1-5 疲労困憊

文字数 1,230文字

 十数軒の家屋がまばらに立つ小さな平地、その端っこの方に、岩天井と草木で覆われた屋根の家がある。おとぎ話で魔女か小人が住んでいそうなその家は、一見して宿屋と判断するにはややこぢんまりとしていた。あるいは、そういうコンセプトの宿なのかもしれない。
「これか。古い伝統様式の家だな。上古の建築の模倣か」
 扉の前に着くなり、ヒグルマさんが顎を擦りながら推測した。
「ヒグルマは何百年と生きてるんだ。竜人の含蓄と知見はフラクシア一だよ」
 オルドさんは彼と竜人をそう褒めそやすが、当の本人は聞く耳を持たずに扉を叩いた。大きく、逞しい剛腕から伸びる岩のような拳は、力加減を間違えれば豆腐のように崩れてしまいそうだった。

「はいよ」
 少し間を置いて扉が開いた。現れたのは、ヒグルマさんより一回り小さいが、それでも俺にとっては大柄に見えるほどの竜人だった。竜人仕様の丸い片眼鏡の奥で、気だるそうな眼差しが俺たち三人を見回した。
「あんたら泊まりかね」
「ああそうだ。入れるかい?」
「もちろんさ。竜人お付きなら、安くしておくよ」
 ヒグルマさんの質問にほくそ笑んで答え、竜人の老婆は俺たちを招き入れた。
 入口より先の広間は地表より数段低く、さらに地下に部屋があるようだった。なるほど、なかなか特殊な宿屋だ。でもそれは異文化の表層をなぞるようなものじゃなく、深い伝統を守るような奥ゆかしさと少々の瑣末さが感じられた。いずれにせよ、俺のような人間の想像力を掻き立てることには相違なかった。

 オルドさんが手続きを済ませ、俺達は下階にある部屋へと案内された。少し大きめの部屋には、部屋の奥にある暖炉と、足の低い寝台以外何もなかった。寝台はちょうど三台あり、うち一つが二倍ほどの大きさがある。まるで俺達の到来を待っていたかのようだったが、竜人用の寝具がある宿泊施設は今でもたいへん珍しいと主人は言う。別の言い方をするなら、それだけ竜人の迫害が長いということでもあるんだろうな。
「はぁ……ようやく休める」
 それでも寝床を前にして、この疲労を寝台に預けずにはいられなかった。今日の疲れがどっと押し寄せて動けない。どうやったら故郷に帰れるのかも分からないし、途方に暮れて泣く気力も湧かなかった。
「ずいぶんお疲れのようだね」
 オルドさんが温かい声で語りかけてくる。その気持ちは嬉しいが、言葉では言い表せないほどの不条理に直面している身では、ほんの少しだけ頼りない労りの言葉だった。
「そんだけ疲れてるなら、沐浴は明日でいいな」
 ヒグルマさんが言葉を続けた。沐浴、か。この世界での入浴ってどうするんだろう。

 いやそんなことはどうでもいい。俺は何でここにいるんだ? どうしてこのフラクシアに降り立った? こんな不条理を俺にもたらしたのは誰だ? 不安とやり場のない怒りが込み上げて、泣きそうになる。だけど泣いたところでどうしようもないのは分かってる。とりあえず、今はこのどっと押し寄せる睡魔に身を預けようじゃないか。
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