6-6 足を止めるな

文字数 1,370文字

 祭壇の奥の扉をこじ開け、俺はプロテアの内部に入った。
 そこは目が眩むような櫻色の煌めきが乱反射し、嵐の夜だというのに真昼のように明るく輝く空間だった。原石の塊のように不規則な形状の壁には、聖域の侵入者を監視するかのように、一面一面に俺の姿が映っていた。
 まるで鏡地獄ならぬ櫻の地獄だ。崇暁教の経験な信者なら、この大樹の内側に入った瞬間に狂い果ててしまうだろう。聖域でもあり、禁足地でもあるというのは頷ける。
 上を向いてみると、彼方にある天井から回廊が蔓の伸びるように走っている。それは入り口から見て左右に一つずつあり、二重螺旋の構造となっていた。回廊の終点を見る限り、どちらを選んでも終点には辿り着けるらしい。
 ……外から剣戟の音が聞こえてくる。みんなが時間稼ぎしてくれているとは言え、立ち止まっていると奴の魔手が迫ってくるだろう。俺は意を決して、果てしなく長い櫻結晶の回廊を上り始めた。
 回廊は無限に続くかと思うほど、果てしない。並の人間ならば、一歩足を踏み出すこともできないまま、この空間に圧倒されて終わるだろう。だけど今の俺は違う。白の丸薬で得た無限の強壮により、この果てしなく続く結晶回廊を駆け上がることができる。だがしかし、時間は有限。この持久力がいつまで続くかどうかは、誰にも分からなかった。

 どれくらい上っただろう。俺は一旦足を止めて、今いる場所の上下位置を確認する。下を覗き込むと目眩がしそうなほど高いが、頂上には確実に近づいていた。あと半分といったところか。
俺は再び駆け上がる。あと数分走れば、プロテアの頂、その中枢に辿り着ける。希望と興奮が同時に襲ってきて、息が乱れそうになる。俺はなるべく冷静に、ただ上へ、前へ進もうとした。しかし、俺が心の底で抱いていた恐怖は、今大樹の虚の最底辺に現れた。
「ここにいるのだな、ワタリビト!」
 奴が現れた――グルリベル! オルドさんたちはもう止められなかったんだ。
 プロテアの頂上へはもうすぐそこまで来ている。しかしグルリベルが空中滑走すれば、あっという間に距離を縮められてしまうだろう。事実、奴が放った冷気がここまで立ち上っている。
「ちょうどいい。我が身ごと貴様を生贄にしてやる!」
 凍結した空気の擦れる音が、大樹の虚にこだまする。もう少し、あと少しなんだ。この旅が終わるのは! <我が君>の軛を解き放つには、俺の手で旅を終わらせるんだ!

「着いた……!」
 無窮に続くような二重螺旋の回廊、その終点に俺は辿り着く。目の前には一際燦然と輝く、薄紅色の扉。俺はそいつにぶつかるようにこじ開ける。扉は遅いという言葉では形容しきれないほど、あまりにももどかしいくらいにゆっくりと開いていく。
「終わりだ、ワタリビト‼︎」
 グルリベルが回廊に着地した。もう時間がない。フラクシアと故郷に、生死の彼岸が迫っている。その幻覚が脳内に焼き付いて、俺は全身全霊の力を込めて雄叫び、扉をこじ開けた。
「なっ――⁉︎」
 俺とグルリベルが言葉を失ったのは、全く同時だった。扉を開ききった先は、どこまでも続く深淵。その勢いで俺は底なしの暗闇に落下し、呆然と立ち尽くすグルリベルの姿を見る。
 俺はやり遂げた。困難に満ちた旅路が、ようやく終わりを告げるようだった。その安堵と加速度に身を任せ、俺はゆっくりと目を閉じた。
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