5-5 時代の犠牲者

文字数 2,450文字

「さて、オルドが帰ってくるまでの間、オレたちは暇を潰すか」
 聖地に向かって左手の道の先には、プロテアとセントラルの街を眺められる展望台があった。十字路を左に曲がり、丘の坂道をぐるりと回って展望台に着く。

 そこは華やかなセントラルの街並みと、果てなき水平線が広がる大海原、そして狭い湾に浮かぶ島に悠然と立つ、櫻色の大樹の全てを見渡すことができた。巌ノ村を抜け、フラクシアという世界の一端を眺めた時とよく似た感慨が、俺の胸を通り抜ける。侘しくもどこか希望に満ち満ちていたあの青野原とは異なり、聖地を戴く都市の風景には、美しさと同時に得体の知れない違和感があった。
 展望台の最前で景色を眺めていた人が、俺たちの気配に気づく。彼らが引き下がった所には、何かの解説と思しき石碑が立っていた。俺はその石碑の前に立ち、文を読んでみる。
 所々言い回しの難解な部分があったが、以下はその内容だ。

 『櫻樹』

 ここより前方に見える、巨大な櫻色の結晶体が聳え立つ島は、この地を治める我々崇暁教が<櫻樹の間>と呼ぶ聖域である。
 櫻樹は、上古の時代、竜神戦争で唯一生き残った竜神である<我が君>シュージャン・ウーが、その傷を癒やし力を蓄えるために作り出した結晶の繭である。永きに渡り神話で語られていた櫻樹は、君歴二四三八年(流界暦一七七八年)に彼岸大陸北西の大珪帝国(ガネルス)の航海士によって発見され、二六〇一年(一九四一年)崇暁教が聖地として奪回したものである。


『崇暁教と竜人』

 今日の崇暁教が復古される遥か以前、上古の時代にも崇暁教と呼ばれる宗教は存在していた。上古の崇暁教は<我が君>と、その敬虔なる信者である竜人からなり、史上かつてない世界大戦である竜神戦争において、数多の竜とその信者を屠り、世界を統べた種族であった。上古の竜人はこの地に自らを封じる<我が君>を見届けた後、この聖域の存在を秘匿し、此岸大陸・天使の喉(アンジェ・グラ)地域を中心とした大帝国エスガロスを築いた。
 上古から遥かな未来、我々が新たにした崇暁教は、同じ<我が君>を信奉する同志として、世界を遍く幕下に置いたエスガロスに敬意を表し、この記念碑を建てることとした。<我が君>への忠誠と崇暁教への愛慕を、海原の先にある八紘の大地に広く知らしめ、天壌無窮の世界を創出する。それが、偉大なる帝国の英霊臣民たちへの手向けというものである。

「……」
 なんというか、得体の知れない熱さのある文章だ。読んでいて疲れる。
「なるほどなあ……」
 ふと気がつくと、ヒグルマさんも俺の隣にいて、考え込みながら碑文を読んでいた。今を生きる竜人の鋭い眼が、仰々しい石碑の字をなぞる。そして一通り読み終えた時、ヒグルマさんの目つきがいやに悪くなった。

「なあ、ナミノ。長い付き合いの友が、生まれる前から『邪教』って奴に囚われてるのを知ったら、お前はどうする?」
 憎しみを込めた眼差しを碑文に向けたまま、ヒグルマさんは俺にそう問うた。俺は彼の目を恐る恐る見ながら、すぐに視線を戻して一言だけ返した。
「……分からないです」
 横目で、ヒグルマさんが小さく頷いているのが見えた。無言の肯定だった。
「酷い文章だ。竜人に敬意を表してるなら、あの貧相な区域なんてどこにもないだろうに」
 彼の言う通り、現代の崇暁教に竜人への尊重は認められない。その矛盾について尋ねると、ヒグルマさんは一層顔を顰めた。
「……崇暁教だけじゃねえ。この世界全体が、『今の竜人』を虐げてんだ」
「えっ?」

 それは、フラクシアに有していた好意を破り捨てられるような発言だった。崇暁教だけじゃなく、この世界の人類全体が竜人を差別している。
「セントラルだけじゃなく、此岸大陸でもですか?」
「ああ。説明するには少し時間が要るが、聞くか?」
 俺は首を縦に振ると、ヒグルマさんは視線を俺から碑文に戻して口を開いた。
「エスガロスって国はな、早い話が竜人至上主義の国なんだ。竜人でなければ、人ですらない。かつての竜人は、それこそシュージャン・ウーを戴く今の崇暁教のように、各地で横暴を極めたさ。奴らにとっては、他の人種の文化など未開の野蛮な文化に等しい。隷属させられた他の種族は、竜人の文化を支えるための人柱だったわけさ。
 その竜人に対し、オムノ、エルフ、ドワーフを始めとする多種族は一丸となって、<種族革命>と呼ばれる争乱を各地で起こした。そして、エスガロスの喉元、アンジェ・グラの首都を奪い、革命は成った。その時を元年として、フラクシアの暦、<流界暦>が始まっている。
 そこから竜人の不遇は二千年続いた。それを救ってくれるのが崇暁教だと信じていた。だが、奴らは何も変えはしなかった。侵掠するだけして、この世の不条理を増やすだけ。挙句の果てに、オレたちを内心軽蔑しながら、外面では尊重と抜かしやがる。エスガロス地区の惨状に何一つ手を打たずにな」
 ヒグルマさんはそこで言葉を切り、大きく溜め息をついた。無情に呆れ果てるような嘆息だった。彼が再び口を開くまでの沈黙が、より同情を誘った。
「オレたちは『時代の犠牲者』だ。馬鹿みたいに罪を犯したのは先祖かのに、関係ないオレたちが罰せられてる。竜人として生まれた、ただそれだけの理由でな。オレたちに何の因果がある? なぜただ生きてるだけで罪なんだ? オレたちの罪って『永遠』なのか?」
 やり場のない怒りをぶつけるように、彼は碑文を睨みながら言った。
 俺は何もかける言葉が見つからなかった――何故なら、それは俺にとっては複雑な問題だったからだ。
ヒグルマさんのように、過去の種族が犯した過ちを後世の人間が背負うことへの違和感には、確かに理解できる。だが、過去の罪を『省みる』ということをしなければ、重荷を下ろすことを許されても、また別の過ちを犯してしまう危険性があると思うんだ。それは崇暁教、およびその根源たる組織を通して学んだことだ。『内省』を続けなければ、人は同じ過ちを繰り返してしまう。
 
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