5-7 極彩の宣誓

文字数 3,254文字

 オカツカ地区はエスガロス地区と同様、高い壁で他と隔絶されている。門前の番兵二人が俺たちを視認すると、彼らは何も言わず門を開けた。
 驚いたことに、門番二人はドワーフだった。彼らはそれぞれ赤と青の薄い生地の服を着ていて、側頭部に花飾り、目元には花火を描いたようなフェイスペイントを施していた。
「ドワーフも一枚岩ではありません。それは他の種族も然りです。この門を潜れば、<極彩の壁>がどのような意味であるか分かるはずです」
 ハヤンさんは道案内するかのような口振りで俺たちに解説しながら、先に門の内側へ入っていく。男三人もそれに準じた。

 オカツカ地区に入った途端、まずつんとした匂いが鼻をつき、それから甘く鋭い香りが鼻腔を貫いた。そして目の前に飛び込んでくるのは、『極彩』が示す通りの、幻惑的にすら映る強い色彩の衝撃だった。
 家屋や蔵の壁一面に塗りたくられた、赤、青、黄、紫などの色彩。それらは花が開くように、あるいは炸裂する爆風のように、狭い居住区に鮮烈に爆ぜている。ごった返している人々も、オムノ、エルフ、ドワーフ、それから竜人と、様々な種族が入り乱れていて、多様な色彩の空間に恥じない。彼らも門番と同様、あるいはそれ以上に顔や体に化粧や刺青を施している。
 こちらの言葉で言うならエキゾチック、或いはエネルギッシュとでも言うべきだろうか。オカツカ地区のうらぶれた活気に、俺は面食らうほかなかった。なるほど、こんなに熱気を炸裂させている人たちなら、森人集落であのような奇襲を行う気骨もあるわけだ。

「……刺激が強い色ばかりでクラクラする。僕の趣味じゃないな」
 オルドさんが手で目を覆いながら、気分悪そうに振る舞う。
「崇暁教のお膝元にも、こんな所があるなんてな。なんていうか、生き生きしてる」
 ヒグルマさんはオルドさんとは対照的に、好意的な反応を示した。
俺はヒグルマさんと同様、この文化を理解しようと努めたが、オルドさんが狼狽えたように、喧騒と色彩の濁流で息が詰まりそうになる。そんな中、騒がしい音の洪水に小石を落とすような、一定のリズムでこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「セントラルのお上は民衆の奢侈を厭う。当然、色彩の幅も狭めるわけさ。そんな中、ここに集って好き放題床や壁を塗りたくる連中は、当然『そういう奴ら』の集まりってこと」
 足音の正体はノワレだった。彼女のストリートルックのような服装は、このうらぶれた雰囲気に合致している。ノワレの隣には、彼女の腰辺りまでの背丈をした、白虎のような髭を蓄えたドワーフが胸を張っていた。
「久しぶりだな、旅人の諸君」
 老いた見た目からか声色は少し濁っていたが、聞き覚えのある野太い声で、俺は彼の正体がすぐに分かった。
「カノヱ! 生きてたんすね」
「ああ、生きてたさ。お前たちの後を追っている間に、『成人』を迎えてね。今はこの通り、老いさらばえた姿さ」
 カノヱはそう自虐したが、その小柄な体は依然として強靭だった。袖を捲った腕は、短いながらも筋肉の太さを感じる。
「ドワーフは二十歳を境に、容姿が急速に衰えるんだ。少年少女の姿から、一気に老爺老婆の姿になるんだよ」
「ああ。だが、森のドワーフは鍛えられてるからな。急激な肉体の変化にも耐えられるよう、常日頃から己を鍛えているんだ」
 カノヱは自慢げに、露出した方の腕を折り曲げて自身の筋肉を主張する。達観したような風貌の老人がこのような腕白な振る舞いをするのは、ちょっとクスリときた。
「君たち二人が来たということは、また何か胡乱なことをするわけだよね?」
 ざわめきと二人の到来に不機嫌な表情を浮かべながら、オルドさんは疑心暗鬼を隠さなかった。ノワレは「その通り」と返し、俺たちの前を闊歩する。
 彼女は喧騒の真ん中に立つと、騒いでいた人々が一斉に静まった。

「諸君。私たちはついに機会を得た。森人の襲撃と崇暁教の抑圧に翻弄されつつも、我々はこの時を待っていた。今夜、我々は崇暁教兵士と黎明会の抗争に乗じ、このセントラルに立つ櫻樹を『解放』する」
 オカツカの人々にとっては待ちかねた、しかし俺にとってはあまりにも突然の声明。運命の時はいつの間にか、すぐそこまで迫っていた。
「諸君はオカツカ地区から聖域への四つ辻へ向かい、聖域前の橋から祭壇を制圧してほしい。その間にカノヱはワタリビトと共に、聖域の南にある竜獄島へ上陸し、裏手の地下から櫻樹へ向かう。
 皆、これは我々がこのフラクシア、<流界>の時を動かすための最大の好機と心得てくれ。このフラクシアに『無窮』は存在しないことを、このセントラルから此岸と彼岸に今一度刻みつけるんだ」

 ノワレが腕を掲げると、オカツカの民は一斉に鬨の声を上げ、これから始まる一世一代の大舞台に心を奮わせた。
「そんな……馬鹿な」
 オルドさんは絶句した。オカツカの抗戦の合図は、彼の核心を貫くほどの傷を与えていた。
「……オルド?」
 理解できない者たちの理解できない行動に、オルドさんは激しい憎悪が溢れていた。その憎しみは体を震わせ、ついに彼の踵を反転させる。
「おい、どこへ行くんだ! オルド!」
 ヒグルマさんの問いかけにも応じず、オルドさんはその場を去ろうとした。だが、番兵が道を塞ぎ、彼を蹴り飛ばす。
「ノワレ、オルドはどうする? 話を聞かれた訳だが」
 カノヱがそう告げると、ノワレは「そう」と返し、彼の出ていった方角を見つめる。
「……あれも崇暁教の信者か。今は情けはかけられないね。オルドはこの場所で監視しておくように」
 彼女がそう言うのは分かっていたが、冷徹な判断だった。
「そうか、分かった。ヒグルマはどうする?」
 カノヱが尋ねると、ノワレはヒグルマさんの方へ歩み寄った。体格差は歴然だが、彼女の目は毅然としている。
「あたしはフラクシアの民として、オカツカの民たちとプロテアを解放する。竜人史の礎となったあの聖域を侵すことについて、心苦しいのは分かっているよ」
「いや――」
 ヒグルマさんは、ノワレの慰めにかぶりを振った。それからオルドさんの方を見て、静かに口を開く。
「オレにとっちゃ、もうあのデクの木にはもう何の意味もないと思ってるよ。竜神様が死にかけている間に、オレたちは全てを歪まされた。虐げられた状態のまま、碌でもない連中に勝手に担ぎ上げられるなんて、少なくともオレは望んじゃいねえよ」
「ヒグルマ、キミは――」
 何か言おうとしたノワレに対し、ヒグルマさんはまた首を横に振る。
「オレたちはお前の完全な味方じゃない。聖域の破壊なんて、正直過激すぎるからな。だが、あれがもういらないってのは同意だ。オルドには悪いが……フラクシアがゆっくり異界の暴徒に染められるのは、オレも黙って見ていることはできないからな。そうでなきゃ、竜人はいつまでも変えられないんだ」
 改めてノワレの方を向いたヒグルマさんは、彼女に手を差し出す。
「オルドの付き人ではあるが、オレもお前たちの話に乗らせてくれ。今回限りだけどな」
「……ああ」
 ノワレは彼の手を握り返す。ヒグルマさんも、決断したみたいだ。俺もカノヱの方へ向かい、自分の意思を表明しようとする。

「待ってくれ、ナミノ」
 その時、ヒグルマさんから声をかけられた。振り向くと、今まで以上に真剣な眼差しをしている。
「お前がこれから向かう竜獄島――その地下には、今の竜人の真実が隠されてる。非情な真実さ。上古で竜人がしたことも、確かに許される訳じゃない。だから種族革命が起き、竜人は堕ちた。そいつらの末裔が今どうなっているのか……あまりにも残酷な末路だが、どうか見届けてくれ」
 嘆願するような声で、ヒグルマさんは俺にそう訴えた。上古の竜人が犯した異人への排斥と、その罰となる非道な仕打ち。俺たちは既にエスガロスでそれを見たが、あれ以上に残酷なものがあるというのだろうか。
「ナミノ、行けるか?」
 カノヱがこちらに来て、俺の決断を待っている。彼の双眸をまっすぐ見つめて、俺は「はい」と頷いた。
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