1-6 旅人、またひとり

文字数 3,967文字

 目を開くと、そこは真っ暗だった。

「――えっ?」
 ふと思い立った嫌な予感が心臓を掴み、絞り上げた。うつ伏せの状態から飛び起き、その場を確認する。
 ……薄明かりに照らされた一室だった。周りには誰もいないが、そこが俺たち三人が泊まっている部屋だということは分かった。抓った頬の痛みからもよく分かる。流石に元いた地下牢に戻るという理不尽は起きなかったようだ。
 それにしても、今は俺以外に誰もいないのか。みんな部屋の外にいるのだろうか? どこかで酒でも飲んでるのかな、俺一人置いて。
 部屋の扉を確認したところ、どうやら鍵は開きっぱなしのようだった。油断しているんじゃないかとも思ったが、俺がこうやって外に出ようとすることを鑑みていたのかもしれない。
 何にせよ、俺は部屋の外が気になった。だから扉を開けて上階へ向かい、他人との交流を求めた。どの道どうすることもできないなら、現状を少しでも変えるための知識は持っておきたい。そのためには、誰かの含蓄や助けを得ることも大事な手段だ。

 一つ上の階に行くと、通路の一角から雑談が聞こえた。声の方に向かい、奥を覗いてみると、果たしてオルドさんとヒグルマさん二人がいた。誰かと談笑している。俺を置いて和やかにしてるのを見ると、少し複雑な気持ちになるな。
「ああ、ナミノ」
 オルドさんが俺を目にして、驚いた後に笑いかけた。隣のヒグルマさんが「お前もこっち来いよ」と手招きする。俺の服装は学ランに黄色い外套のままなんだけど、大丈夫かな。
「まったくずるいっすよ、俺一人置いて」
 少し馴れ馴れしい感じにふてくされながら、俺は空いていた席に座った。改めて正面を見やり、俺ははっとした。
 真向かいの席で木の茶碗に口をつけていた女性は、一瞬目を奪われるほどに美しく、柔らかだけど凛とした雰囲気を纏っていた。象牙のように滑らかな白髪に、落ち着いた黄緑色の瞳が俺を捉える。彼女は目を細め、「あら」と零しながら口角を上げる。小さな口から、尖った八重歯がちらと見えた。
「君が例の子ですね」
 見ず知らずの人なのに、心が無防備になってしまいそうだ。だが、俺はこの人の発言を聞き逃さなかった。
 例の、人……
「二人とも、俺のこと――」
 俺は二人を詰問しようとしたが、彼らは気まずそうに白状した。
「すまん。悪気はなかった」
「彼女、すごく口が達者なんだ。つい君のことを話してしまった」
 なんというか……気持ちは分かるが、俺より口が軽いのは……

「おっと、自己紹介が遅れました。私はハヤン。森人集落出身のしがない妖人(エルフ)です」
 ハヤンさんの自己紹介を聞いたところで、俺はもう一度面食らった。
 確かにエルフだ。エルフが目の前にいる! この尖った耳はまさしくそうじゃないか。でも、よく見ると俺の想像とはちょっと違う。鼻筋から鼻先にかけて黒い模様や、さっき笑いかけた時に見た八重歯が、何となく獣人のような感じに見える。
 ハヤンさんは改めて、俺たち三人の顔を交互に眺めた。一通り確認した後で、得心が行ったように頷く。そんな彼女の様子を、ヒグルマさんは疑問の眼差しで見ていた。
「しがないエルフとは言うが……あんた、どこの森出身だ?」
「<天使の頭(アンジェ・カプト)>の森の出です。言ったでしょう、しがないエルフですよ」
「なるほど。じゃあ『林外調査』に来たんだな」
「あら、勘が鋭いですね」
 ハヤンさんがにこりと笑った。オルドさんはたちまち興味を持ったようで、少し身を乗り出して口を開いた。
「林外調査の妖人、初めて見た。どんなところに行ってたんです?」
 彼の熱意に気圧されてか、ハヤンさんはわずかに苦笑した。それから、ゆっくりとした口調で話した。
「それほど特別な人種ではありませんよ、林外調査員というのは。ただ、某所の森から東方遥か彼方まで出向き、外の情報と土産程度の調度品を持ち帰るだけです。森の民の使命は、フラクシアの全てをしたためることですから」
「東方ってどこまで? <(アーラ)>は広いでしょう」
「そうですね……極東の<落ちた羽根>までは行きましたよ。これがその証拠です」
 彼女はどこからともなく、青銅の古鏡を机の上に差し出した。「おおっ」とオルドさんが感嘆を漏らし、その古土産に釘付けになった。
「こりゃあ驚いた。手練れのエルフだね、あんた。しかし、<羽根>から故郷に蜻蛉返りして、今回はセントラルか。大変な任務だな」
「これも仕事ですからね。ただ、極東から彼岸の新大陸は遠いですし、あまつさえ彼岸西端はまだ未開の地。未知の大海原よりも、見知った航路から聖地に行く方が都合が良いのです。私の疲労は嵩みますけれどね」
 少し皮肉っぽく言いながら、ハヤンさんはいまだに鏡を眺めているオルドさんの方に視線をやった。俺は一瞬、彼の胸元にある『八紘の御門』の記章を見つめる彼女の目が、少し鋭くなっていたのを見た。

「オルドさん、そういえば貴方は巡礼の旅に赴くのでしたね」
 ハヤンさんは穏やかな眼差しに戻り、彼に問いかけた。まるで俺の観察を察知していたかのように、声色も表情も一瞬で戻っていた。
「あ、ええそうです。ただ巡礼までにはあまり時間がなくて」
「そうですか……ここでお暇しても大丈夫なのでしょうか?」
「それについては大丈夫ですよ。ナミノの件もあったけど、ここから山間を突っ切れば間に合います」
 それを聞いて、ふむ、と彼女は言葉を濁す。それから瞬きを一つして、わずかに言葉を選ぶような口調でオルドさんに尋ねた。
「確かセントラル中央には、ゴブリン達の住む峡谷があると聞いていますが」
 <ゴブリン>、また不気味さを醸し出す名前だ。だが見ず知らずの俺よりも、オルドさんの方が一瞬だけ気まずそうな本音を顔に出していた。それを見かねたヒグルマさんが、
「ああそうさ、確かにあそこは早い。オレはゴブリンについては門外漢だが、まあそんなに怖い存在でもないだろ。なあ?」
 追い打ちをかけるような発言だった。ハヤンさんもそれに乗り気のようで、「ああ、そうでした」と口を開く。
「ゴブリン谷は確か、どの森人集落にも記録のない土地なんです。一部の方は<悪魔(オルク)>に連なる種族という建前にこだわるようですが、未踏の地とそこで生きる種族、両方を調査する千載一遇の好機は見過ごせませんね」
「おっ、あんたもゴブリン谷へ行くのかい? それは――」

「ちょっと待ってくれ。勝手に話を進めないでくれるかな」
 慌ててオルドさんが話を遮った。
「でもよオルド、今から沿岸を迂回しても巡礼に間に合わないぞ」
「それは知ってる。でも健脚馬なり駿馬なりを使って行けばいいじゃないか。お金は後で何とかするよ」
「おや、この時期は祭りやら何やらで、馬車は予約で一杯ではないですか?」
「それはそうですけど、でも僕には巡礼者という何者にも代え難い肩書きがあります。そうすれば、馬一頭は譲ってくれるはず」
「おいおい、甘えが過ぎるぜ。大事なお祭りの時期に、お客さんの馬を私情でぶんどるなんてよ。それにオレたちはどうするんだよ。徒歩で行けってか?」
「私情――ああ、確かにそうだね。でも……」
 そこでオルドさんの言葉が詰まった。見るからに顔色が悪い。そんなにゴブリン谷に行きたくないのだろうか。

 三人の視線がオルドさんに集まる。彼はそれに耐えられなくなり、諦めて本音をこぼした。
「僕は、ゴブリン谷に行くのは嫌なんだ。崇暁教の巡礼者として、悪魔(オルク)の穢れに触れるのはどうかと思う。そんな成り行きで、<我が君>の御前に跪きたくない……」
「それは、どうしてなのでしょう?」
 率直な疑問をハヤンさんがぶつけると、オルドさんはばつが悪そうにこう答えた。
「穢れに染まった状態で<我が君>に合うなんて、どんな顔をすれば……」
 その時、ハヤンさんがわずかに口角を上げた。そこから彼女の怒涛の質問が始まった。
「なるほど。つまり竜祖は悪魔の穢れに触れ、それを浄化する機会さえ惜しむのですね。あるいは、それはもうできないと」
「な、何てこというんだ!」
 すかさずオルドさんが大声で返した。竜神への挑戦的な言動に対し、自分のことのようにショックを受けている。
「竜神様は全能であらせられるんだ。僕の穢れを祓うなんて、呼吸するぐらい簡単なことに決まってる」
「では、仮にゴブリン谷で穢れに触れたとしても、それを祓えるのであれば構わないでしょう」
「いや違うな……そんな汚らわしい姿で竜神様の元へ行くなんて、恥ずかしいことだよ」
「あら、竜神様は上古で数多の澱みを濯いできたではありませんか。それとも心が変わり、一介の巡礼者にも穢れを持つことは許さないということになったのでしょうか。竜神様は全てに博愛の精神をもって接すると窺ったのですが……」
「あ、ああ、そうとも。竜神様は遍く全てに寛大さ。ゴブリン谷の死地を渡った巡礼者にも、何の悪意を持たないだろうさ」
「そうかそうか。じゃあ谷を渡ることに異存はないな」
 二人の問答を無理やり締めるように、ヒグルマさんは片目を瞑ってオルドさんに問うた。
「それは――」
 罰が悪そうな顔をするオルドさんの顔を見て、二人が笑っている。思っていたよりもイジワルな人たちだ。だが、腹の底が見えないのは――

「わ、わかったよ。僕は敬虔な竜神様を信仰してるんだ、僕も遍く全てに寛大じゃなきゃ」
 そう言うと、ヒグルマさんは指を鳴らし、
「よし、じゃあ明朝出発だな!」
 と、威勢よく今後の方針を決定した。ハヤンさんはその様子を見て笑みをこぼし、俺に目を合わせる。そして、軽く手を叩いてこう言った。
「さあ、そうと決まれば今日はもう寝ましょう。早起きは三文の徳、明朝に発てば悠々と旅ができます。とりわけあなたは早く寝なければなりませんよ。いつどんな世界においても、若者は良く寝れば寝るほど育つものですからね」
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