一目見るや、我が身を庇うようにこちらから遠ざかる。俺たちを忌避する見えない壁が、大通りの左右に広がっている。人混みのいずこかから、ひそひそと話し声も聞こえた。どうして竜人が聖地にいるのだ、と。
「……ハァ」
 ヒグルマさんが小さく溜息をつく。ここのところの理不尽な仕打ちで、気が滅入っているのかもしれない。
「ここまで露骨なの、見たこともなかったな」
 オルドさんがヒグルマさんの顔色を案じながら、彼を慰めるように言った。セントラルの民は、二人の想像以上に陰湿なのだろうか。それとも、光の溢れる街に住めば、自ずと内なる闇も深くなるのだろうか。
 光と影が交錯する夜の仲見世通り、その十字路を歩くと、四方の人混みは俺たちを上手くかわして流動する。そうして交差点を渡り切ろうとした矢先、横から一人の男が俺にぶつかってきた。
「うわっ、あちゃあ〜。またやっちまったよ」
 急ぎ足であまり目の前が見えていなかったらしい男は、俺の肩にぶつかってふらついた。その時、俺の胸元から足元にかけて、何かが転がったような感触がした。そして粘着質な破裂音が足元で鳴る。
気味悪げに下を向いてみると、俺の靴は二色の粘液で汚れていた。透明と黄金。その周りには、真っ二つに割れた殻が転がっている。どうやら卵が割れたようだ。
「……!」
 その時、ヒグルマさんの息を呑む音が聞こえた。気まずい空気に気づいたその男は、竜人の顔を確認するや否や、顔の血が冷え切るような青ざめ方をした。
「これは……いや〜、失礼!」
 荷物を大急ぎでまとめ、卵を運んでいた男はまた急ぎ足で去っていく。あの様子では、また一つ二つ割ってしまいそうだ。
 それにしても、あの男は何故卵を大急ぎで運んでいたのだろう。竜人の歴史もそうだが、セントラルのことについても謎は尽きない。

 交差点を抜けて少し歩いたところで、ハヤンさんが道案内をした。
「この先を左です。そこを曲がって進んでいけば、瓦屋根の建物が見えてくるはずです」
「赤煉瓦? そこって、怪しいところじゃないですよね」
「大丈夫です、崇暁教とはあまり関係がありません。観光客のために、わざと異界の様式で作られた宿の一種と考えてください。もし宿の選出に文句があっても、私じゃなくてノワレにしてくださいね」
 そう念を押しながら、ハヤンさんは俺たちの先を行った。彼女の後をついて歩くと、やがて周囲の街の風景とは異彩を放つ、瓦屋根に赤煉瓦の建物を見つけた。赤褐色の壁に白い窓枠、褪せた濃緑色の屋根。他の建物と比べてもひどく異彩を放っていて、街の景色から浮いている。建物の前には、一人の男が立っていた。客引きのように道行く人に声をかけている。
 その男はハヤンさんと目が合うや、俺たちを勧誘してきた、
「おや旅の方、ここで出会ったのは運命です。今夜は是非この宿屋に――ん?」
 男はそこで話を止め、俺の外套に挿してある花に目をやった。
「その八重桜……なるほど、あんたらがノワレの言っていた客かい。どうぞ入ってくれ。歓迎するよ」
「よかった、話が通じたみたいですね」
 二人は勝手に話を進め、男のなすがままに宿へ入る。

 扉を開けると、小さな広間の横には受付の卓、正面には大きな絵画が飾られている。太陽の下、中心にある巨大な櫻樹の方を向いて万歳をする人々の絵だ。絵画の隣には、桜の枝が飾られている。俺たちの世界でもよく知っている品種の花のようだった。
「どうです? 良い絵でしょう。でも何より綺麗なのは、絵を取り囲む満開のソメイヨシノの枝だ。古き良き八重の桜も良いけど、接木で命を繋ぐ『五芒の桜』、これぞ一斉に咲き誇る、新たなる無窮の象徴だね。花は散っても、また新たな花が咲く。無限の流れを表すにはまたとない、完璧に美しき花だ」
 男はソメイヨシノというありふれた花に対して、高説を垂れる。随分とクセの強い宿だ。ノワレの言っていたことは嘘だったんだろうか。
「接木の桜に、果たして『生』はあるのかねえ」
 男の影で、ヒグルマさんがぽつりと呟いた。それもそうだな、と俺は思った。上手くは言えないけれど。
 いや、そんなことよりだ。俺はハヤンさんに、正直な感想をぶつけた。
「ここの宿……クセが強くないですか?」
 質問に対し、ハヤンさんは屈託のない笑顔を浮かべて、
「世の中には、純粋に異界への憧憬を抱く者も多いのですよ、ナミノ君。オムノたちにとって、空の向こうにまだ見ぬ世界があることは、エルフが森の外に憧れを抱くのと同じことだと思いませんか?」
 とたしなめた。そう言われると、言葉も出ないや。
「お客さんは四名か。ああ、うちの宿は竜人も歓迎だよ。うちはこう見えて、此岸大陸から来た余所者の宿なんでね」
「なんだそりゃ。セントラルにとっては、ここ以外全部『余所』なのか?」
「そりゃあそうとも。世界に偏在する崇暁教の『中心(セントラル)』だからな」
 男はカ受付の方に入りながら、決め台詞とウインクでキザに振る舞う。そして宿泊許可証をハヤンさんに手渡した。彼女がそれを書き終えると、彼はその書類に捺印し、次に鍵を渡した。
「それでは、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」
 手際よく一仕事を終えた男は、胸のあたりまで手を振りかざして紳士的なお辞儀をした。最後まで相手のペースで話が進んでいた。だからこそ、こんな大層な宿に客が巡ってくるというわけだ。

 階段を上り、通路の行き止まりにある大部屋には、大きな寝台が四人分並んでいた。今までの旅路を鑑みれば、まるで夢のような空間だ。それどころか、
「こんな立派な宿の部屋、セントラルのどこを探してもないだろうね」
 とオルドさんが嘆息するほどには、この情緒豊かな宿場がいかに異質かを窺い知ることができる。無骨でうらぶれたイワレハの宿と比較して、この施設は明らかに開化した文明の賜だ。
 四つの寝台は左右に二台ずつ並んでいて、その間には満開の桜――五芒星のように咲くソメイヨシノの色彩が眩しい――と、蒼い山肌の独峰が描かれた絵画が飾られてある。柔らかな絵の色彩を引き立たせるためか、額縁の色は落ち着いた朽葉色だ。反対にある絵画は、月の光に照らされた山道を行く一人の浪人と、その周囲には今にも白露を零そうとしている楓の木々が描かれている。
(なんというか……見るからに『固定観念』に嵌まった絵だな)
 これを『異国情緒』と呼べば確かにそう言えるのだろうが、俺から見れば何とも安直な題材の絵画だなと思った。同時に、そういった風景をありきたりと思うほどに、すっかり捻くれてしまった己を恥じた。
「ただいま戻りました。あら、なんで素敵な部屋。それに、すごく寝心地の良さそうな寝台……」
 用務を済ませて戻ってきたハヤンさんが、森の様式とは全く違う部屋の雰囲気に感嘆する。彼女は寝台の布団を撫でると、うっとりとした溜め息をついた。
「この寝床、オレが乗ると壊れないか?」
 不安を漏らしながら、ヒグルマさんが大きな手を寝台に押しつける。
「爪立てたら布団が破れるよ、ヒグルマ」
「大丈夫さ。爪ならもう切られた」
 オルドさんの忠告に対し、ヒグルマさんは得意げに開いた手を彼に見せつける。その眼差しには、先ほどまでの不服を滲ませた様子は感じられない。明るくカラッとした雰囲気を感じさせる、いつものヒグルマさんだった。
 俺たちはいつもと毛色の違う空間にしばし心を躍らされていたが、やがてそれぞれの寝床につき、部屋を照らしていたブレス灯を止めて眠りについた。寝る場所すら惜しまない長旅で、みんなの体は想像以上に疲労が溜まっていた。そんな重い体を優しく受け止める布団の感触は、俺にとっては久々の心地良さで、三人の旅人にとっては初めてのくつろぎだった。
 セントラルでやることはまだまだある。だがその前に、しっかりと羽休めして英気を養うことは大事だ。仮にへろへろのままで故郷に辿り着いたとしても、きっと途中で力尽きる。それでは元も子もないのだから。
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