4-6 転移の代償

文字数 4,442文字

 話し合いを終えた時、日は落ちかけてきていた。周囲を山に囲まれたこの場所は、暗くなるのが早い。湖に浮かぶ翡翠の島は月の光を受けて輝き、夢のように妖しげな色彩となっていた。

 ノワレの家から少し歩いた先にある広場では、ゴブリンたちが中央の焚き火を囲んでいる。そこでは魚やキノコといった食べ物が串刺しの状態で炙られていて、どことなく原始的な様子だった。
俺は焚き火の片隅に空いたスペースで暖を取る。
 ゴブリンたちは俺たちに興味津々だから、キミも輪の中に入ってくるといい、とノワレに言われたんだ。ゴブリンたちを見ていると、彼らは片言で、美味しいご飯のことや焚き火が暖かいこと、月が綺麗なことを仲間たちと話し合っているようだった。睦まじい。
 楽しげに談笑するゴブリンたちだったが、近くにいる俺や通りかかるヒグルマさんらに対しては極力目を合わせようとしなかった。ノワレ以外の人間が来たことに、まだ慣れていないのだろう。

「おやおや、まだ好かれていないみたいだね」
 しばらく座ったままでいると、背後から盆を持ったノワレが出てきた。盆の上には、木皿の上に白玉団子が盛られていた。
「中に餡子が入ってるやつ。異界から森人集落に広まったんだ。これはゴブリン用だから、キミの分はないよ」
 それは残念だ。しかし、大福は森人集落で人気の菓子なのか。あの東洋的な雰囲気といい、森人集落は割と外界のものを広く受け入れる性質なのかもしれない。
「のわれだ! のわれ!」
「おかしもある!」
 ノワレの姿を見て、一斉にゴブリンたちが集まってきた。みんなノワレには心を許しているようで、目の前の菓子を見て目をキラキラさせている。
「はーい、今日はご褒美に甘味をあげちゃうね。一人一個までだからね、ちゃんとよく噛んで食べるんだよー」
 『一人』。
 そうだ、ここで生きているゴブリンも、生き物としてではなく『人間』のように振る舞っている。まだ幼気だけど、だからこそ彼らは大人以上に感情を大きく表している。その姿が微笑ましかった。こんなに純粋無垢な命なのかと思った。
「ふう、みんな喜んでくれて何よりだよ」
 餡子餅をみんなに渡し終えたノワレが、俺の隣に座って余った餅を口に入れる。
「それ、ゴブリン用じゃなかったんすか?」
「ちょうど一個余ったんだよ。そういえば、あたしが餅をあげてる間、キミはずっとゴブリンのことを見てたね。興味あるの?」
 俺の様子に気づいていたノワレがそう尋ねるので、俺は今考えていたことを打ち明けることにした。
「いや……ゴブリンって、なんだか人間みたいだなって。そんなこと考えてたんすよ」
「実際人間だよ、ゴブリンは」
 咀嚼していた餅を飲み込み、ノワレは俺の方を向いて返答した。
「確かにゴブリンは、普通の人にとっては『悪魔』だけど……こうしてセントラルのゴブリン谷にやってきて、みんなと過ごすようになってからは、そんなの偏見だよねって思った。ほら、みんな無邪気じゃん? 笑ったり泣いたり、怯えたり。人間と変わらないよ」
「……そうですね」
 全く仰る通りだ。本当のことは実際に見てみないと分からない。ゴブリンは確かに『人間』だった。

「ようナミノ、そろそろ寝る時間だぜ。――おっと淑女様、貴方も褥につく時間では?」
 ノワレの次に俺の背後に現れたのはヒグルマさんだった。彼はノワレを見るなり居住まいを正す。
「お気遣いありがとう、ヒグルマ。ご飯は足りた?」
「ああ、たらふく食ったさ。こちらこそ気を遣わせて悪かったな。それにしても、意外と物資が整ってるんだなあ」
「仲間のおかげでね。それに、ここは良い魚が獲れるんだ」
 ヒグルマさんと軽く語らうと、ノワレはおもむろに立ち上がった。そして俺にも起立を促し、「少し歩こう」と言う。
「なにか話があるんですか?」
 立ち上がりながらノワレに聞くと、彼女は頷いて、
「ああ。今回の作戦の懸念点について、ヒグルマも交えて話しておきたいんだ」
 と真面目な声色で返した。
「ハヤンとオルドはいいのか?」
「ハヤンには事前に伝えてあるから大丈夫。あの青年に関しては――まあ、知らない方がいいこともあるだろうね」
 ノワレはオルドさんのことを案じているようだ。俺たち三人は広場を抜けて、坂を降りた先の岸辺まで歩いた。

「ここまででいいかな」
 ノワレは足を止め、俺とヒグルマさんに視線を向ける。そこにいつもの笑みはなく、暗がりで一層翳ったように見える面持ちだった。
「それで、何の用なんだ?」
 ヒグルマさんは顎に手を当てて、相手の返答を待った。
「今回の作戦の……危険性についてだよ」
 言葉を選ぶように発言したノワレの声色からは、気まずさが漂う。転移の作戦については、今日の昼時の話に加え、先生とカノヱとのやり取りでも聞かされていた。そういえばカノヱが、「転移で竜神を目覚めさせてしまう」と言っていた気がする。
「その危険性って、竜神様のことと関係があるんですか?」
 そう言うと、ノワレはぴんと指を立てて「その通り」と返した。
「転移によって帰郷するには、プロテアの中枢へと行く必要がある……ただ、そこからが問題なんだ。本当は昼に話しておくべきだったんだけど」
「いいんだ、今話してくれて。どの道オルドもいないんだからよ」
「そうだね、話を続けよう。まず、ナミノくん向けの前提知識として、竜髄――すなわち、<ブレス>という物質の話をしようか」
「<ブレス>……俺たちにとっての異国の言葉で、『呼吸』って意味ですね」
「さすがワタリビト、話が早い。『呼吸』というのもそうだし、近い発音では『祝福する』という意味の言葉もあるよね。つまりブレスというのは呼吸と同様、フラクシアの生物に宿ってる極めて重要な万能物質のことさ」
 この世界の生物が生きていく上で必要な万能エネルギー、それがブレスってことか。ノワレの説明に対し、俺の隣にいるヒグルマさんが、少し眼差しを曇らせて深く頷いた。ノワレが話を続ける。
「問題というのは、竜神の目覚めとブレスについてだ。上古の竜神戦争と、その後の大掛かりな転移でブレスを使い果たした竜神は、眠りにつく際に桜色の結晶体の繭を作り、それと同化した。その繭が巨大化したのが、今<櫻樹>と呼ばれているプロテアだ。このプロテアの中枢に入ることで竜神と『交信』し、帰郷へと導かせるのがあたしたちの役目だ」
「なるほど。だがプロテアは、竜神が有するブレスの塊だ。目覚めさせたら、莫大なブレスを放出することになる」
「いや、その心配はない。プロテアのブレスは今、崇暁教による相次ぐ転移で不安定かつ枯渇した状態になっている。もし転移が起こっても、聖地や街への影響はない」
 そこでノワレは一旦言葉を切り、より険しい表情になって口を開いた。

「だけど……此岸大陸で行われる小規模な転移の儀と比べて、今回は無理に死に体の竜神に転移を頼み込むんだ。今回の件で、間違いなくプロテアは完全に崩壊する。そうなると、肉体を維持できない竜神は気化して、大空にブレスを拡散させるだろうね」
「へえ……ってちょっと待った」
 ここまで黙って聞いていたヒグルマさんが、突然慌てた口調でノワレに問い直した。
「上古の竜ってのは雌雄同体の『独り神』で、死に際に拡散するブレスの粒子はいずれ卵になって孵るんだ。竜神戦争が泥沼化して神さんが眠りについたのもそれが理由だ……ってことは」
「……俺の帰郷が、世界各地に竜を目覚めさせるきっかけになるってことですか?」
 その問いを最後に、湖畔には沈黙がしばし訪れた。俺の帰郷が世界に災いを産む。それは俺が想定する上で最悪の展開だった。
 長い静寂の後、ノワレはしぶしぶ頷いた。
「……極論を言えば、そうなる。だけど、勘違いしないでほしい。転移による侵掠を止めるためには、この方法しかないんだ」
「そんな……それじゃあ将来、フラクシア全土が危険になるじゃないですか! 将来発生しうる犠牲者の数なんて――」
「そうだなあ」
 ノワレの弁明と俺の慌てぶりに対し、ヒグルマさんが腕を組んで考え込む。俺たちは彼の言葉を待った。
「その竜ってのは、上古でいう(ドラゴン)の仔ってことだな。ワイバーンじゃなく」
「うん……だけど仔竜とはいえ、その力は凄まじい。八百万の竜神に仕える仔竜たちが先の戦争で入り乱れた結果、世界は遍く荒廃した」
「だが、今いる竜神様はたったの一体だ。大量の竜が所狭しと世界を荒らし回るような世界にはならない。加えてなけなしのブレスから生まれる仔竜の力なんて、たかが知れてる。教団には異文明の力があるんだろう? 転移で異物の流入を止めるのは最優先だが、異物の残り物でも戦えるさ」
「ヒグルマ……」
 ノワレはやや弱気そうな声で、ヒグルマさんをなだめるように言った。よく分からないが、仔竜を狩る存在さえいれば、世界がまた滅ぶような大規模な被害は起きないってことか?
「……キミが言いたいことは分かるよ。私も理解してる。フラクシアにおいては、人類に対する『調停者』が必要だってことを」
「ああ。仔竜と人類とで衝突は起こる。だが、親元の竜神がいなくなれば崇暁教も衰退するし、仔竜も教団を含めた人類の守護者になるだろう。その前に仔竜の卵狩りが起きるだろうが、どっちに転んでも構わない」
「……空が奪われることがあってもかい?」
「それこそ構わないさ。崇暁教は空飛ぶ兵器を作れるんだろ? あんな奴らに制空権を奪われるくらいなら、仔竜が空から見守ってくれた方が百倍マシさ」

 要するに、俺の転移で世界には竜神の卵が散乱することになる。だが、卵から孵る仔竜は今の人類でも対処可能な存在で、仔竜が生まれる前に卵を狩るという先手を打つこともできる。完全な対処はできずとも、孵化した仔竜たちが崇暁教より先に大空の支配権を手にすれば、例えば異界の文献を元に量産された飛行兵器で爆撃される可能性はなくなるわけだ。
「それに」
 竜人を案じるノワレに対し、ヒグルマさんは腕組みを解いて片手を腰に当てた。
「どの道お前はやりきるんだろ? ワタリビトの『転移大作戦』をさ」
「……」
 ノワレは神妙な顔をして黙り込んだが、すぐに沈黙を破り、
「そうだね。暴走する世界を止めるには、やらなくちゃならない行動だ」
 懸念を払ったいつもの口調で、ノワレはヒグルマさんを見つめた。二人はその視線を俺に向けて、今一度作戦の承認を求める。
 確かにフラクシアへ与える影響は尋常じゃなく大きい。だけど、例え侵掠者が自分たちの故郷の者でも――いやだからこそ、やすやすと見過ごすわけにはいかない。
どちらに転んでも、過酷な未来が待っている。だけど彼らがここまで築いてきた世界が、俺たちの世界における『負の歴史』で変わってしまうのなら、選ぶ道は一つだけだ。
「ナミノ、あたしたちがやることに協力してくれるかい?」
 改めて俺の意思を問うノワレだが、気持ちはもう決まっている。
「当たり前ですよ。帰るためなら、やるしかない。やってみるだけです」
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