4-7 紅き氷はすぐそこに

文字数 2,855文字

 話し合いを終えた後、ノワレは何事もなかったような顔でゴブリンの元へ戻った。ヒグルマさんと俺は、ノワレの家の近くにある野宿用の寝床へ戻る。到着してみると、オルドさんは既に眠りについていて、ハヤンさんも就寝の準備をしていた。
「おかえりなさい、ナミノ君、ヒグルマさん」
 オルドさんを起こさないよう、ハヤンさんは声を抑えて俺たちを迎えてくれた。
「おう。……オルドはもう寝てるんだな」
「ええ。ぐっすり寝ています」
「オルドはゴブリンに近寄ったりしてたか?」
「ゴブリンの観察に夢中で、あまり彼の姿は見ていませんでしたが……私が戻る頃には寝ていましたよ」
「そっか。ハァ、仲良くなれないもんだな」
 ヒグルマさんの呆れ顔に、ハヤンさんと俺は苦笑いで応じる。結局、オルドさんのゴブリン嫌いは治ることがなかったということだ。
 オルドさんが付けっぱなしにしていた角灯の火をヒグルマさんが消し、真っ暗闇の中で俺たちは眠る。それから夜空がうっすらと白くなり始めた頃に、俺たちは起床した。

 四人の中で一番遅く起きたのはオルドさんだった。彼はヒグルマさんに肩をつつかれ、少しもぞもぞと動いたとおもいきや、不意をつかれた猫のように飛び起きた。
「はっ……! 疲れてそのまま寝てしまってた! 荷物は――」
 これまでにない動揺ぶりで、オルドさんは向こうの荷物を確認する。そして、
「良かった、奪われてなかった」
 と安堵した。ヒグルマさんは溜息をつきながら、彼に準備を催促した。
「ゴブリンはそんなことしねえよ。早く寝癖直して支度しろ」
 俺たちは出発の準備を整えて、後はオルドさんの準備を待つだけだった。その間に俺たちは家から降りてきたノワレと出くわして、互いに挨拶をする。今から聖地へ行くことを伝えると、ノワレは「もう行くんだ」と別れを惜しんだ。
「またいつか会えるでしょう、ノワレ」
「そうは言っても、次会うときは作戦中だよ。ハヤンの可愛い顔を安心して見れるのも最後かもしれないのに」
 ノワレは冗談を飛ばしつつ、ハヤンさんが困惑を顔に出すのを楽しんだ。それから、
「旅に出るなら忘れ物はしないようにね」
と忠告したところで、俺は気になっていたことを思い出した。オルドさんが以前怯えながら話していた、<グルリベル>と呼ばれる人物についてだ。

「そういえば、ここに来る途中で『赤い流氷』を見たんです。それから、始末されたエルフの遺体も。これについて何か知ってますか?」
 尋ねられたノワレは幾分か思考を巡らせた後、「ふむ」と嘆息した。面倒ごとであるのは承知しているが、彼女の表情から察するに相当なものらしい。
「あたしの考えが外れてなければ、そいつはグルリベルって名前だったはずだよ」
「はい、そうです。彼岸大陸の『開拓者』と言われている魔人」
「ナミノ、グルリベルの話はどこで聞いたんだ? お前には伝えてなかったと思うが」
「オルドさんからです。ひどく怖がっていました」
 俺がヒグルマさんからの質問に返答したのを耳にして、ノワレの表情が一層険しくなる。
「グルリベルは、崇暁教の彼岸大陸開拓使に属している人物の一人だよ。開拓使は彼岸の先住民族に改宗を求め、時には武力で解決することも厭わない。グルリベルはその開拓使の中でも、とりわけ優れている者の一人だね」
「そのグルリベルは、どうして今セントラルに?」
「聖地で位を賜るためだろう。もうじき彼は二十歳になり、成人を迎える。その年齢を境に魔人の魔力は弱まるから、それを踏まえての招集なんじゃないかな。恐らく、こっちに戻ってきた時にワタリビトのことを聞きつけたんだろうね」
「ということは、森人集落の騒動にグルリベルも関わっていたと……?」
「森にワタリビトの噂を流して、キミたちを捕まえるつもりだったんだろう。それが失敗したからエルフを始末しつつ、ワタリビトへの警告として通り道に遺体を残した」
そこまで推理して、ノワレはまた溜息をついた。
「何にせよ、あたしたちは運が悪いってこと。グルリベルはデムセイルの魔人にも匹敵する、相当な強者って話だよ。私たちもキミたちのことを支援するけど、くれぐれも用心するようにね」
「はい、分かりました」
 オルドさんだけでなく、ノワレも気を遣っているグルリベルという男。帰郷への道程は、最後の最後で一層厳しさを増してきそうだ。

「おや、向こうの青年が支度を終えたみたいだよ」
 ちょうど話している間に、オルドさんの準備が終わったみたいだ。しばしの別れの時が迫る。
「時間みたいっすね」
「また聖地で会いましょう、ノワレ」
「うん。キミたちもお達者で。ああ、そうそう。ゴブリンたちからキミへの贈り物があるから、忘れずに立ち寄ってね」
 オルドさんの方へ向かう直前、ノワレは俺を呼び止めてゴブリンに会うよう告げた。ノワレと別れ、オルドさんの所へ戻ると、彼は荷物を背負って待っていた。
「魔女と何話してたんだい?」
「別れの挨拶さ。さあ、行くぞ」
 オルドさんの背中を叩いて、ヒグルマさんは我先にと足を進めた。俺たちも彼の後を追って歩くと、前方にゴブリンの群れが見える。俺たちを待っているかのようだった。

「あっ、ナミノだ!」
 ゴブリンの群れの一番前にいる子が、俺の名を読んだ。
「行ってやれよ」
 ヒグルマさんは俺を見るなりその場を離れ、怯えるオルドさんを庇うように――あるいは隠すように――俺の背後に下がった。
「どうしたの?」
 俺は膝を崩してゴブリンに声をかける。こうして見ると、なんだか愛くるしさを覚える顔だ。
「あたしのこと、おぼえてる?」
 そのゴブリンは右腕にピンクのリボンを巻いている。ああ、だから<モモ>って名前なんだ。女の子だったことも今気づいた。そういえば、他のゴブリンたちも、腕に様々な色のリボンをつけているみたいだ。
「うん、覚えてるよ。その花は……?」
 モモは両手に、満開の花を一輪持っていた。モモのリボンと同じくらいあざやかだが、ピンクよりも赤みが強い、赤紫(マゼンタ)とも言うべき色だった。
「ナミノにあげる! ともだちのあかし!」
 そう言って、モモは俺にマゼンタの花を差し出した。俺も両手でそっと花を受け取り、にこりと微笑んだ。
「ありがとう、大事にするよ」
 綺麗な花だ。そうだ、折角だからこの外套に花を挿そう。左胸辺りの襟元にその花を挿してみれば、オシャレに見えるかもしれない。
「……これでよし」
 早速花をつけてみると、ゴブリンたちは拍手して湧き上がった。どこからか「かっこいい」という声がして、少し照れくさい。
「じゃあ、きをつけてね、ナミノ!」
 喜びの拍手が止み、ゴブリンたちは道端に避ける。俺はゴブリンたちにもう一度感謝の言葉を述べた後、仲間と一緒にゴブリン谷を後にした。
 振り返ると、ゴブリンたちが手を振って俺たちを見送っている。まるで、またいつか会える日を待っているかのようだった。彼らには残念だけど、そんな日は二度と来ない。でも、俺みたいな人間とゴブリンがこうして仲良くなれたことは、ずっと忘れない。
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