6-2 九死

文字数 2,072文字

(いやいや、生きないとダメだ!)
 だがどうする? まだ身体中を駆け巡る力が有り余っているとはいえ、着地に耐えられそうにない。プロテアの枝を掴むにも腕が届かない。万事休す、俺はもはや――
 そう全てに覚悟した瞬間、俺の落下がいきなりふわりと止まった。大きな気流がクッションとなって、プロテアの幹の辺りで体が宙に浮く。
「逃しはしない!」
「見つけました!」
 二人の声が、ほぼ同時に聖地に轟いた。上空には急降下するグルリベルの手、そして、もう一つの声がした俺の背後には。
「――あなたを犠牲にはさせません‼︎」
 緑の瞳のエルフ、ハヤンさんだった。俺は差し出された彼女の手を取り、グルリベルの魔手から逃れた。
「良かった……本当に、良かった」

 風と共に舞う精霊のように、俺たちはゆっくりと効果して着地した。同様に地に降りたグルリベルが、赤い瞳孔をこちらに突き刺す。冷血だったその瞳は、今は怒りで煌々と燃えているようだった。
「邪魔者が……我らの儀式の邪魔をするな!」
 怒気に満ち満ちた声で、グルリベルはこちらに冷刃を向ける。
「へっ、形勢逆転ってわけだな!」
 助け舟の到来に声を張らせたカノヱが得物の長棒を振り回し、自らを取り囲んでいた赤い氷を一掃した。
「多勢に無勢、どうする? グルリベルさんよ」
 勇ましく武器を構えるドワーフに対し、赤目の魔人は一笑に付して手の甲から氷爪を伸ばす。
「造作もない。まとめて切り刻むまで」
 それは返り血を帯びた妖刀が連なるような禍々しさで、切先は血の滴りを錯覚させるほどの鮮烈な赤だった。間断なく、グルリベルは一息に距離を詰めて俺たちの方へ襲いかかる――だが次の瞬間、彼は真紅の瞳を俺たちの後方へ向け、氷刃を背後へ振りかざした。
 一瞬、焼けるような熱と焦げた匂いが肌と鼻腔を突く。氷の魔人の得物がわずかに溶け、月光に反射して妖しく煌めいた。極低温の氷を溶かす火炎の主は、炎の魔人・ノワレ。
「その子は渡さない。どうせなら渡すなら、あたしの命をやるよ、グルリベル。やれるものならね」
 グルリベルが舌を打ち、両腕に紅の爪を生成する。彼の顔色には苛立ちと焦りが見えてきた。それでも、仕留めるべき獲物を見定める、冷酷な獣の眼光が俺たちに次々と向けられる。だがその平静もまた、呆気なく崩れ去ることになる。
 突如鳴り響く、猛禽の声のような鋭い笛の音。そして彼を嘲笑うように、聖域に異変が起きる。祭壇を震わす地響き、轟音。その上空で鳴り響く、プロテアの枝がへし折れる音。見上げると、『櫻樹』が無数の爆風に晒され、末端の枝葉から次々と崩れ落ちてしまっている。

「ハヤンさん、あれは一体……⁉︎」
「やりましたね。あれはオカツカの同志の攻撃です。小型の<竜髄圧縮爆弾>――あれを用い、竜神を目覚めさせるのです」
「けど、それじゃ転移は」
「ご安心を。これはあくまで示威行為に過ぎません。攻撃したのはあくまで枝であり、中枢である幹には至りませんから!」
「お前を帰らせるためにも、櫻樹を『解放』させるためにも、まずは神様を目覚めさせることから始まらないといけないのさ!」
 ハヤンさんとカノヱが事の真意を説明しながら、グルリベルの攻撃をかわし、いなす。氷の魔人が滲ませていた焦燥は、憤怒を溢れさせた憎悪に変わり、俺たちを執拗に追い詰めた。グルリベルの魔手を掻い潜るべく、俺は戦闘中のハヤンさんとグルリベルの後方へ逃げる。
 だが、それは悪手だったようだ。橋の上には崇暁教の神兵と、過激派ドワーフの連合軍が押し寄せている。このままでは形勢は逆転し、退路も絶たれる。

「ナミノ!」
 橋上の敵兵に気付いたノワレが、グルリベルの死角から俺の方へと移動する。その際にグルリベルは伸びていた氷の爪を矢のように放ち、彼女の頬を掠めた。紅刃の色彩が移ろうように、ノワレの顔に流血が走る。
「敵に気付いたんだね、ナミノ……大丈夫、擦り傷だから。これで、キミを守れる」
 ノワレは戦いに血走った目をしていたが、俺の顔を見ていつもの笑みを浮かべた。彼女は橋上の敵に、カノヱとハヤンさんがグルリベルに対処する形となり、俺はその三人に守られるようにして立っている。その布陣を見てグルリベルは飛び退ると、その奥にいる神兵たちを見やる。
「とんだ業罪を起こしたものだ、貴様たちは。だが、その罪を痛みで贖う時は間もなく訪れる。同志たちが、貴様らを地獄へと連れて行くのだからな」
 俺は振り返り、橋を渡る神兵たちを確認した。猛進する兵士を導く長は、赤い裁着袴と着物の上に純白の鎧と鉢金を装備した姿で、武装した神官とも言うべき威容を誇っていた。その隣には、幾分か小柄のドワーフの鎧兜姿が見える。仲見世で相対したらあのドワーフだ。
「あれは我らを散々打ち負かしたワタリビト! 今日こそ討ち取ってくれる!」
「なりません、武士殿。生け取りにするのです」
 二人の長が束ねる大軍がこちらに迫ってくる。今度はこっちが多勢に無勢のようだ。万事休すと思われた矢先、泣きっ面を蜂が刺すように、今度はプロテアの方からも怒声が響いてきた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み