2-3 相容れないもの

文字数 3,116文字

 その夜はたらふくご飯を食べ、石の床に布を敷いて雑魚寝をしていたが、ざわめく夜風と硬い石床でどうにも眠れなかった。三度目の中途覚醒をしたタイミングで完全に目が覚めると、その場にオルドさんがいないことに気づいた。

 出入口の向こうに人影がある。むくりと起き上がり、そちらに向かって歩き出した。オルドさんが俺の足音に振り返る。彼の向こうには既に朝日が差し込んでいて、逆光で彼の顔がよく見えなかった。
 暁の空を迎える崇暁教の一員――頭の中で、その言葉が一瞬通り過ぎた。やめておけ、そんな先入観は旅路にはいらない。そう心に言い聞かせて、俺はオルドさんに手を振った。
「おはようございます。オルドさんも眠れなかったんですか?」
「おはよう。僕はぐっすり眠れたよ。ただ、毎日こうして朝日を眺めるのが日課でね」
 言葉を切り、オルドさんは朝焼けの方に向き直る。眩しい光に、俺は片手で光を遮った。
「眩しいよね。暁の光は新たな一日を呼び起こしてくれる。視界に捉えるには燦然極まりない、<我が君>のご威光だ。僕は――僕たちは、この朝日を見るたびに、森羅万象を照らす<我が君>の偉大さを讃えている」
 オルドさんは訥々と、<我が君>の神秘を口にした。いつものお調子者で、少し臆病な性分からはかけ離れた、何かに憑依されたような無機質さを感じる。

「<崇暁教>はフラクシアの竜神――<シュージャン・ウー>と、君たち異界との交流から生まれた宗教だ。『天つ海との狭間、かくりよの東の果てより、二つの太陽が邂逅せしむ。天は双界を糸で繋ぎ、無窮なる暁が流転に現る』。これは『暁の教典』の最初の句だ。<我が君>の『転移』によって、君と僕の世界は結ばれた。<竜神ウル>は、異界の暁天を翼に戴き、唯一の神<シュージャン・ウー>となった。そこから『神の道』が始まったんだ」
 そこでオルドさんは一旦言葉を切り、すまないがこの話は長くなりそうだ、と一言置いた。俺は「聞きたい」という思いを素直に告げた。俺はこの世界をもっと知りたかった。セントラルが崇暁教にとっての『中心』たる理由が分かるかもしれないと思ったからだ。

 オルドさんはわずかに口角を上げた。そして、ゆっくりと片腕を目の前の太陽に添える。
「崇暁教は『異端』として扱われることもあった。だが今は違う。僕たちは僕たちの意志――そう、『意志の力』によって世界を認めさせたんだ。崇暁教が絶対になる瞬間を、ずっと<我が君>は見守ってくださった。そして今もね。
 <我が君>にとって、僕たち<信臣>は花のようなものだ。花は美しく、それゆえに誰にでも愛される。僕たちは遍く全ての人からの信愛を受け取り、そしてそれらをに還元する。花は散るが、その『散華』もまた我が君のためだ」

 ……?
 今、俺の心に確実に引っかかる言葉があった。
「ああ、そういえば君にはまだ話してなかったね。僕が向かうべき場所のことを」
 掲げていた片手を下げ、オルドさんは青い瞳を俺に向けて言葉を続ける。
「僕たち信臣が、<我が君>への忠誠を誓うために必ず行くべき場所――そこはセントラルの中心にある、<櫻樹《おうじゅ》>という聖地だ。櫻樹の麓には祭壇があり、その前にはが延びる。信臣たちはそこで己の『穢れ』を祓うことで、無窮の救済を得られるんだ。一生に一度しかないけれど、僕たちはこの時のために生まれてきたと言ってもいい。そんな時にワタリビトの君と出会えるなんて、僕はなんて運がいいんだろう」
 彼は夢見心地のような声色で、朝焼けを仰ぎ見る。その目に光は確かに宿っている。だが、時々妙に虚ろに映る。
 オルドさんのゴブリンに対する偏見と、崇暁教への強い帰属意識は、彼の本心のなさをそのまま物語っていた。彼は刷り込まれている。そして従順だ。俺より歳は上なのに、俺よりも幼く見える。

「オルドさん」
 俺は彼に呼びかけた。彼に抱いていた違和感の正体が、今分かった気がする。そして俺にはどうしようもない性分がある――こういう時、黙ってなんかいられないんだ。
「それって、オルドさんの『本心』なんですか?」
「えっ?」
 敢えて俺は、自分の意見を彼に告げた。その時の顔を見て、俺は顔に出さずに驚いた。
 ……彼もまた、驚いていた。それが本心であることを肯定されたことへの喜びはなく、しかし理解されなかったことへの嫌悪もない。
 ただ、オルドさんはあっけらかんとした顔で、そのまま限りなく純粋無垢な返答を口にした。
「そんなこと――考えてもいなかったよ」

 しばしの沈黙を遮ったのは、洞穴の入り口の方から聞こえてくるヒグルマさんの声だった。
「おいおい、こんなところにいたのかよ。穴から出てくなら声かけてくれよ」
「ヒグルマは寝ていただろう。それに、僕が朝起きて日差しを浴びるのはいつものことじゃないか」
「いやいや、今回は巡礼の旅だぜ。お前一人置いていけるほど適当なことできないだろ」
「それは悪――待った、僕を置いていこうと考えたことあるのかい?」
 朝から漫才のような掛け合いを聞いて、少し頭が冷えた。気に留めないなんてことはしないが、今は忘れておこう。
 三人の男たちはその後、いそいそと元いた場所に戻った。管理が行き届いてる野営地とはいえ、見知らぬ場所に眠ったままの女性を一人置いている状況は、少し距離が生まれつつある三人にとっても満場一致でまずいと感じる事態だった。

 しかし洞窟に戻ってみると、ハヤンさんは相変わらずぐっすりと寝ていた。俺たちは少し呆れたが、とりわけ大きな溜息をついたヒグルマさんが彼女の方に歩み寄る。懐からこの間使ったのと似ている小石二つを取り出すと、拍子木でも打ち鳴らすように耳元で叩いた。
 もぞもぞと動きながら、ハヤンさんはようやく目が覚めた。常に理知的な佇まいからは考えられないような大あくびをして、重い瞼を擦りながら口を開く。
「もう朝なんですか。まだ三日三晩は眠れますよ」
「悪いけど、一世一代の舞台を前に生き急いでるやつがいるんでな。さあ起きた起きた」
「なんというか、オムノらしい生き方ですね。エルフであれば、もっとのんびり生きられるのに」
「その理屈、オレみたいな竜人には通用しねえからな」
 そう言ってもう一度石を鳴らすと、ハヤンさんは「はいはい」と言いながら重い腰を上げた。
「エルフならのんびりとか言ってましたけど、人種ごとに寿命が違ったりするんすか?」
 戻ってきたヒグルマさんに新たな質問をぶつけると、ヒグルマさんは頷いた。
「ああ。ってことは、お前のとこにはあんまし変化はないのか?」
「いえ、ありますよ。うちの世界も人種はバラバラですから。ここに比べたらあまり違いは少ないですけど」
「へえ、興味深いな。寿命の話ならフラクシアにはこんな諺がある。『オムノ五十年、エルフは百年、竜人しぶとく千年紀』ってな。まあ、今の竜人はそんな長くは生きないが、それでもエルフの倍以上はある。長いねえ」
 彼は溜息混じりに自分の寿命に対して一言呟くと、荷物の支度をし始めた。
「オルド! こっから先は森人集落まで道なりだよな?」
「ああ、そうだよ。この先も数日はかかるだろうし、途中の野宿ではここみたいな休息はできないかもしれない。今以上に過酷な旅になっちゃうけれど、行けるよね、ナミノ」

 今更巌ノ村に戻るという選択肢はない。はい、と力強く頷いて、俺はすっくと立ち上がった。俺以外の三人は、もう出発の準備ができていた。あれだけゆっくり起きたハヤンさんも、いつの間に旅支度を済ませている。
 俺たちは洞穴を後にして、急な山道を再び登り始めた。青空に一人浮かぶ太陽は、こちらの旅路を観察するように道中を照らしていた。
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