3-1 森人集落へ

文字数 2,151文字

 この旅路には『前進』以外の選択肢はないのだと、俺は思っている。オルドさんにそんなことを聞かれた時も、俺は力強く返事した。

 とはいえ、正直言ってこの旅路は険しかった。山道は想定以上に険しく、棒になった足が悲鳴をあげそうなほど歩いた。時折雨が降る時は、外套の頭巾を被ってやり過ごすが、顔にぶつかる大きな雨粒よりも、ぬかるんで滑りやすくなった泥道の方が余程鬱陶しかった。雨の日は余計に体力を使うんだ。
 その消耗が一夜明けて回復すればいいのだが、そう簡単にはいかない。先日の洞窟のような、予め用意された休息の場所は道中にはなく、街道から外れたところで何とか休める場所を見つけなければいけない。そこで申し訳程度に体を拭き、非常食を兼ねた黒パンと干し肉を齧り、砂利の混ざる敷き布の上で眠る。
 はっきり言って、かなり過酷だ。自分がどれほど温室育ちなのかを痛感するし、何よりもこんな暮らしに文句一つ言わない旅人たちを尊敬する。現実でこんな旅をすることがあれば、三日も経たずに諦めてしまうだろう。

 それでも、身近に尊敬できる旅人たちがいる状況で数日歩いていくと、自ずと忍耐もついてくる。時折躓いて転びそうになるけれど、ちゃんと前を進めているなら無問題だ。そうこう言っているうちに、緑の深い山林に混じって、黄色やオレンジに染まった木々を見かける。
「この植生――皆さん、森の集落まであと少しです」
 ハヤンさんは明るい声で、目的地が迫っていることを告げた。数分歩くと、上り坂の先にある開けた場所に入った。ここはセントラル山脈の峠辺りで、今までに辿った山道をはじめ、セントラルの山海を見渡せる絶景地点だった。
「あそこを見てください。あの赤い大樹の樹冠、あれこそ森人集落の目印です」
 俺が眺めている方角とは反対側をハヤンさんは指差す。その方向を見上げると、緑深い山林の一点が秋暮れのように染まっていた。
 俺ははっとして、ハヤンさんの方を一瞥した。ハヤンさんの東洋的な風体を鑑みると、森人集落もきっと俺にとって馴染み深い空気を纏っているのかもしれない。
 何にせよ、目的地は近い。オルドさんら先達の旅人たちは再び歩き出すと、俺も気力を振り絞って前進を続けた。今の太陽は真上に位置している。おそらく昼下がりには着きそうだ。

 峠に跨る紅葉の森は、夕焼けでより鮮烈に染まっていた。しかし、森の方からたなびく空気はどことなく幽玄さを感じる冷たさで、赤々とした色彩と体感温度の落差が薄気味悪かった。
 予想通りの時間帯に森人集落の入り口に辿り着いた俺とオルドさん、ヒグルマさんは、里入りの手続きをハヤンさんに任せていた。
「この花押は……、<天使の口元(アンジェ・レビアム)>、潟望みの森のハヤンさんですね。御一行含め、セントラル集落への立ち入りを許可します。そのために、まず皆様はあちらへ」
 門番の案内を受けて、俺たちは門を潜り抜ける。するとその先には、先ほどよりも堅固な門があった。

 周囲を見回しながら歩いていると、つくづく不思議な光景だと思う。両門の間は小さな広場になっていて、漆喰と瓦の厚い壁で囲われている。そのさらに外側には、大樹と見紛うほどの大きな竹林が俺たちを見下ろしていた。数メートルはある、城壁よりも高い位置まで竹皮に覆われており、松笠のように逆立っている。恐らくこの竹林も、森人たちは城壁代わりに利用しているのだろう。現実世界とも、穏やかなセントラルの風景とも違う、荒く鋭い自然だ。思わず畏怖の感情が湧き上がる。
 内門の手前には、俺たちを待ち受ける三人のエルフがいた。その名前から連想される先入観に反して、彼らは漢服のような、ゆったりとした着物に身を包んでいる。額から鼻梁にかけて刻まれた印。いかにもかの種族らしい長耳の下垂から伸びる、道術のそれのような札の耳飾り。両隣のエルフは手の上に、香炉のような道具を載せている。中央のエルフは高い帽子を被り、呪符で顔を隠していた。総じて、俺がエルフと聞いて浮かぶ先入観からは違っていた。神秘的でありながらも、神聖と言えるほど清らかには見えない。失礼な言い分ではあるが、『(あやかし)の人』と呼ばれるのも頷ける話だった。

「旅の方々、皆様は森人にとっては外の人間。そして森人は時間と感情の流れに敏なる者たちです。郷に入っては郷に従え、とは異界でも通じる文句というもの。これより彼らが行うのは、外から来た客人たちが森の空気に溶け込むための術であります」
 俺の後方から、門番とは別のエルフが淑やかな声でそう伝えた。
 すると俺たちをとりまく空気が、揺らぎなく静まった。正面に向き直ると、左右の術士が香炉を乗せた手を前方に伸ばした。そして、ゆっくりと白い煙が漂い始め、ほのかに甘い香りが俺の鼻腔を刺激した――その知覚と同時に、中央にいたエルフが両腕を水平に張り上げた。
 静まり返っていた空気が一変し、香炉の煙が白雲の龍のように立ち上り、俺たちの周囲を取り囲む。さながら旋風のような白雲だった。白雲はやがて俺たちの方へと勢いよくぶつかり、衝撃と香気が俺たちを包み込む。そうして俺たちに森の気を纏わせた白い雲の龍は、悠々と天へ昇るようにたなびき、頭上で霧散した。
「森人の儀はこれにて終了です。今より正式に、御一行の入村を許可します」
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