1-7 出発

文字数 1,457文字

 結局、昨夜はよく眠れなかった。新しいことを待つ時は、好奇と不安が同時に押し寄せるからだ。純粋な子供、とりわけ初めてのピクニックに胸を躍らせる少年時代なら、不安なんてものは一切感じなかったかもしれない。
 だけど、俺は十七歳だ。俺たちのいる世界では、こんな年齢でも臆病なほど、既知の安らぎを求めてしまうものでもある。それはひとえに世の中が不安定だから――かどうかは、まだ若いから分からない。でも、周りの大人に冒険心みたいなものはなかったように思う。理由としては、その選択肢が既になかったんだろう。

 俺の周りの大人と同じように、整備された希望を歩く人間がいる。オルドさんだ。俺は彼のことが分からない。違う世界の人なので当然だが、一番分からないのはその『信仰』だ。
 信仰者は俺たちの世界にも身近にいて――もっとも、俺たちの国では異邦人のように見られるが――彼らは基本、博愛を常としている。神様にそれを誓い、他人を助けてくれる人生も尊敬だ。だけどオルドさんの信仰は違う。
 <ゴブリン>に対するあの態度は、その最たるものだった。それは神様に対する悪魔のようなものだろうか? でもそれだったら、ハヤンさんの発言はまた別の言い方になるはずだ。
 ゴブリンは別の種族であって、大多数の人間からすればもう<悪魔>じゃない。こだわる人はいるだろうけど、その『こだわる人』の中に彼がいるなんて……。
 ああ、分からなくなってきた。そうやって誰かを未だに見下すことが、『希望』を背負う者の役割なのだろうか? それがオルドさんにとって一番いい『選択』なのだろうか?

「どうしたよナミノ、不機嫌そうな顔だな。昨夜はよく眠れなかったからか?」
 難しいことを考えていると、ヒグルマさんが俺を心配してくれた。慌ててお調子者を気取り、焦り混じりの笑顔を返す。
「あー、いや、そういうのじゃないっすよ。なんかすみません」
「そうかい。でももし眠気が残ってるなら好都合だ。この上り坂を越えた先に見れる景色、きっとお前の目を覚まさせてくれるぜ」
 そう言って、ヒグルマさんは鋭い爪先を前方に差した。あの坂の向こうに絶景が――そう考えるとワクワクしてくる。そういえば昔、ある遊園地の入口は高揚感を演出するために、緩やかな上り坂になっていると聞いたことがある。それをまさか、異世界でも体験できるなんてな。
 現世じゃ誰もが未踏の大地に、一歩一歩足跡をつけていく。坂の果てはどんどん近づいていき、俺の鼓動は少しずつ早まって、ついには足音よりも早いスピードで高鳴っていく。

 高揚だ。『旅人』となった俺が初めて目にする景色、それが今目の前に現れた。
 街道の曲がり角にある石造りの展望台を見つけて、俺は足早にそこへ向かった。真っ先に特等席に到着した俺が見たのは、青々とした空と大地と大海原。縦に険しく延びる灰の山肌と崖と雲。その山間に挟まれた、古代都市の遺跡のように神秘的で悠々と佇むイワレハの村。
 視界の全てに幻想が映る。若くして現実に慣れきった俺の黒い瞳に、新たな次元の色彩が滲んでいく。
「すごい景色だ……」
「こりゃまた格別だなあ。流石に空が高ぇや」
 感慨に耽る俺とヒグルマさんの後ろで、ハヤンさんが小さく笑っている。振り返ると彼女の隣から俺たちの方へ、オルドさんが歩いてきた。自信に満ちた笑みに加え、御門の紋章も日光を受けて煌めいた。
 展望台の手すりに片手をかけて、俺の方を向いて彼は言う。

「改めて――ここが僕らの聖地、<セントラル>だ。ワタリビト、ようこそ<フラクシア>へ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み