4-3 生真面目と戯け

文字数 1,715文字

 ハヤンさんは真っ先にゴブリンの集落の方へ行ってしまったが、俺はあの小さな人影を追うことにした。
 他の家屋からやや離れたところ、茂みに囲まれるように立つ藁葺きの家、その裏からこっそり人影を覗いてみる――そこにいたのは、家の向こうの木立から、こちらを窺うように覗いている小さな鬼。

 気づかれた! 驚いて陰に隠れる。同時に小鬼もさっと茂みに隠れてしまった。一呼吸置いて、もう一度ゆっくりと茂みを見てみる。すると、俺と息を合わせるように、全く同時に小鬼がそっと顔を出した。
 今度は隠れたりせず、互いの様子をまじまじと観察した。小さな鬼は、つぶらで瞳の大きな目に、稜線の高い潰れた鼻。エルフよりは小さいが、同じくらいよく尖った耳。そして、頬が裂けるほどに大きな口をしていた。だがその大口は獲物を見つけて歪むなんてことは一切なく、恥ずかしがり屋の少女のように、ぽかんと口を開け、鋭い牙をちらりと見せている。

 やがて茂みからゴブリンが出てきた。頭と比べて随分と小柄な体で、右腕にはノワレにつけてもらったのだろう、ピンク色のリボンを巻いている。背の高さは俺の臍くらいだろう。俺は立ち上がらず、その小鬼とは視線を少しだけずらした。あまり長く見つめすぎていると警戒されてしまう。猫のような小動物を観察するのと同じ感じだ。猫であれゴブリンであれ、それは変わらない。
 小鬼の表情はいまだに、無邪気な困惑を浮かべたままだ。喜んでもいないが、怯えてもいない。ひたすらに無垢だった。
 しばらく観察しながら、俺は考え込んだ。なるほど、得体の知れない生き物が危害を加えるかもしれないという点では、オルドさんの言い分にも一理ある。しかし、このゴブリンという生き物は――ノワレがそう手懐けたからなのかは分からないが――恐ろしさよりも愛らしさの方が際立つ。見ていて微笑ましい気持ちがあるんだ。

「……にんげん」
 思考に耽っていると、小鬼が発した『言葉』で我に返った。そして彼女が言葉を話せることに、親心のような驚きと喜びが込み上がってきた。
「おやおや、感心しないなあ。土足で入り込んだ挙句、先住民の偵察なんて」
 しかし、その驚喜は背後から聞こえてきた声で掻き消された。今抱いているのは、それこそ恐怖だ。あの炎の魔女ノワレが、横から覗き込むようにして耳元で注意してくる。
 縮んだバネが伸びるように飛び上がり、俺は謝罪した。
「すみません! 気になってたから、つい――」
 大声で謝る俺を窘めるように、ノワレは唇に指を立てた。
「静かにね。ゴブリンはエルフと同じくらい耳がいいんだ。元々は暗い地下で過ごしていた種族だからね」
「ああ……悪かったです」
「いいのいいの。ところでキミ、<モモ>のことが気になってたの? 彼女と『交信』か何かしていたようだけど」
「こうしん……?」
 俺たちが観察し合っていたことを、『交信』だって? また独特の言動をする人間に出会ってしまった。
「あはは、冗談、冗談。キミもなかなか垢抜けない少年、って感じだね」
 なんだ、それ。子供扱いされるのは好きじゃない。
 だけど、ノワレは見るからに俺より含蓄のありそうな人物だった。姿はストリートルックの赤ずきんのような、フラクシアでは見るからに浮いている身なりをしているし、恐らく年齢もオルドさんとそう変わらない――つまり、俺と近い。
だが、纏う雰囲気は明らかにオルドさんと同じではない。揺らめく炎のように掴みどころがなく、近づけば危うい雰囲気がする。しかし、その炎は紅色の眼差しから見ても分かる通り、内なる情熱のためではないかと思えた。

 さて、ノワレは俺に声をかけた時からずっと目尻を下げてニヤニヤしていたが、彼女は俺が落ち着いたことを確認するや、一呼吸置いて真剣な眼差しに変わった。
「ようこそワタリビト、あたしたち『はぐれ者』の里へ。今日来てくれたのも何かの縁だ、仲間たちと一緒に家でお茶しよう」
 急に真面目な対応になった魔女に、俺は困惑する。それをよそに、ノワレは高台にある自分の家へ帰ってしまった。あんなに高いところにある家は行き帰りが大変そうだが、彼女はひょいと軽い足取りで、鼻歌を歌いながら上り歩くのだった。
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