4-4 魔女と信徒

文字数 4,576文字

 俺とヒグルマさんの必死な説得は何とか実を結び、オルドさんもゴブリンの島へ足を踏み入れた。体も声も震わせて、オルドさんが俺に言う。
「いやあ、ナミノ、君は強いよ……先入観というものがないんだね」
 先入観。そう言われるとそうだ。俺の場合、そもそも先入観を持つほどこの世界のことを把握してないし、オルドさんにも生まれながらの事情はある。
「オルドは本当に心臓が小せえなぁ。小さい頃も悪魔の話でビビってたもんな」
 ヒグルマさんが茶化すように言うと、オルドさんは下を向いたまま、いつになく低い声で答えた。
「……触れたくないんだよ。『穢れ』というものに」
「……」
 俺はそこで黙ってしまった。もし俺がフラクシアの住民だったなら、ゴブリンや悪魔を異様に嫌うのが当たり前という常識に馴致していただろう。いや、故郷に生きていてもそうかもしれない。俺の世界に悪魔はいないが、そう形容でき得る人間は少なくないのだから。

「……ふう、ごめんね。取り乱してしまって」
 ようやく落ち着いたオルドさんを見て安堵すると、向こうから足音が聞こえてくる。振り返ると、ハヤンさんが軽い足取りで帰ってきた。いつになくうきうきしている。
「ハヤンさん! ちょうど探そうと思ってたんすよ」
「ああ、ごめんなさいナミノ君。ゴブリンがあまりに愛おしくて、つい夢中で村中を見て回ってしまいました」
 オルドさんとは違って、ハヤンさんには偏見の色がない。世界の四方山を見てきた身としては、そういうものに甘えてしまう心を持ち合わせてないのだろう。
「ゴブリンは愛らしいですが、恥ずかしがり屋で、どう交流したらいいか……彼らと上手く接していけるノワレの面倒見の良さが羨ましいですね」
その言葉から、ハヤンさんには偏見を突き抜けるほどの好奇心があるんだな、と再確認した。もっとも、少し一方的なきらいはあるが。
「ハヤンに恥ずかしがるなら、強面のオレにはまず近寄れないだろうな。ところで、ノワレの家ってあそこで合ってるか?」
 ヒグルマさんが冗談を言いつつ、旅の目的を改めて確認する。
「そうでした。ノワレの家は、この大岩の上にあります」
 ハヤンさんの案内の元、俺たちはノワレの家へ向かった。大岩をぐるりと取り囲むように階段が並び、上がった先にはさらに梯子が架けられている。梯子を上りきった岩の上は、湖一帯を見渡せるほどの絶景だった。
 この湖こそが魔女の庭。そして、俺たちはその主の元へ会いに行く。故郷へ帰るため、あるいは崇暁教の野望を食い止めるための作戦会議が、ここで行われるんだ。

 魔女の家の扉を開けると、その主は雨戸を開けながらあくびをしていた。
 小さな玄関を抜けるとそのまま彼女の部屋になる。生活に必要な家具と、魔法や史学の研究に使う道具や書籍などが雑多に置かれた部屋。こちらの文明で言い換えるなら、気ままな学生のワンルーム、とでもいうべきだろうか。
 部屋の片隅には香が焚かれていて、ほのかに花の香りがする。ささやかながらも蘭の香りが漂う部屋は、魔女らしい妖しさと優雅さが見え隠れした。
「やあ、ここまで来てくれてありがとう。大変な道のりだったでしょう?」
 ノワレが手を振りながら、俺たちの到来を歓迎する。
「ここまで来るのは大変だったぜ。特に梯子、今にも壊れそうだったさ」
「ああ、それは悪かった。竜人が部屋に入ってくることは、ちょっと想定外だったからさ」
「こんな高いところに家を建てるなんて、ゴブリンの監視のためかい?」
「『監視』か。うちはそんなに張り詰めた理由じゃないよ。ヘイムダルって知ってる? 遠い異空の果て、世界そのものの大樹の上で、眼下の営みを見守る神。私はそんな存在」
 ヘイムダルは北欧神話の神だ。今まで聞いてきた『異界』の話は殆ど極東の話だったが、彼女は西洋の物事にも通じているらしい。
 オルドさんにとっては聞きなれない神の名前であり、彼は困惑しつつも感心した様子を見せる。
「異界にはそんな神様がいるのか。その神様は<我が君>とどんな関係が?」
「それは、そこにいるナミノくんが知ってるんじゃないかな」
 ノワレは話を俺に振ってきた。オルドさんが俺に目を合わせたので、正直に伝える。
「……関係ないっすね。同じ異界でも、ヘイムダルがいるのは遠い海の向こうっすよ」
「そうか、残念だな。<最果て>の神ではないなら、僕らには関係のない話だったか」
 そう言って、オルドさんは小さくため息をついた。その様子に俺は複雑な気分になった。オルドさんにとって、崇暁教はそれだけ絶対的な存在ということなのか。
「まあ、とりあえず座ってよ。お茶とお菓子もせっかく用意したんだ。今日はゆっくりしなよ。谷を突っ切るなら巡礼にも間に合うでしょ?」
 魔女は立ち話を切り上げて、俺たちに座るよう促した。ノワレは一人で住んでいるのだろうが、大きな机に複数の椅子は部屋に用意されていた。この家にゴブリンを呼ぶこともあるなかもしれない。

「異界の神話は何も崇暁教だけじゃないんだ。<東の最果て>より西には、当然数多の文明や国々が存在していた。あたしが話したヘイムダルも、その一地域の神話の一柱に過ぎない。ワタリビトのナミノくんなら、分かってくれる話だろうけど」
 茶を注ぎながら、ノワレは先ほどの話の続きをした。俺はその言葉にどう反応したらいいのか分からなかった。だから、
「いや、分からないっすよ。断言するには、俺はまだ青い気がしますから」
 と答えた。ノワレはふっと笑い、
「そうだね。この世は分からないことだらけだ。異界のことも、自分たちの世界のことも、まだ上手く掴めていない」
 と言葉を返し、俺に茶を差し出した。
 ――俺たちの故郷は、俺たちにとっては『中心』なんだ。それはオルドさんがヘイムダルに無関心だったこととも重なる。自分たち以外のことには、まだ理解が薄い。
 ここにはオルドさんがいるから、あまり割りきった話はできないけど――今の崇暁教の大元も、『果て』の宗教なんだと思う。極東の宗教は、最果ての異界からこの世界に入り、今やフラクシアの『中心』になろうとしている。
 それを象徴するのが、このセントラルという場所なんだろう。此岸と彼岸、二つの大陸の中心に浮かぶ島、セントラル。そこは世界の中心にある島だ。だが言い換えれば、それぞれの大陸の最果てに浮かぶ辺境でもある。つくづく不思議な場所にあるものだ。

 おっと、思索に耽るとせっかくのお茶が冷めてしまう。俺はカップに淹れられた茶を手に取り、一口味わった。ほのかな花の香りがする。この香りは――何故だかとても馴染み深い。
「……美味しい茶ですね。それに、花の香りがする。これは……桜?」
 俺は香りの正体を言い当てると、ノワレは小さく拍手した。
「正解。茶葉に花を混ぜると、より華やかになるでしょ? 桜は崇暁教を象徴する花だから、茶葉に混ぜてみたんだよ」
 ノワレはそう言って、自身の茶碗に口をつけた。俺の隣にいるオルドさんも、目を輝かせながらそれを飲んでいた。
「桜の香り……穏やかで、それでいて可憐だ。気に入ったよ」
 彼はご満悦そうに茶葉の香りを楽しんでいた。その向こうにいるヒグルマさんが、まるで酒を仰ぐようにカップをつまみ、くいと茶を飲み干す。
「それで、オレたちをここに誘った目的は何なんだ? ただ茶会をするために呼び寄せたわけでもないよな」
 彼はそう問うと、魔女はニヤリと笑った。

「もちろん。今日は作戦会議のためにここに集まってもらったんだ。ワタリビトの帰郷、それを助ける作戦のね」
「ちっ」
 またその話か、とでも言いたげに、オルドさんが舌打ちをした。信者がいる中、<我が君>のお膝元で悪巧みを行う人々に、彼は心底呆れているのだろう。
 うんざりした表情のオルドさんを横に見ながら、ノワレは両手の指を絡ませ、真剣な表情で話した。
「さて、その前に聞きたいことがあるんだけど――ナミノくん、君はあの森人集落で何を聞いたんだい?」
 彼女の質問に対し、俺はある疑問が浮かんだ。
「……? なんでノワレさんがそのことを知ってるんです?」
「カノヱ、ってドワーフの青年がいるでしょ? あの子はあたしの知り合いなの。君たちが樹海を抜けて私の家に行く間、彼と情報交換をしていたんだ」
 そうなのか。ノワレやカノヱは、このセントラルにおける『レジスタンス』のようなものなのかもしれない。
 俺はノワレに、森人集落の到着から脱出までの一部始終を語った。ノワレは頷いて、話を続けた。
「……なるほど。聞いていた話の通りだね。そこの信徒には申し訳ないけど、今の崇暁教は世界救済を建前にフラクシアの侵掠を目論む『異端者』の集団だ」
 そう言われて、オルドさんの堪忍袋の緒がまたしても切れた。
「君もそんなことを言うのか。<我が君>は古代の崇暁教においても主神であった存在だ。決して異端なんかじゃない」
「その上古の崇暁教は、『竜神戦争』で消え失せたはずだよ。君も知ってるんでしょう?」
 ノワレはヒグルマさんのほうに視線を向け、同意を求めた。彼は「そうだな」とひとまず肯定し、言葉を続けた。
「他の竜神どもの喧嘩が飛び火した竜神戦争で、古の崇暁教は一旦消えたよ」
「ヒグルマ、君までそんなことを言うのか」
「まあ待ちな、まだ続きがある。戦争を起こした竜神の最後の生き残りだったウル――<我が君>が、『転移』によって世界を復興させていった。その時に昔のワタリビトが、異界の『極東』から現れた。<我が君>とワタリビトの信仰によって生まれたのが、崇暁教の由来だ」
「ヒグルマくんの言う通りだ。その後、『転移』は一旦世界で禁止されたが、文明の停滞を理由に再びその機運が高まった。上古の『復興』から、今度は世界の『発展』のために。

 ――だけど、フラクシアに降りてきたワタリビトたちはもう、私たちに手を差し伸べてくれた昔の彼らじゃない。文明の発展ではなく、身勝手な破壊と再生を押し付ける連中の集まりだ。故郷は荒らされ、生殺与奪は<我が君>に握られ、親から授かった名前すら変えられてしまう。こんなの、認められないよ」
「認めてないだって? それが僕たちとの『分断』を生んでいるんじゃないか。<我が君>の下にいれば、世界は一つになるっていうのに」
「いや、もうなってるよ。世界は崇暁教の排除のために一丸になっている。腐ることを受け入れた上方の代わりに、あたしたちが水面下で動いてるんだ」
 オルドさんは歯軋りをして苛立ちを増すばかりだったが、ヒグルマさんが彼をなだめて落ち着かせた。
「ま、とりあえず頭冷やそうや、オルド。オレと一緒にゴブリンでも観に行こう」
「はあ? それは――」
 オルドさんが文句を言う前に、竜人は彼の腕を引っ張って外へ出ていった。ヒグルマさんの面倒見の良さには感心するばかりだが、ゴブリンにあんな言い草をしたオルドさんのことがちょっと心配だ。同じくハヤンさんも、俺が気にしていることに近いことを口にした。

「いいのでしょうか。オルドさんはゴブリンを怖がっていましたから」
「大丈夫だよ、あの竜人と一緒なら、あの子たちも二人を面白がって懐くはずさ。それに、今から作戦の具体的な内容も言わなきゃいけないし」
 そう言って、ノワレは椅子からひょいと立ち上がった。話はまだ続きそうだ。
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