3-7 柔軟かつ強靭に

文字数 2,547文字

 言うが早いか、カノヱは火の手の方へ飛び出した。ついでにオルドの手を取り、彼を引きずるように連れて行く。
「ナミノを守るぞ、お前も手伝え!」
 小柄な体では想像もつかない彼の剛力と、突然の襲撃に慌てながら、オルドさんは彼に連れられて行った。俺も後を追おうとすると、先生が「待った」と留めた。
「ナミノ、其方に渡したいものがある。手を差し出せ」
 言われた通りにすると、先生は布地の小袋を俺の手に乗せた。丸いものが数個入っている感触がする。
「其方が危機に瀕した時、使うと良い。鋼鉄のように全てを弾く<黒の丸薬>、激昂と引き換えに瞬時に秘めたる力を引き出す<朱の丸薬>、そして無限の強壮を発揮する<白の丸薬>の三つだ。数には限りがある、よく考えて使え。さあ、もう時間がない。急げ!」
「待ってください! それじゃあ先生は」
 とっさのことで頭の理解が追いつかない。だがそれ以上に、先生の命の方が心配だった。慌てながらもそう声をかけると、彼は不敵に笑いながら言った。
「私のことはいい。今ここで死のうが、いずれ『正しき道』に解放される命だ」
 己の死期を悟るような一言だった。それが彼の望みなら、「助けたい」という俺のエゴが入る余地はないか。俺は何も言わずに頷いて、先生の元を去った。
「さらばだ、ナミノ。君の旅路が、全ての命を導くことを願っている」

「遅かったじゃないか、ナミノ」
 燃える屋敷を出て二人と合流すると、オルドさんが俺を心配してくれた。
彼らの背後には武器を構えて威嚇するドワーフたちの姿があった。敵方のドワーフの何人かは倒れているか、地に膝をつけてこちらを睨みつけている。カノヱは長い棒を持ち、余裕綽々と敵の様子を窺っている。オルドさんは護身用の刀剣――正確に言えば、軍刀に近い真っ直ぐな片刃の刀身――を持っていた。武器を持つ手が、動揺で微かに震えている。
「ようし、揃ったな。こっちだ、遅れるなよ」
 カノヱは戦闘態勢を解除して、俺たちの右手にある通路の方へ逃げた。ドワーフたちはすかさず追いかけてきたが、直後に彼らの頭上から炎が滴り落ちる。振り返ると、燃える屋敷の外れの岩場から、別のドワーフが矢をつがえていた。よく見ると、その射手の目の周りには、カノヱと同様の青緑の隈取があった。
「仲間が上手くやってくれた。燃える藤の穂を落とせば火の雨だ」
 多少手酷い傷になるだろうが、何はともあれ時間は稼げる。俺たち三人は真っ直ぐ狭い地下道を走った。
「この道は安全なのかい?」
「どうだろうな、そう言える保証はない――おっと、やはり先客がいたな」
 カノヱの言う通り、前方から森人たちが向かってくる。槍を持ったドワーフ二人に、忍装束を着たエルフの刺客が一人。
「実質二対三、劣勢だな……」
 オルドさんがそうぼやくと、彼をからかうようにカノヱが笑い、
「大丈夫さ。俺たちならやれる」
 と、襲いかかってきたドワーフ二人を長棒で打ち払った。倒れ込む鍛人たちの背後から、エルフの刺客が小刀を突き立てて急襲する。それをオルドさんが、間一髪のところで受け止めた。
「だからって、こっちは剣の扱いは素人なんだよっ」
「安心しろ、敵だって素人だ。過激派連中なんて所詮は寄せ集めだ!」
 キリキリと刃を押しつける忍びのその背後から、飛び上がったカノヱが手刀をかまし気絶させた。

「これで先へ進めるな」
 邪魔者を蹴散らし、俺たちは脱出を再開しようとした。一歩足を踏み出し、そのまま駆け抜ける――その瞬間に、鋭く強烈な向かい風が一筋、地下にいる俺たちの頬をかすめた。
「うわっ!」
 いけない、驚いて大声を出してしまった。慌てて口を塞ぐと、背後からカラカラという音がした。何かが転がっている音だ。
「こいつは……弓矢だな」
 カノヱが背後を振り向き、風の正体を突き止める。俺とオルドさんは、青ざめた表情のまま互いを見つめた。
「どうするんだ? こんな狭いところで弓だなんて、対処のしようがないぞ」
「参ったな。さっきのドヤ騒ぎでエルフの耳に入ったか。ここじゃなければ他に道は……」
 流石のカノヱにも焦りの色が見えてきて、オルドさんの顔色は一層悪くなった。俺も覚悟を決めた。
 ――ここで決めた覚悟とは、道半ばで命を散らすことなんかじゃない。さっき先生に貰ったあの丸薬を使う時が来たんだ。想像してたよりかなり早い出番だが、やるしかない。
「二人とも、俺に作戦があります」
 意を決して策を講じようとすると、二人は揃って注目した。
「さっき先生から貰ったものがあるんです。三つの丸薬、そのうちの黒。こいつを飲めば、あらゆるものを弾き通すことができる」
 俺が薬袋を掲げると、カノヱの顔が一気に明るくなった。
「良かった、先生は忘れてなかったんだな。今すぐそいつを飲め! それで壁張って、矢弾をやり過ごすぞ」
 カノヱの言われた通りに、俺は黒の丸薬を飲み込んだ。次の瞬間、身体中を何かが駆け巡る感覚がした。自分の体から粒子が立ち込めてくると、それは俺の周囲で漂い、やがてガラス状の透明な壁として固まった。

 宙に浮かんだ透明な障壁に触れようとしてみると、壁は押されるように前方へ移動する。そのまま前へ歩くと、障壁も前に進んだ。
「こいつを盾にしつつ移動するってわけか」
「透明で膜のように薄い障壁だな。これで本当に防げ――」
 オルドさんが懸念を言い終えないうちに、前方から矢の雨が飛んできた。万事休す――その諦念を表したかのような無慈悲な矢弾。しかし、それらは硝子の障壁の前に呆気なく弾かれ、地面に転がり落ちる。
「効果ありっすね!」
「そのまま走れ‼︎」
 もう恐れることはない。障壁が頑丈なことを確認した三人は、俺を先頭にして地下を駆け抜けた。
「おい、敵が迫ってくるぞ!」
「何でだ⁉︎ 矢を弾いて向かってくる!」
 こちらに矢を浴びせた小さな襲撃者の群れが、迫り来る俺たちに慌てふためく。そのまま体当たりすると、ドワーフたちは障壁の勢いに吹っ飛んでいった。
「ここを右に曲がれば出口だ」
 俺たちは地下通路の分岐を右に曲がり、地べたに倒れ込むドワーフたちを後にした。その後も現れるドワーフやエルフを蹴散らしながら前に進む。篝火とカノヱの案内を頼りに地下洞を進んでいくと、月明かりが照らす出口を見つけた。
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