6-4 風の流転

文字数 1,443文字

 カノヱの指示に従い、俺たちは戦場を抜けた。彼の先導を追って、いよいよプロテアの中枢へ突入する。先の爆風と暴風で末梢が崩れ、不安定に揺れているとはいえ、この薄紅色の大樹は途方もなく大きい。この中に入れば、故郷へと帰れる。そう思うと、さらに胸が高鳴ってきた。
 だが、紅の瞳の魔人は俺たちを易々と聖地に入れてはくれなかった。十七段の階を駆け上がる時、突如として空気が底抜けに冷えていく。冷たさはやがて痛みへと変わり、聖域を閉じ込める暗雲の下では、極低温の花吹雪が俺たちに叩きつけられた。
「これはなんだ⁉︎ 櫻樹の欠片……いや、霰か?」
 困惑するカノヱに対し、グルリベルの冷徹な声が叩きつけられる。
「貴様らの起こした『罪』を利用させて貰った。嵐に乗る波飛沫は、俺の魔法で氷の礫に変わる。そこに櫻樹の欠片も混ざり、血染めの櫻が貴様らに吹雪く。これは我々と、尊貴なる<我が君>が下した罰だ」
 グルリベルの宣告と共に、冷たき狂飆はさらにその勢いを増す。極寒の嵐に毒の混ざった赤い雪が次々と触れ、俺たちの体を蝕んだ。先を行くカノヱは耐えながら進んだが、俺は息苦しさに立ち止まり、胸を抑えてしまう。

「これはまずいね……このままじゃ、グルリベルの一人勝ちだ」
 矢継ぎ早に炎を撃ち込んでいたノワレも、体力を温存するため攻撃をやめた。ノワレも相当息が上がっていたが、大がかりな魔法を使っていたハヤンさんに至っては、膝をついてグルリベルに無防備な隙を晒している。この機を逃すまいと、奴は一気に距離を詰めた。
「させるかよ!」
 銀の刃が彼女に振り下ろされるところで、ヒグルマさんが二人の間に割って入った。鋭い鋼の刀身は、魔法を無効化するほどに屈強な彼の肉体でも敵わない。グルリベルを無理やり引き剥がした彼の肩から腕にかけて、深い裂傷が刻まれていた。
「ヒグルマ……ダメだよ、無理をしちゃ」
 片膝をついて腕を抑えるヒグルマさんの元に、ノワレが駆けつける。その隣にいるハヤンさんが、申し訳ないとばかりに二人を見ていた。
「ハヤン! ヒグルマ!」
 仲間たちの危機を見て、カノヱも黙ってはいられなかった。俺の前に飛び出して、背中に背負った弓を持ち、矢をつがえてグルリベルに応戦しようとする。しかし、その手に浴びせられる氷の礫と、腐毒の侵蝕に気力が追いつかない。放った矢はいずれも奴の目の前で力なくおちていき、風に乗って転がっていく。
「愚かだな、ドワーフ。この極限的状況で弓を引くなど、己の命を縮める行為よ」
 集中力を使い果たしたカノヱは、弓を地に落とし、階の最上段でへたりこんでしまった。いよいよ彼に抵抗できる人間がいなくなったわけだ。

 体力を消耗し、吹雪と疲弊で視界が霞み始めている。息苦しさはますます酷くなっていて、体が岩のように重い。一歩も動けない状況で、奴の足音が聞こえてくる。階を一段、また一段と上がっていく、奴の乾いた足音が。
「ワタリビト……戦いはこれで終いだ。さあ、<我が君>の元へ行こう」
 とうとうグルリベルが、十七段の階を上り終えた。俺の目の前に立ち尽くし、真紅の瞳で突き刺すように見下ろす姿は、まるで天使か死神が迎えに来たかのようだった。
 ――もはや、これまでかもしれないな。後ろを振り返ってみれば、俺たちの目標だったプロテアが見える。後一歩のところであそこへ迎えなかったのが、たまらなく悔しい。だけど、もうどうすることもできないな。俺はゆっくりと目を閉じた。そして、奴の成すがままになることを受け入れた。
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